3月20日
今日のミーティングの時間がとてもうれしかったです。
これは毎回毎回思わせてもらうことなのですが、今回のミーティングを自分が受けていなかったら、どれほど恐ろしいことになっていたか。人生が成立しないくらいまで、普通に達してしまう恐ろしさ。
今回のミーティングを受けさせてもらえてそのことをきちんと自分の中に入れよう。そう思えることが本当にありがたくて、これは私がなのはなに来てなかっら絶対にこんなにも救われたことはなかっただろうし、今も生きていないだろう。と思います。
なのはなという選択肢が私の人生の中にあったこと。そこに出会えたこと。それが、今は浮かれるくらい自覚していなかったんだなと思いました。今回の“人格障害的要素”のミーティングを受けるまで、自分の障害的要素、症状、病気、甘く見ていたことに気づきました。
それも、昨日自分の中で、過活動と全力との違いが分からなくなり、そんなにないんじゃないか。と思う気持ちがあったのも逃げだったことに気づきました。
その時の自分は今日、サーキットトレーニング自分はしなくても別になんとも思わなかった。だから何もそんなことないんじゃないか。そう思っていました。
けどそれは違います。表面的にも、症状が出ている。出ていない。その原因探しをしても何も意味はないのです。何も変わらないのです。そうじゃないのです。
それを気にしているのは、“自分は今回のミーティングで取りこぼしがあって、本当に気づくところに気づけなかったらどうしよう。”その不安がものすごく大きい。だから私は大丈夫だ。と思いたい。安心したい。安心したい材料が欲しい。合格といってほしい。そういう気持ちからきているものです。
症状が出る。出ない。どうこうを気にしている時点で症状はあります。
けど、このままではいけないな思いました。安心材料も何もいりません。
今回の自分の人格障害的要素を書いてみて、自分がどれだけひど、恐ろしいものを持ってしまっているのか、それを深く知りました。
書きながらにも自分が今まで、自分は大丈夫という安心材料を探していた分、それとのギャップがものすごく大きくて、驚きました。
私は立派な誰がどこからどう見ても持っている“強迫的人格障害”です。
それも自分はこう、なのはなに来てからそれだけ強迫的要素で死にそうになり、つらくなり。人生がもう成立しないまで、ぎりぎりなところを立っていたのか。
それがつらかった。とだけでスッと覚えていただけで、“強迫性人格障害”でこんな風になっていたと知った瞬間から記憶の風景がぱっと変わったかのようです。
自分の強迫性人格障害はものすごくすさまじいほど、ひどく恐ろしく、それをなかったかのようにそう思っている自分にそれはもう、やめな。自分。と思いまいた。
知らんふりをするのはやめな。自分。と思いました。
その時から、お父さんはチャラチャラ妖怪って言ってくれたけど、やっぱり自己完結型じゃない?”とか、“ハウスミーティングの時にビーエムアイが16だったこと。をやよいちゃんはきいてすにちゃんは何とかとか思われたんじゃないか。”とか。
そんなことも全部、もうやめな。自分の我を通すのもやめな。自分の言い訳探しもやめな。もういいだろ。
そう思った瞬間、どうでも良くなりました。
もう、自分なんか、取り繕う必要なんか何もない。なのはなここは実験台の場でもあるし、ここで何を取り繕う必要がある。まったくないじゃん。
もう、自分に言い訳を探して、作っていうのもやめた。
自分らしく、今の自分を堂々と見て、理解してよい意味でも自分のことを他人事をして、すべてを丸裸にさせて一から作り直せばいい。
そうはいっても元々、自分以外のお父さん、お母さん、スタッフさん、なのはなのみんなも自分のことをよくよく知っているだろうし、何が自分の成長を止めていたって、自分が自分を隠していたことで、自分を守り通していたことで、なっていたことなんだな。
そう思うと、もうお父さんは自分以上に自分を知ってくださっていること。
それをあとは自分が受け入れる。そのことができなかったこと。
失敗、外れ、間違いという道を通ることが恐れるがままにずっと避けていたのも、それが一番の遠回りで、何も前に進めていないこと。
注意されるされることを恐れて、良い振りをしていたけど、それは何ひとつ隠せてませんよ。ということ。
ここは実験台であり、自分自身を一から作り直していく場所である。とお父さんがおっしゃっていたように、こんな風に間違いをきちんと間違いだと言ってくれる人はここにしかいない。
だからしっかり間違えることは間違えて修正していけばよい。
相手も誰も比べることも気にすることもない。
敵にする必要も何ひとつなくて、自分と同じ苦しみをもって生きてきた人で。その人を仲間と呼んで、一緒にお互いにお互いを支え合い、助け合い、理解し合う。その分自分自身も相手にもお互いを良くしていくことにもつながる。
そんななのはなファミリーというところに自分がこうして今も迷路にさまよいながらもこうして、生きる道を自分たちの手で、実際につかんで、仲間と一緒に回復していけるミーティングがすごくありがたいことです。
毎日毎日発見だらけで、理解できないことだらけで、昨日のことが理解できて、明日になったらまた理解が増えているかもしれない。
それを自分自身で実感しながら体験しながら進んでいけることがすごく楽しくて、面白いことだらけです。
昨日より、今日。今日より明日。自分を深く知って、たくさん吸収していきたいです。