3月21日
自分が思っているより、ミーティングで気づきを得ることでの心への負担は大きいのかな、と思いました。私は夜中に急にものすごくお腹が痛くなって眠れなくなることが1か月に1回くらいの頻度であって、昨日もそれが来ました。
たぶん原因は気持ちの問題なんだろうなと思いました。変わりたいという意欲と今の自分のギャップ、今までの価値観を捨てることを今していて、正気では大丈夫、何の問題も無いと思っていても、身体は処理に時間が掛かるというか、びっくりしているところがあるのかなと思いました。
今朝は金曜日の朝食当番でした。
今日もお味噌汁を作らせてもらいました。セロリを出したり、ものを出したりしまったりと、ほんの少しずつですがだんだんどこに何があるか覚えてきたなと思います。
今朝は配膳がものすごくスピーディーに進んで、10分前には全て終えることができました。こんなにスムーズにできたのは初めてで、嬉しかったです。
お味噌汁も直前まで温めて、さとえちゃんと熱々で出すことができました。挨拶をしていると、一番に相川さんが食堂に入ってきてくださって、朝から相川さんの笑顔を見てとても嬉しくなりました。
今日は昨日より温かくて、ランニングが気持ちよかったです。
おとちゃんやたけちゃんを抱っこしているまなかちゃん、相川さん、まちちゃんが車で移動しながら応援してくれました。にこにこ笑顔で沿道に立っている姿は、まるでどこかの家族連れのようでした。一緒にアヒルを見た時間もすごく嬉しかったです。
誰かが応援してくれているだけで、こんなに嬉しくなるんだなと思いました。
午前はミーティングの時間でした。
今日は、傷から受けた人格への歪みを作文に書きました。私たちは、妖怪になって人格障害の症状を出すことを、自分を守る方法にしていたと知りました。
なぜそうなってしまったのか。最初はぱっと思いつかなかったのですが、書いてみると止まらなくなって、どんどん自分の中の蟠りが取れていくような感覚になりました。
私は子供の頃からちょっと変わった人なんだと自分で思っていたし、周りからもそう言われてきました。
変な人と生まれついた以上これはもう直せない、付き合っていくしか無いんだと半ばあきらめの姿勢でした。こんな人格障害が強く根付いていて、当然人とうまく関係が取れなくて、取れたとしても上下の関係しかとれませんでした。
幼稚園、小学校では私が子供なのにに大人びていて、どこにいっても私は変な人として浮いた存在になって誰とも同じ土俵で心を通わせることができませんでした。
心細かった私はもうこの変な自分を好きになるのは自分しかいないんだと思い、自分で自分を好きになり、自分で自分を肯定するようになったのだと思いました。変なら変なりに生き抜いてやろう、そんな挑戦的なスタンスでした。
物心ついたころからこのクセを身につけていた私が、今回のミーティングでそれは諦めなくて良くて、直せるものだと知って、言葉にできないほどの衝撃を受けています。
嬉しい気持ちもあります。もしも、私が変な人、人格障害的要素を切り離すことができたのなら、もう自分で自分を肯定しなくてもいいし、どこに行ってもすっと溶け込めて、自分を守らなくても生きて行けて、どんなことにも興味を持っておもしろがってできるようになりたい、と思います。
個性なんて本当に微塵もいらないんだな、と強く感じました。
午後は桃の摘雷の作業に入らせてもらいました。
今日はなんと相川さんもいてくださる中、みんなで新桃畑と池上畑を進めました。
休憩中のゲームの×ゲームが尻文字と発表されて、絶対に負けたくない。たぶん負けないだろう。と思っていました。ところが負けました。こういうときに限って負けます。
結構本気で嫌だったので、最初は渋っていました。ああプライドが高いからだな、言い訳しないでちゃんとやろうと思い、やりました。でもやっぱり恥ずかしかったです。
巻き添えのような形でゆきなちゃんと相川さんもお誘いさせていただきました。
相川さんは尻文字でも何でも嫌がらずに引き受けてくださるので、本当心の広い方だなと思いました。私だったら尻文字だけは絶対に嫌! と言ってしまうと思います。
何はともあれ、今日も楽しく摘雷を進めることができて嬉しかったです。
明日は久しぶりの演奏を見ていただく機会に恵まれて、嬉しいのですが久しぶりなので、これから練習をしてきます。
読んでいただきありがとうございました。