「今度は私が」 るりこ

4月4日(金) 

*怖さを捨てて、理想に向かう

 お父さん、お母さん、おはようございます。
 朝から気持ち良く晴れていて、明るい空を見るだけで、今日も頑張ろうという気持ちになれます。

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 最近、出勤する車の中で、オリジナル曲の『キボウ』を聞くことが楽しみになっています。
 先月の町民音楽祭で『キボウ』と『空へ』を聞いたとき、この歌詞を書いてくださったお父さんに自分たちは本当に深く理解していただいていることを感じました。
 曲を聴いて涙が出る、という経験がこれまでなかったけれど、この2曲を聴いたときは、(あぁ、本当にお父さんはどこまでも理解してくださっているのだな)という安心した気持ちと、(自分には同じ志をもって生きていく仲間がたくさんいる)ということを強く強く感じて、その嬉しさで自然と涙が出ました。
 今の自分にとっても、また、これからの自分にとっても、お父さんとさとみちゃんが作曲してくださった、この2曲は、ずっとずっと大事にしていきたい曲だと感じます。

 だから、この曲を1日の始まりに1回でも聞くと、必ず勇気が湧いてきます。

 特に『キボウ』の、
「僕が君を支えられたら 君は僕を助けてくれる 僕は君のために生きる 次に繋がる人のために」
 という歌詞の部分に、毎回、心が動きます。

 これから自分はどんな未来を描いて、その理想に向かってどう生きていくべきなのかということが、この歌詞を聴くと、はっきりします。

 つい昨日、仕事先でみなさんと話をしていたときに、「どんな目標をもって働いているか」という話題になりました。
 1人の方にそれを尋ねると、「何だろうなぁ。考えていなかったな」という答えが返ってきました。
 わたしはぱっと浮かんできました。
 目標というより、向かうべき方向という方が正しい言い方かもしれませんが、いつか必ず、どんなバックグラウンドを持った人でも、ここなら受け入れてもらえると安心できて、それぞれが持っている能力を最大限にパフォーマンスしながら、誰もが活き活きと楽しく働ける店舗、またはソーシャル・フィールドとしての働き場をつくっていくこと。

 それが今のわたしの大きな目標で、このことを思うと、自然とモチベーションが上がります。

 いま、働かせてもらうなかで、日々の忙しさに追われているときもあるけれど、ふと立ち止まって、何のためにこうして働いているのかということを考えるとき、この目的を思い返すと、ただの労働にはしたくない、仕事を通して成長するんだと強く思えます。
 自分がいまやっていることを、見ていることを全て吸収して、自分のものにして、まだ見ぬ誰かのために活かせるくらい、人として大きく成長して、必ず自分が果たすべき使命を果たしていく。

 そう思うと、どんなに疲れたと思っても、毎日を全力で向かいたいと思えます。
 少し話が逸れてしまったけれど、『キボウ』は、そんな自分の気持ちを毎日正してくれる曲です。
 仕事前に『キボウ』を聴くことで、なのはなの気持ちを持って仕事に向かうことができます。
 まだ至らないところばかりだけど、目的をもって仕事をするのと、ただ働くのではやることも見える世界も180度変わると思っています。
 だから自分はしっかり目的をもって、自分が苦しんだからこそ、同じ生きにくさを抱えた人でも安心して働くことのできる居場所をつくるために、その勉強と修行だと思って、仕事に向かいたいです。

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 ミーティングも終盤に差し掛かりました。
 遅れ遅れではありますが、講義ビデオを見て、作文書きを進めています。
 講義ビデオは、そのときのお父さんの表情、声色、トーンなどがそのまま共有できるので、大事な部分が入ってきやすいと感じています。

 前回のテーマで、「回復する怖さ」について作文を書かせてもらいました。
 どうして回復する怖さがあるのか、とても漠然としていたけれど、そこにしっかり向き合って、言葉にしていくことで、はっきりとしたものに気がつきました。

 わたしは、自分はダメだなとか、やっぱり自分には普通に生きる能力もないと感じたとき、強く気持ちが落ちます。
 また、人からダメだと思われたとか、評価が下がったと感じるときも、同様に気持ちが激しく落ち込みます。
 自分で自分に対しても、また人からに対しても、「ダメ人間」と太鼓判押されることに対して、ものすごく恐れる気持ちがあると思いました。
 それが何でかと考えていくと、テーマ1で振り返った、心の傷に直結していると思いました。
 わたしは育ってくる中で「できない自分は、存在してはいけない(存在する価値がない)」という考えを強く持ってしまったことに気がつきました。
 優秀な人は存在していいけど、優秀じゃない人は存在する価値がない。
 言葉にすると、すごくきついけれど、わたしはいつもそうやって、自分が存在しても良いと認めてもらえる居場所を探そうと必死になって生きてきたのだと思います。
 だから、少しでもダメなところを指摘されたりすると、存在する居場所がなくなるような不安に駆られて、極端に落ち込むのだと思いました。
 そして、その対策として身につけたのが、人に心の内側を見せない「自己完結型人間」と、怒られる怖さから逃げる「回避性人格障害」的要素です。

 それが今でも人格の歪みになっているのだと思いました。

 こうして見ても、心の傷と人格の歪みがストレートに繋がっていることがわかります。

 このことに気がついた上で、克服する決心は書きやすかったです。
 本来、優秀だから存在していいとか、ダメ人間だから価値がない、とか、そういうのはなかったはずです。
 理性でわかるように、この考え方を完全に取っ払うことが第一の前提になります。
 克服に向かうには、まずは、自分の中に埋め込まんでしまった考え方を手放すこと。
 そもそもダメ人間、良い人間なんてない。
 そこにいつまでも拘るのをやめて、本来自分が持つべきはずだった能力をいち早く取り戻して、自分の人生をきちんとつくっていくべきです。
 これまで、小さい世界で狭い視野しか持てなかったり、心も身体も恐縮した状態で生きてきました。
 ですが、怒られる怖さ、失敗する怖さ、できない自分をさらしてしまう怖さは、もうわたしの人生には必要のないものです。
 逃げもしないし、飾りもしないで、等身大の自分で生きていく。
 そこに能力は出来、不出来は関係なく、それよりも人としての心持ちの方がずっとずっと大切だと思いました。
 人を大事にできる人になっていきたいです。誰かを守れる大人になっていきたいです。
 どんな自分であろうと、存在していいと思える居場所を、今度は自分が作る側になって、生きていきたいです。
 今の自分はまだまだだけど、いつか必ず、目の前の人に1番優しい選択ができる、強くて優しい大人になっていきたいです。

 だから、必ず克服します。読んでくださってありがとうございました。 
 そろそろ仕事に戻らなければならないので、また頑張ってきます。

 こうして前向きな作文を書いてからの仕事だと思うと、より頑張れる気がします。