「決意すること」 みつき

3月7日

●決意をすること

 昨日お父さんが話してくださったお話が心に残っています。
 それはこれまでにもお聞きしたことがあったのですが、何度聞いても自分の心が動かされる、わたしにとって、お父さんが話してくださる中で1番に好きなお話です。
 お父さんが15歳の時に、もう死んでしまおうか、と思って、家を抜け出し、夜空に浮かぶ月を見て感じた気持ち。

「きっとこの苦しさを抱えている人は、自分だけじゃないはずだ」
「どうせ死ぬなら、とことん苦しんでも構わない、この苦しさが何なのかを見つけるために生きようと思った」

 わたしも同じような気持ちがありました。
 幼いころ、夜空や月を見てとても切なくなって、この同じ空の下で、苦しさを感じている人が居るのではないか、と思えました。けれどわたしは、誰かからの助けを求めていたように思います。
 お父さんがわたしと違うのは、お父さんはそのときから「守る側」になった、ということです。わたしは「お願いです、この苦しさに、誰か気づいてほしい」という「守られる側」の気持ちでした。
 お父さんは、誰の力も求めなかった、自分が苦しさに向き合い、同じように苦しむ誰かを助けるための決意をした、ということです。わたしに足りないもの、決意と覚悟は、ここにあったんだなと感じました。

 本当にお父さんお母さんだから、わたしたちの気持ちを理解し合えるのだと感じました。

 自分が周りの人とは違う、おかしいと思ったから、それだけ人の倍努力した、そうでないと普通になれないと思っていた、お父さんの「良くありたい」の気持ちが、こうやってなのはなファミリーに繋がっているのだと感じました。

 自分はなぜこんなに苦しいのだろうか、自分はなぜ周りの人と違うのか、普通になれないのか、そうやって嘆くだけだったら、誰でも、いくらでもできるけれど、お父さんのように「それなら人の倍、死ぬ気で努力するだけだ」と思える人が、どのくらいいるのだろうか、と感じました。

 この答えはとてもシンプルに聞こえるけれど、本当にそれができる人は、わずかしかいないのではないかと思います。そしてわたしたちなのはなの子は、それができる人であり、そうやって人生を良くしていくこと、自分が納得できる生き方でしか生きられないことを教えてもらって、わたしも、この今の自分の未完成の部分も、全部を受け入れます。そして、自分が納得できる生き方に少しでも近づけるように、毎日を過ごしていきます。

●リハーサル

 夜、町民音楽祭のリハーサルをしました。

 今回、『フラガール』で、ウリウリを持って踊りを踊るのですが、初めてウリウリを扱ったので、慣れるまでに時間がかかりました。手首を180度ごりっと動かすような感じで、スナップが必要なのか、勢いよくウリウリが振れるように腕を動かすのが難しいです。なぜか利き手の右手の方が苦手で、余計な力が入っているのか、ぎこちなかったです。

 出来る限り朝の時間を作って練習をしていたら、少しずつ右手も動くようになってきました。ゆりかちゃんがウリウリの動画を見るのを勧めてくれたり、コツを話してくれたり、

 今日も、ゆりかちゃんが「動くようになってきてるね、素質あるんだよ!」と笑ってくれて、とてもとても嬉しかったです。
 今までなんで努力ができなかったのか、努力しようという気持ちが薄かったのか、それは自分の心が、嘆くだけで、あきらめてしまっていたんだなと思います。
 もっともっとたくさんのことを出来るようになりたい、自分のものにしていきたいです。
 手を動かそうとするとどちらかの手がお休みになる、顔の向きや足が動きにくくなる、というふうにまだ統合できてない部分がありますが……。人一倍、統合すること、覚えることに時間がかかる自分だけれど、人の倍時間を使って、努力することを続けていきたいです。