「勇気になるもの」 どれみ

4月15日

 いま、道中を走ってるともう桜が散りはじめているのを感じます。この2、3日の雨で一気に景色がかわっているのを感じました。道中の散った花びらを見ながら、お花見は、地面に散った桜の花びらを見ながらするのだとお父さんに教えてもらったことを思い出し、散った桜もいいなと感じました。

 最近、生活する中で、忙しい場面だったとしても、気持ちいいなと感じるときがあります。そんなときは自分から離れられている瞬間なのだと感じました。

 職場での問い合わせも担当の人が行けない、誰も返事がない、そんな場面で一瞬止まってしまうときがあります。どんなことなのかわからないこわさを一瞬感じます。ほんの短いあいだに迷いがあって自己否定もしていると感じました。それは自分から離れていないときだと感じました。

 そのこわさから抜け出すとき、自分から離れられる勇気になるのが、(お父さんだったらどうするか)で、それがあれば、こわさより利他の気持ちでいられるのを感じました。

 踏み出すときは緊張します。でもやったあと、ずっと気持ちよさを感じながら過ごせるのを感じます。曇りが晴れてすっきりとした気持ちで目の前の人にも自分がやるべきことにもむかえるのを感じます。セブンブリッジの準備の過程も気持ちよく感じました。

 こわいと感じながらも動いてみると、それ以上に喜びと新しく知るものがあって、やってよかったと感じます。「ありがとう」と温かい言葉をかけていただきます。お客さまの探しているものを言葉から汲み取り、これかなと思って案内したとき、「そうこれこれ」と言ってもらえると嬉しいです。これまで物は見たことがあっても名前を知らなかったものの名前を知ったり、こんなものがあったんだと新しい発見があることも。それが増えていくごとにこわさが減っていき動きやすくなるのを感じます。動くと何倍もの喜びが返ってくるのを感じます。

 まだ不安定ではあるけれど、もっともっと“お父さんだったらどうするか”を強くもって生きていけるようにしていきたいと感じました。もっと深いものにしていきたいと感じます。

 昨日のお風呂では、みんなからキャンプの準備のことや妖怪についての発見などを話してくれて嬉しかったです。私もキャンプにむけてできることをやりたいなと感じました。

 ゆうはちゃんも一緒だったのですが、いまなのはなのみんなといて安心すると話してくれました。やわらかい笑顔で、素直に感じたことを話してくれるゆうはちゃんが素敵だなと感じました。

 今日の夜のお仕事組の会合は“サイコロトーク”です。どんなお題があるか楽しみだなと感じます。