「知りたくてしょうがない」 みつき

3月1日

 今日から3月だというのがふさわしい、暖かさを感じる1日でした。
 1枚薄着で過ごせてしまうくらいだったのですが、それだけで身軽だなあと感じました。
 フルメニューでは、奈義+石生+梅の木コースへと変わって、距離が9キロになりました。
 距離が伸びるのは、やっぱり緊張したし、「次は○〇コースが残っている……」「まだか……!」と、走っている時間がかなり長く感じました。途中、息が上がったり、足が重くなって、身体がきつくなってくる場面がありました。でも、同じように、気が付いたら身体が軽く楽になってくる場面もあって、そうなってくると、すごく気持ちがいいです。

 掛け声やお題回しをしながら、みんながすぐ傍に居てくれて、みんなと走っているから走りきれるなあ、と何回走っていても感じます。でも、なのはなコースになったら個人走が始まるだろうし、本番のフルマラソンでは、自分1人で走ることになります。

 1人になっても、ずっと透明な気持ちで、みんなを感じながら走れるように、今のこのみんなと作っている空気を大事にしていたいです。

●栗の木の剪定

 1日、お父さんとまなかちゃんと栗の剪定をさせていただきました。
 この間の栗の剪定に入らせていただいてから、心のどこかでいつも「途中になっている栗の木」の存在がありました。
 今日、お父さんがチェーンソーを持ってきてくださって、全ての木の太い枝を切ってくださって、作業を大幅に進められたことが、本当に有り難くて、嬉しかったです。
 枝を切る前から分かっていたはずなのに、実際に切り落とされた枝を見ていると、びっくりしてしまいました。
 ミシミシミシ、とゆっくり動いたと思ったら、勢いよく地面に倒れ込む、ドシン!という枝の音に、「まさか、こんなに大きかったのか」と、何度も何度も感じさせられました。
 だからこそ、栗の木の剪定箇所の見極めだけじゃなくて、剪定自体のやり方も気を使わなくてはいけなかったです。今自分がどの位置に立っているべきか、脚立をどの位置に立てるべきか、とか、自分はまだまだ心も身体も追い付くことができませんでした。繰り返し教えていただいて申し訳なかったのですが、お父さんから「ここに立てないと、僕が切るスペースがないから切れないよ」「ここに立てたら枝が落ちてくるかもしれないよ」と教えていただけて、本当に頭を使って、勘を働かせて動かなければ、作業の進みはもちろんだし、自分たちに不具合が出る(怪我することにもなる)、と感じました。

 お父さんが切ってくださったあとの栗の木を見ると、すっきりさっぱりとしていて、「ああ、これだったのか」と感じるような、栗の木のあるべき形、理想形が見えてくる仕上がりでした。かなり大胆に切ったとは思いますが、お父さんとまなかちゃんが「木のダメージや、枯れ込むかもしれないから、ひとまず今年はこの枝にして、来年はその枝も切ろうか」と話されていて、今年中だけじゃなくてもっと先のことまで考えているところが、すごいと思います。

 ここからどう栗の木が育っていくのかを考えると、楽しみで、面白いです。お父さんが話されていたように、知恵も、力も、勇気もかなり必要なことだけれど、畑の全ての木を、全て自分のプランで自分で手入れしてしまうのは、その分だけ、面白くて楽しいことなんだな、と感じました。

 今日は、お父さんやまなかちゃんと話しながら、沢山教えていただけた時間が嬉しかったです。

 わたしは、まだまだ必要とされるところが多い、もっと知らなくてはいけないこと、努力しなくてはいけないことが多いです。今はとにかく、栗の木や果樹の生育について、知りたくって知りたくってしょうがないです。もっと自分の中で足りないものを蓄えていきたいです。