「シンプルな答え」 つき

4月9日(水)

〇ミーティングの感想

 お父さんを師匠にするとは、お父さんを鏡にして、自分を映すこと。自分が間違っているの、合っているのか、答え合わせをする。

 私は、お父さんに対しての信頼よりも怖さの方が勝っていました。それは、良く評価されようとか、嫌われないようにしようとしていたからでした。受け身でしかなくて、能動的にお父さんに評価されに行くとしたら、嫌われても評価が下がっても良くて、自分が成長できたらそれでいい。本当にそうだと思いました。

 自分で責任をもって自立しないといけないというおごりと焦りがあって、信頼すべき師匠のお父さんを飛び越えて、自分に残っている親の判断基準でお父さんの教えてくださることを取捨選択して、いいとこどりをしているだけで、全然お父さんのことを信頼していないし、尊敬もしていなかったと分かりました。だから、こんなことでお父さんのところに言ってはいけないと思うことがたくさんあったし、それで低い評価をされるかもしれないという恐れの方が強かったです。自分で切羽詰まって、大変になったり、迷走して時間が解決する、という無駄なことをしてしまっていたと思います。

 でも、もうお父さんのことをすっぽり真似したらいいだけなんだと分かりました。自分でどうにかしようとかしなくていい。自分で考えなきゃいけないじゃなくて、お父さんだったらどうするか、お父さんだったらどう思うか。それだけでいいんだと思いました。私にとっても目からうろこでしたが、それだけですごく楽になりました。それで分からなかったらお父さんに質問したらいい。間違えていたら修正するだけ。幼稚な質問だったらどうしようとか思うけど、それが分からないんだから仕方ないし、それを解決して分かっていく方が大事、どう思われるかなんて、格好悪いんじゃないかなんて、思われても自分を映すためのお父さんなのだから、いいんだ。それを恐れる必要は全くないんだと分かりました。それが分かっただけで、お父さんが怖い気持ちもほぼなくなった気がします。

 お父さんが、顔真卿の話を元に、16年かけて真似したらいいとはなしてくださいました。私はお父さんのことをこれまで真似したことがあっただろうかと思うと、全然なくてこれからがスタートです。今までは、質問も疑問もなかったけれど、貪欲な気持ちが出てきます。きっと、見えてくる世界が全然違うと思います。

 お父さんだったらと考えて過ごすと、夜の太鼓はいつもと少し違いました。自分の世界だけではなくて、みんなを感じて、全体の中で叩いている感じがすごく自然に感じられました。自分にこだわらない感覚。もう自分はいらないんだと思いました。お父さんだったらどうか、お父さんになりきる。自分がどうかと考えていたから分からなかったし苦しかったのだと思いました。どっちにしても私は元々自分がないのだから、素直にお父さんを真似するだけ。すごくシンプルでした。

 また明日、どう過ごせるか、楽しみです。