「私は未完成だからこそ」 うたな

3月5日

 今日は、ミーティングで質疑応答の時間がありました。その中の話の一つは、身体全体のうろこがボロボロと崩れ落ちていくような衝撃が走ったほどでした。これまで自分が回復するにあたって何が足かせになっていたかがよく分かった気がしました。

 回復が遅い人はどんな特徴があるかという話の内容でした。お父さんの答えは「自己完結型の人間である。完璧を求めていて、自分を取り繕って外の世界の考え方を受け入れるのを拒んでいる。自分のダメなところを見せたくない。自分の殻を破ることができない。未完成でいる状態が怖くて、答えを保留にできず、常に完全な状態でいないと不安になる。」というものでした。まさにそのまま今の自分のことを現していて、恐ろしく感じました。

 できない自分が露見するのが怖くて、なのはなの考え方を取り入れることに二の足を踏んでいたと思います。できなかったらどうしよう。みんなはできているのに、自分は同じ環境で、同じことをしても劣っている、そんな姿は見せられない。だからどこかで自分の弱さを作り出し、少しみんなと違う世界に閉じこもって、一人になる時間も多くて、自分の殻を破れずにいました。

 いつも「動かなければ」「痩せた自分でいなければ」という強迫観念に追われて、作業内容一つ一つに一喜一憂して、他人の動きを気にしていました。なのはなの中でも自分で勝手に自分の見える世界を狭めて苦しんでいたと思います。今日の話がこのことにつながるかはわからないけど、なぜか今日のお父さんの言葉を聞いて、今までの自分の過ごし方や考え方がばかばかしくなりました。なのはなにいても生きることがつらいのは、自分の作った世界がつらいものでしかなかったからだと気づきました。

 明日から、こうしないと、ああしないとという変な縛りをやめて、なのはなでの生活を楽しんでみたい、と思いました。ごはんがおいしいということ、室内作業が楽しいということ、掃除が気持ちよいということ、それぞれで感じる喜びをみんなと共有したい。

 誰かより動きが少ない作業だって全力でやって楽しんだらいい。昨日より活動量が少なくてもいい。

 なのはなにいて、自分の顔や身体が醜いことや、将来への不安を早く解消したいとせかせかした気持ちもあって、完璧主義の私は自分で答えを焦っていました。でも、それも、なのはなの考え方を受け入れて、生活を楽しんで、いつか答えが分かることを今は待つようにしたいです。未完成な状態を許し、そんな自分でいることを我慢しようと思います。

 お父さん、お母さん。明日から、本当に、なのはなの生活を思いっきり楽しんで、利他心をもってみんなのために動きます。先々の不安や恐怖を挙げたらきりがないけど、今は答えが出せないものばかりなので、言われたことを素直に聞いて回復します。何度も同じような宣言をしてすみません。でも、今回のミーティングの話は私の中で本当にすとんと何かが落ち、胸のつっかえがとれました。だから、前向きに頑張ります。腰を据えて向き合う覚悟もできています。

 だって自分は未完成な存在で、「できない人間」だから!

 ミーティングも、引き続き真剣に取り組みます。