4月7日
昨日、お父さんの価値観で生きると決心して、今日1日を過ごしました。自分に変化が起きたのを感じています。
自分がした行動に対して、お父さんはどういう声掛けをするか、考えて動きました。まず、いつもは時速8kmを守れず、飛ばして走ってしまうフルメニューです。自分はどこか、「すごい、速いね」と言われたいがために、欲を出してかなりスピードを出していました。何度も実行委員さんやお父さんに、「競争や記録を残すことが目的ではなく、しっかりスピードを守って完走することが目的」と言われていたのに、自分勝手な判断で走っていました。
今日は、自分の走る様子を見てお父さんにどういう声をかけてもらいたいかを考えて走りました。コバンザメ走法で、誰かの後ろにつくことを徹底しました。みんなにも、お父さんにも、自分自身にも後ろめたい気持ちがなくなって、純粋に景色や走ることそのものを楽しめました。
掃除をしていても、ただリーダーさんの指示のとおり動くことが、自分はこんなにもできなくて、かなりわがままを通していたなと実感しました。
今まで、「自分はこうがいいと思います」と、提案を多くしてきたと振り返りました。それは自分が指示された内容が嫌だとか、作業を選びたいとか、そういう理由です。
人に自分の気持ちを預けることが、難しいことで、できていなかったと分かりました。素直に従うことができたら、作業が気持ちよくできるし、人間関係もとりやすいと感じました。
家族の前でいい子でいることと、お父さんの考える通りに行動することの何が違うのだろう、と、昨日は少し分からなくなっていました。でも、今日理解したことがあります。
今日、お父さんは自分の目の前にいませんでした。自分が今日した行動も、報告しない限り、お父さんは知らないと思います。でも、「お父さんがいるつもりで、もしその場にいらっしゃったら、自分がどう動いたら喜んでくれるだろうか」そのことを考えました。親に褒めてもらうために頑張るのとは、そこが違うと思います。
自分の行動が合っているか、間違っているか。今まで自分自身でしてきたその判断が間違っていた、あるいは判断基準そのものがあいまいだったからこそ、うまく生きられていませんでした。
だから、そのお父さんの価値基準を自分のものにして動いたらいい。実際今日はそれを考えてうごいたら、自分自身や周りの人、作業に対して怖さがなくなりました。正直に、素直に、従順になること。私にとっては難しいことだった、でも理解して覚悟を決めたら、意外と簡単なことだった。早く回復するための扉を開くことが、少しできたかなと思います。
今日の午後は、桃の人工授粉の作業をさせてもらいました。すごく桃にとって大切な工程だと思うのですが、そんな作業に関わらせてもらえてうれしいです。
作業は、ミツバチになった気分でもあり、一方で「はなさかじいさん」ならぬ「花散らしばあさん」になったようで、少し胸が痛い気もしました。
まず夢白の人工授粉をするために、開花したはなよめの桃の花を摘んでいきました。夢白は、花粉がない特殊な品種です。はなよめの花粉を、人間の手で夢白の花に受粉させます。めしべの柱頭に花粉が触れたらOKで、正直こんなに少しで大丈夫なのか、と心配になるほどでした。
はなよめの開花した花を摘んでいくのは、いけないことをしている気がして背徳感がありました。摘まれてブルーシート一面に散っている花もとても切なくてきれいだったし、あんなに摘蕾したのに木に咲いている花は見ごたえがあって、桃の生命力を感じました。
白鳳は、花粉をもっているので、耳かきの先端のようなものでおしべやめしべに触れるだけで受粉が完成します。ミツバチになった気分で、楽しかったです。
実際にミツバチが飛んできてくれたのも目にしました。みんなで、歓声を挙げて喜びました。前はハチを見ても何も感じなかったけど、なのはなでミツバチの貴重さ、偉大さを知ってから、ミツバチを本当にいとおしく感じるようになりました。さくらちゃんたちの待ち受け箱の効果もあって、今年はたくさん来てくれたらいいなと思います。
みんなで、桃の花のお花見がしたいねと話しながら、作業を終えました。桜の花見はよくあるけど、桃の花見は初めてで、なのはなのみんなとやってみたいなと思います。でも今日も花見のようなもので、かなり春を満喫できた日でした。