3月3日
今日はあゆみちゃんに相談させてもらって、今一度、ミーティングに向う謙虚な気持ちを教えてもらえて、有難かったです。
お父さんお母さんやスタッフさんが教えてくださることを、「これはこういうことなんだ」と、そう思うこと。
自分の場合は、これは分かるけどこれは違って分かりませんとか、そういう風に思うんじゃなくて、「こういうことなんだよ」と教えて頂いたことは、(そういうことなんだな)と思う、素直な気持ちとか、謙虚な気持ちが、わたしには足りていなくて、我が強かったんだなと思いました。
我が強いって、こういうことなんだなとわかりました。
わたしが今、分からないなと思っている疑問は、わたしの理解が足りていないからなのか、治る気持ちに迷いがあるから、時間が解決するものなのか、あゆみちゃんも、どうなんだろうねと、一緒に考えてくれました。
それで、あゆみちゃんはどうだったのか教えてくれました。
その中でも、あゆみちゃんがたけちゃんやちーちの存在をどう思っているのか、話を聞かせてもらったときは、涙が出てきました。
あゆみちゃんが、子どもを大事にして、可愛く思っているのはすごくわかります。
でも、それはあゆみちゃんの所有物としてかわいく思っているのではないんだなと思いました。
あゆみちゃんには、神様から与えられた役割を、子どもたちが果たせるように、育てていく使命や責任があって、それはどの親でも同じで、わたしが親になっても同じなのだと思いました。
だからあゆみちゃんは「自分の葬式に、子どもたちが来なくても良いよ。もし、やるべきことが二人にあるなら、そっちに行ってくれて構わないと思うよ」と、本気で言っていて、本当に、そう言ってくれる人がいるんだなと思いました。
わたしはそれを聞いて、涙が出ました。
自分も、そう言ってほしかったなと思います。
みんなやお父さんお母さんは、たけちゃんやちーちが可愛がってもらっているのを見ると、自分も嬉しくなると話されるけれど、わたしも、今日のあゆみちゃんの言葉を聞いて、小さい時の自分を救ってもらったような、抱えていた気持ちを全部肯定してもらえたような気持ちになりました。
今、理解してくれる人に出会えたのだから、もういいんじゃないかと思えました。
わたしがこれから生きていく仲間は、もうここにいるのに、過去の人に求める必要がどこにあるのだろうと思いました。
過去に執着しない、拘らない。
それよりも、それがあって、自分はこれからどうしていくかという、前向きな気持ちを作ること、こうなりたいという理想を、思う、思う、思う。思い続けて積み重ねていくこと。
そうやって、みんなの仲間として、わたしもちゃんと大人になっていきたい。
あゆみちゃんと話していて、そう思いました。