「向き合う勇気」 ほのか

3月18日

 午後に、ミーティングで自分の評価をプロットした表を返却されました。

 私は、お父さんお母さんの正しい評価を見てショックを受けました。

 私の評価は現実より高く、それはちょっと違っていると薄々気づき始めていたものの、甘えがあって悪いところを悪いと振り切って認めることができていませんでした。ちょっとマシなところにプロットしていたところを、バシッとお父さんお母さんの正しい評価を受けて、やっぱりそうなのかと、そのショックは思ったより大きく感じました。今までお父さんたちの優しさではっきり言われなかった部分をそのままバシッと受け取りました。

 これは苦しいが受け止めなくてはいけない事実だと思いました。

 そうだよな、と思いつつ心では残念感が強くて、恥ずかしい気持ちでいっぱいで、その場にいられないくらい涙が止まらなくなりました。かなり泣きました。自分に対する残念な気持ち、悔しい気持ち、恥ずかしい気持ちいろいろ入り混ざって、前にも後ろにも進めないどうしていいかわからない気持ちになりました。
 もうふさぎ込んで拗ねて逃げることも考えましたが、そう振り切る勇気も無くて、でも希望を持つには今の自分にはハードルが高すぎるような気もして、気持ちが静まるまで考えました。

 居室に座っていると、まえちゃんが来て、「大丈夫?」と声を掛けてくれました。

 まえちゃんが教えてくれたこと。

 ショックなことは無理に我慢して無いことにしないで、ショックとして受け止めて良い。
 20点とか点数のつく通信簿ではなくて、材料のひとつ。通過点。自分の評価とどのくらいずれているかをわかればいい。良い、悪いという判断ではない。
 まえちゃんも過去に「ここにいていいんだろうか」と思うほど悩んだときもあったけれど、歪みを修正してきて、今も修正途中。誰もが通る道。自分の育っていないところ、歪んで積み上げてきてしまった物を切り貼りするのではなくて、新しい価値観を入れるということ。新しい価値観が入ったら日々の生活でどんどん新しい自分になっていく。今はまだ最初の段階で、これからどう修正していくかが大事。

 その言葉を聞いて、ちゃんと向き合う勇気が出ました。まえちゃんの大きな優しさに救われました。

 どれだけ私がダメ人間でも、今の状態だけを見て悲しくなるのをやめて、視野を広げてみようと思いました。冷静になって考えてみると、今までふとした時に感じていた違和感や日常生活の中での微妙な空気、自分の状況など、自分の歪みから生じていたぎこちなさを思い出す場面が多くありました。

 作文で、今まで自分の中で無いことにしていた無自覚の悪い部分を洗いざらいかき出しました。全部書いてしまうのは怖さがあったけれど、もう今更隠すとか取り繕う必要は無いし、もうみんなわかってるんだから、あとは自分の問題なのかなと思いました。そうそう、こう思っていたんだよなと思いながら、バラバラだった表と裏が一致していく感じでした。今までお父さんにハウスミーティングなどでいただいた答えが次々に思い出されました。今日本当の自分を知ることができなかったら、私は一生裸の王様のまま生きて行くことになるんだと思うと、恐ろしくなりました。

 今日、ものすごく泣いて、ものすごく残念に感じたけれど、ものすごく助かったと思います。今日が無かったら、私はずっとこのままで、いつまでたっても成長できなくて、数ヶ月前と同じ悩みを抱えてしまうのも、ずっと変わらなかっただろうと思います。だから、ありがたい機会だったと思います。

 それに、このくらい現実を突きつけられてショックを受けないと傲慢な私は変わることができないだろうと思いました。

 改めて、私はものすごく歪んでしまっているなと思いました。なのはなに来てからも、ちょっとした瞬間に感じてきた違和感、苦しさの根拠がちゃんとあったんだと思うと、少し安心したような気もします。そこにあぐらをかくのではなくて、根拠を見つけたからにはピンポイントでアプローチして軌道修正していきたいです。

 私は自分が恥ずかしくて、みんなとはかけ離れてダメ人間というレッテルを自分で貼り付けてしまったから、なかなかリビングに戻る気になれませんでした。
 けれど、よく考えると「なのはなに今自分がいる意味」「だからこそなのはなにいるんだ」ということを強く感じました。今の私は一応3食食べられて薬にも頼らず眠ることができて、それなりに身体を動かすこともできているから、それが自分の中でマンネリ化して自分がなぜここに来たのかを忘れてしまっていました。自分が摂食障害だということも忘れて、症状が今止まっているから治ったと勘違いして、傲り高かったと思います。

 今日、発展途上の自分が目に見えてわかって、ものすごく恥ずかしかったけれど、それを隠さなくても、取り繕わなくても、なのはなだから、なのはなにいるからみんなと修正していけるんだと思うと、ここにいていいのかもしれないと思えてきました。

 自分を実験台にする気持ちで、恥ずかしさや傲りを捨てて、改めてちゃんと治っていこうと思えました。目に見えた症状が止まっていても、次の瞬間には大泣きしたり、極端な思考に飛んだり普通に戻ったりを繰り返してしまう自分の不安定さ、摂食障害という病気は本当に油断ができない、侮れない病気だと思いました。謙虚に、自分を過信せずに生きて行きたいです。

 夕食後洗濯物たたみの当番をしていると、ゆうなちゃんが「元気ないね、大丈夫?」「ほのちゃんのこと大好きだし、本当にかっこいい、すごいなーっていつも思ってるよ」「ほのちゃんが元気ないと私も悲しくなっちゃう!」と声を掛けてくれました。ゆうなちゃんの優しさに心が温まって、本当に嬉しくなりました。私は普段明るいから、元気が無いときはすぐみんなにばれちゃうんだなと思いました。
 まちちゃんと話したときも、私が今日大泣きしたんだと言ったら大爆笑で、その大爆笑を見て私も笑えてきました。何気ない話や、真剣な話でも、まちちゃんとだったら笑いの絶えない時間になっています。自己否定が極端に過ぎるともう私言葉を発することが怖いと思うけれど、まちちゃんといたら、自然に笑顔に引き戻されるというか、いつもの私に戻っていて、自分でも不思議だなと思います。少し聞いた話だけだけれど、私とまちちゃんの座標軸は似ているプロットが多くて、私たち似てるねと話しました。まちちゃんはどんな評価もどっしりと受け止めていて、いつも肯定的なのがすごいなと思います。まちちゃんと一緒にいる時間が安心します。
 なのはなにいるから、たくさんの人と関わり合いながら、どんなに落ちても拾い上げてもらえることができるなとしみじみ思います。私も助けてもらうばかりじゃなく、誰かを元気づけられる優しさを持って人に接していきます。本当に変わりたいです。自分を知れば知るほど、その気持ちが日々強くなっていきます。

少し考えすぎたので頭を休ませます…おやすみなさい。