「あやちゃんの言葉」 すにた

4月4日 

 

〇さやねちゃんとの作業

 

 今日の午後は、さやねちゃんと一緒に昨日定植したビーフレタスの水やりに入らせてもらいました。
 さやねちゃんとは、ミーティングのバディーで。そのバディーの発表以来からよく、さやねちゃんの助手に乗らせてもらったり、二人で同じ役割の作業をしたり。
 今まではあまりさやねちゃんとどうこう良く関わるということはなかったのですが、こうして、最近は良くさやねちゃんと一緒にさせてもらうと、感じることもたくさんあります。
 さやねちゃんとは、相性が良い悪い関係なしに性格は真逆なのかなと思っていたりして。けど実際に関わったり、作業する中で、自分に足りてない部分をさやねちゃんが持っていたり、自分ができないところはさやねちゃんがカバーできたり。何かお互いに助け合える部分があるのかなと感じます。
 あまり何か良くしゃべるわけではないのですが、さやねちゃんの軽トラにのらせてもらうときに花の名前や、春の花が咲いていることや。自分にはよくは詳しくない花の事だったりも、一緒に咲いていることを見れるのも、心が温かくなるなと感じました。
 さやねちゃんの持っているやさしさや、温かみが普段のせかせかな自分を自然とこう包み込んでくれるようで、そんなことも少し感じます。
 ミーティングを通してももっとさやねちゃんのことを知っていきたいなと思います。

 

〇あやちゃんの言葉

 レタスの水やりでは、ホースを二分岐し、エンジンポンプで2人で水やりをする。というので、やりはじめて、補充はセロリの水やりの補充をしているどれみちゃんが両方補充するよ。と言ってくれていたのですが、実際に水やりをしてみると思ったよりも水が減るのが早くて、補充がどれみちゃん一人では追いつけないね。となりました。
 そこで、さやねちゃんにも補充をしてもらい、水やりが1人になってしまうので、大人数作業の人からあやちゃんに水やりに来てもらい、水やりを回しました。
レタスの水やりが終わり、私たちは、次のじょうろで水やりをすることが残っていました。
 あやちゃんには、「大人数作業に戻ってもらって大丈夫です」と言ったけど、じょうろで水やりするのを助けてもらえるとうれしいな。と思っていたら。
 あやちゃんが「私なんの作業でも大丈夫です」と快く言ってくれてじょうろの水やりを助けてくれました。
 その時のあやちゃんの言葉にああすごく素敵だな。と思いました。
 自分の意思にも迷わず、すぐに、「大丈夫ですよ」と言えるのがかっこいいなと思いました。
 それと同時にふと自分は、作業をえらんで、良い、悪い、好き、嫌いのように見ていて、来たときは作業をえらんでいたことを思い出しました。
 何がよくて、何が悪いとか。好きだとか、嫌いだとか。そういうのじゃないんだよな。と思いました。
 そうじゃなくて、一番大切なのは、昨日の誕生日のまことちゃんのように、自分はさておき、相手の利益、100パーセントで行動すること。それにしか尽きないんだなと思いました。

 私は最近、自分の行動、していることにいちいちこれはあっているのか。間違っているのか。これでよいのか。どうなんだろ。と思うことがたくさんありました。

 そのことに対して、2つの事を考えました。

 1つはそう、自分があっているか、まちがっているかじゃなくて、さっき書いたみたいに、そう自分が行動するときに、まず一番に相手の気持ちを汲んで、それに思う一番ベストの行動をしたらよいんだ。まことちゃんのように。
 もう1つは、この前のハウスミーティングの時に、「信頼関係について」
 自分は信頼関係があるのか、分からない。”という質問に対して、自分はこの人と信頼関係があるか分からない。思った時点でない。自分はこの人と、信頼関係があると思っていたらある。
 相手が思っているか、どうかじゃなくて、自分がどう思っているか。だよ。と教えてくださったことに今回のこともつながるんじゃないかと思いました。
 相手に対しての行動であっていいるか、間違っているか問う時点でそれはどこか自分の中で、人の顔色をうたがって、合っているといってほしいだけで、合ってなくて。あっているときは自分で堂々と行動できる。このこともあっているか、あっていないかじゃなくて、自分がどう意思をもっているか。ハウスミーティングのお父さんの回答とこのことも少し似ているように感じました。
 そのハウスミーティングの時に自分にも当てはまるような
「人をみて、人をえらんで、ちゃんとやる。ちやらない。と、人を見ているんだよ。」
「僕は自分の中の神様を見て、行動している。誰が見ている居ないじゃなくて、僕は自分の中にいる神様に従って行動しているんだ。」(少し自己流の言葉になっていたらすみません。)

 そのお父さんの言葉が本当にかっこよくて、ああ、自分もこの言葉を堂々と自信をもって言える人になりたい。そう思えました。
 話がすごくひろがってしまったのですが、今日はそのあやちゃんの言葉を聞いて、胸がはっとさせられ、私もそんな風に自分の中の神様に誓って、誰が見ていようといなくても、よくありたいです。

 そう感じて思った日でした。