「表現する」 さやね

4月15日 

 

 夜の集合で、お父さんのお話を聞かせてもらえて嬉しかったです。お父さんも傷を負ったけれど、依存に逃げないのは、不特定多数の人に向けて、表現をし、影響を与え続けてきたからだと、「表現する」ということが私には絶対に必要なことなのだと強く思いました。

 表現することをやめてしまったら、表現する場所がなくなってしまったら、私は症状に飲まれて、死んでしまうのだと思いました。

 なのはなで、音楽をすること、ギターを弾くこと、ダンスを踊ること、みんなと表現することは、私が生きていく上で、絶対に必要なことで、表現することで、私は生きられるんだと思いました。

 お父さんが田んぼの話をしてくださり、小説の吉里吉里人の「吉里吉里国」のことが思い浮かびました。私は、田んぼが大好きです。みんなで力を合わせて、丹念に草を取り、石を拾い、泥をこね、畦を作り、水を張った田に苗を植えて、育てていく。それが私は大好きで、田んぼのことを思うと心が満ちて、すっと浄化されて、なのはなのみんなと、今年も、田んぼをかけまわって、いいお米をたくさん作りたいと思いました。それだけで充分なくらい、日本の田んぼが私は大好きで、それはなのはなに来て初めて思えたことです。

 田んぼでお米を、畑で野菜を育てて、美味しくて立派な作物を育てて、みんなとたくさん笑い合いたいなと思います。それも私の人生に欠かせない「表現」です。

 スポーツは苦手だけれど、フルマラソンはきっとみんなとだから完走できると信じて、決して驕らずに走りたいし、ソフトバレーは、必ずよく動けるようになると思います。

 ギター教室に参加させてもらうことや、ミーティングの作文を読むことも決められて、よかったです。本当の気持ちを、貫きたいです。

 身体のことも、動きやすく美しくなれるように、信じて、過ごしていきたいと思いました。お父さんお母さんとお話できて、安心して、嬉しかったです。

 午後の作業で、デュランティー畑にヘーゼルナッツを移植するための穴掘り、肥料入れをしました。私はデュランティー畑が好きです。段々畑を下りていって、広々としていて、向こうにはかじや池が続いていて、木々に囲まれて、いつか草刈りをしたときに、お母さんが、ここでなのはなレストランを開いて、カヌーで行き来できるようにして、ワサビ田を作って、と話してくださって、そのときの夢が、嬉しかった気持ちが、みんなの力で、本当になっていっているんだと思って、とても嬉しかったです。