「ありのままの気持ちで」 ほのか

2月23日

 今朝、ホームページにアップされていた「お父さんに聞いてみよう」のバックナンバーを読んでいました。

 昨夜の集合で私が走るのが嫌な理由はずばり、プライドの高さと筋力の無さだと教えていただきました。そこでプライドをどうにか正常にしたいと思った私は、過去に同じような質問をした人はいないかと冊子を読み始めました。

 そこでは、目から鱗のお話がたくさんあって、何で今まで読んでこなかったのだろうと思ってしまうくらい、書いてある言葉が宝の山に見えました。

 記録も兼ねて、特に心に残った言葉を書き出します。

・人の評価というものは株式相場みたいなもので、上がったり下がったりする物。私はどうですかといちいち確認しに行くのはナンセンス。

・良いところというのは両面で、その反対の悪いところにもなる。

・真面目な人と作業することは気持ちが良い。

・一生懸命な姿は綺麗。

・プライドが高いことはいいことでもある。若いときはそのくらいで、少し調子に乗ったと思ったら痛い目を見て引っ込んで、の繰り返し。

・治ることを楽しむ。早く治ったらいい、というわけではなくて、遅く治る大器晩成型の人もいる。壁にぶつかるのも楽しむ。挫折も味わいながら治ることを楽しむ。

 私は、ダメなところがあると気づいたら、知ったらすぐに直さないと! と焦ってしまうことが最近たくさんあったのですが、ダメなところは裏を返せば良いことでもあって、プライドが高い=走れないというわけではないのだと気づきました。

 そこで私はフルメニューをする自分なりの意味、目標をメモしました。
 走っていてきついと感じるときは、筋肉が育っていることをイメージしました。
 お、今きついんだね。このきつさは今しか味わえない!精一杯堪能しよう!
 「今」を楽しもうと思うと、長い道のりも怖くなくなりました。

 今日は天気も良く、りゅうさんや相川さんがいてくださって楽しく走ることができました。りゅうさんや相川さん、ゲストや卒業生の方がいてくださると自然と気持ちが外向きになって、自分に籠もらずにいることができるから、ありがたいなと思っています。

 その後、今日も大根の収穫をしました。(ここ2、3日連続です!)

 私は、一昨日や昨日は、自分の甘えが出てしまって、疲れているから、時間が無いからという理由で、移動距離の少ない手前のスパンで収穫基準をあまり気にしないで大根を抜いてしまいました。そのため少し小振りな大根を取ってしまいました。

 自分の甘えと、今年の大根は少し小振りだという誰かから聞いた噂で、収穫基準に認識の歪みが出てしまっていました。不真面目だったと思い、すごく自分が情けなくて悔しくなりました。もう二度ととこんなことはしないと自分とちさとちゃんに誓いました。

 本当のことを言うのは怖かったのですが、これ以上不真面目なのが許せないと思いました。もう自分を取り繕わないで、良い評価を得たいという気持ちも全部捨てたいと思ったら、自分のマイナスなことも全部話したいと思ったし、かしこまらない文章で思った通りに書こうと思いました。

 私はもっとありのままの自分の気持ちをそのまま表現できる人になりたいです。
 心も体も軽く動きやすくなりたいです。
 評価を恐れずに、自分から離れて物事を考えたいです。
 マイナスがプラスに変わるときがくるのを信じて、マイナスもプラスも全部オープンにしていきます。

 今日は、奥の方までいって、大きい大根だけを取って取れかけているビニールを全面かけてきました。真面目に生きようと思ったら楽はできないし、うまくいかないことだらけだなと思うのですが、私は真面目に生きたいと思ったからそうします。

 嫁入りをしようと思って古吉野に帰ってきたとき、急に合わせが始まるということでダッシュで体育館に行きました。
 気持ちが作り切れていないまま合わせを初めて、案の定うまくいきませんでした。
 曲ごとの切り替えのタイミングで、次の曲に気持ちを切り替えることも必要なんだと思いました。トゥエポポになるとき、3つあるフットペダルの位置を確認しないまま始めてしまって、違う音を出してしまったり、レイヤーを切るところ入れるところの切り替えも上手くできず、本当に悔しい結果に終わってしまいました。
 これからは、きちんとペダルの位置を3つとも確認して、音色も確認して、気持ちをしっかり作らなければいけないと思いました。

 永禮さんのお誕生日会が目前に迫ってきていて、焦りもあるのですが、しっかり気持ちを作って向かいたいです。

 今日のミーティングは図を書いて、自分の家庭を客観視することができました。
 父と母は性格が真逆だと思っていたのに、意外と座標が同じところにあるか、ぴったり対照になったりして、似ているんだと思いました。それに対して兄はいつも全く違うところにいて、きっと私もそうなんだろうなと思いました。

 かのんちゃんと一緒のミーティングチームなのですが、かのんちゃんがどんな項目も決して流さずにひとつひとつ本気で考えていて、その姿が本当に一生懸命で綺麗でした。書かれている単語を改めてかみ砕いて説明する、ということは意外に難しいなと思いました。

 作文を書きながら、私の傷はこれだろうな、というのがわかったのですが、まだ確信を持って言い切ることができていないです。

「自分が大げさに誇張して考えているだけなんじゃないか。無理矢理こじつけて考えているだけなんじゃないか。私はやっぱり子供時代かわいがられて愛情をたくさん受けたんだ」
 という気持ちが自分に覆い被さってきて、自分を自由にさせてくれません。

 依存を切り離せない気持ちがまだこんなにあるんだと知って、少しがっかりしたというか、やっぱり私は依存が切り離せないんじゃないかと思ってしまい、心がざわつきました。

 今の段階で断定したり不安の先取りをしてしまうことも良くないかな、と思うのですが。
 心の蓋が取れて、心の底から安心できるようになりたいです。