4月6日
○ミーティング
今日のミーティングの講義を聞いて、まなかちゃんとまみちゃんとOMTをさせてもらうなかでと、そのあとの講義を聞いて、気付いたことがありました。
OMTをしたときに、最初は自分のなかで渦巻いている、尊敬できない理由を話していました。自分は好かれるような人間じゃないから、尊敬できるような人に近づくのが怖い。いつか見限られるだろうという気持ちが奥底にずっとあって、そんな心配をしながら人に向かうのはもう嫌だ。自分が分かってないことを分かっている人、というのは、その部分で私を攻撃してくる人だから離れていたい。
昨日の作文も、お父さんが言うような尊敬なんてできてないことは分かってて、分かっているけど怖さが勝ってどうしようもないんだよ!と、投げやりな気持ちになっていました。
OMTをしていて、3人だったので最初の1人だけ1回多く話す順が回って来たのですが、その最後の1回のときに、人生の師匠にした人の考え方とか生き方とかを全部自分のものにしようと思うだけでいいんだ、と思いました。私はいい弟子になって師匠に庇護してもらおうと思っていた、と思いました。でも、師匠との関係は、映し鏡で師匠に自分を映す、という形で関係をとるけれども、こうなろう、という自分の意志だけでいいんだ、と思いました。
そんなことをぼんやりと思ってリビングでもう一度お父さんの話を聞かせてもらって、尊敬っていうのは、相手の持ち味をしゃぶり尽くして自分のものにしてしまおうということ、と教えてももらって、目から鱗というか、鱗的な何かがぽろっと落ちた感じがしました。
私の思っていた「尊敬」とかそういう言葉の意味や形、関係ごと間違っていたからあんなに怖かっただけなんだ、と気付きました。お父さんお母さんは私が身を置いてきた考え方とは全く違う考え方をする人だっていうことを今更ながら感じました。
なのはなのお父さんとお母さんの生きる楽しさ、おもしろさ、優しさ、悲しいこと、怒ること、考え方、感じ方、一旦全部真似して、自分のものにしよう、と決めて実行するだけでいいんだ、と思いました。私が不安になっていたことは、何も関係なかったんだ、と思いました。
「自分は好かれない人間だ」という自己否定感が消えたわけじゃないし、その決めた気持ちを持続させなければ簡単に症状に足を取られるだろうということも感じるけれど、そうやって真似ているうちに、この根本にある否定的な気持ちも消えていくんじゃないか、という気もしています。
とりあえず、分かったことを分かった分だけ実行したいと思います。
全然関係ないですが、先週のハウスMTで電話で、ある1人のお客さんに対応するのに頭の切り替えが間に合わない、という相談させてもらって、それは間に合わないから一旦保留にしてまたかけ直したらいい、と教えてもらった次の日に、そのお客さんから決算だったこともあって1日で3回電話が来て、(相談しておいてよかったー・・・!)と全力で思いました。一旦保留にしていいと思ったらちょっとだけ心に余裕が持てました。ありがとうございました。
読んでくださってありがとうございます。お休みなさい。