「希望を感じる」 つき

4月13日(日)

〇今日の気付き

 私は、これまでできないことが恥ずかしい気持ちや、できないことを一生懸命乗り越えようと努力することが、できなことをさらしてしまうようで怖くて恥ずかしかったです。

 でも、今朝アセスメントに向けてベースの練習をしている時に、ヘタなことやできていないことへの恥ずかしい気持ちが少なくなっていることに気付きました。いつもベースの練習をしていて、その空間に人がいると、落ち着かなかったりボリュームを小さくして聞こえないようにしたり、ベースの大先輩のさやねちゃんがいるだけでも緊張して、とても弾けないな、と思っていました。

 今日は、嫁入りをしているみんなが体育館の後ろにいて、音が聞こえるかもしれないことがあまり気になりませんでした。ベースを弾くのに少し時間が空いて、失敗することが何度もあっても、それを聞かれても別にいいや、という気持ちで集中できました。

 これまで、できないことが恥ずかしいという価値観が大きくて、それよりも一生懸命努力することが大事できれいな姿だという事実が本当には分かっていなかったのだと思います。瞬間的にそう思えることはあっても、自分の根本の価値観は親からのもののままだったから、自分が努力することができなかったり、努力することを恥ずかしいと思ってしまっていました。

 新しい師匠であるお父さんの価値観へとすっぽりと入れ替えることは、これまでなのはなでたくさん教えてきてもらったけれど自分では実感できなかったことや、理解ができなかったことを理解できて、私が本当は優しく生きたいと望んでいたい持ちとマッチする感じがします。とても心地が良いです。私は、ずっとしっかりとした目的もなく、流されて生きてきてしまって、よく生きたいと思う気持ちを諦めてしまっていました。でも、こんなふうにありのまま一生懸命で、優しい気持ちを自然にもってい生きられるのであれば、今は未熟すぎるけれど、これからはちゃんと生きられるのではないか、という希望がなんとなく感じられています。