「情緒を育てて」 ほのか

2月10日

 雪が溶けてしまうと、どこか寂しいような気がしてしまいます。
 暖かくなると過ごしやすくなるのだけれど、冬が終わってしまうのが名残惜しいような、そんな天気でした。

 最近、あまり日中何をしたか、ついさっき何を食べたかも覚えていなくて、具体性のない日記になってしまうかもしれません。

 今日も、キーボードの練習をさせてもらいました。
 明日が合わせの日ということで、それに向けて練習してきましたが、今は膠着状態というか、一人での練習がマンネリ化してきているような気がして、進みが悪かったような気がします。ワカワカは壁だった裏拍のリズムをアレンジして弾けるようになったのですが、新しい壁が次のページに出てきてしまいました。明日の合わせが良い刺激となって、さらに良い練習になるようにしたいです。

 久々にカブの収穫をしたのも楽しかったです。ストーブの暖かさよりも、太陽の暖かさ、身体を動かして発汗する暖かさの方が気持ちよいと感じました。

 夕方に、新しい月曜日のハウスミーティングに出席して、お父さんのお話をたくさん聞けたことがありがたくて嬉しかったです。

・ありのままで良いという気持ちが、周りの評価が気にならなくなること。
・素の自分という物は存在しなくて、なのはなの子を演じれば良いということ。
 私の質問は、無機質な情緒を直したい、ということと、夢見がやはり良くないことについてでした。
 最初の質問、無機質な情緒があることについては、「子供のときにすごく怖いこと、辛いことがあり、自分の本当の心の動きも止めてしまうようになってしまった」という理由があることを知りました。本当は心がこう動きたい、と思っていても、そうしたら自分が壊れてしまうのではないか、と思って心を敢えて動かさないようにしているのではないか、というお話でした。
 怖い物を怖いと感じなかったら、楽しいことも楽しいと感じられない。

 今、前より楽しい気持ち、嬉しい気持ち、泣ける気持ちを感じやすくなったと思っていました。けれど実際の所、気を張り詰めて、周りの人たちが今どんな気持ちになっているのか感受しなければ、私は自分からは何も感じないところにまだいると思います。

 昨日読み終えた小説『コンビニ人間』の主人公の心境に共感するところでもあります。
 主人公は人間的な感情を持たない、合理主義的ないわゆるサイコパス、ソシオパスです。
 子供の頃から問題行動を起こしては、自分では何が問題なのかわからない。
 大人になるにつれて、自分から行動することをやめて、社会から疎外されないよう周囲の人をコピーペーストして自分を作っていく。
 主人公は淡々とした性格で、あまり何も考えていなくて、ただぼーっと周囲を観察しているような、どこか達観して見ているところが自分と似ていると思いました。
 小説を通して自分を垣間見たような気持ちで、このままじゃいけないと思いました。私も何も感じないように自分を守りながら生きていこうと思うとすごく楽なのですが、冷めた人生になってしまいそうで、それは嫌だと思います。

 お父さん、お母さんのように仲間集めをしながら理想を実現できる人生にしたい。と思ったとき、やはり自分の心の傷と向き合って、自分の情緒を育てていきたいと思いました。みんなみたいに楽しいときはすごくはしゃいで、節分の鬼が来たら全力で叫んで走って、感動するときは涙を流して。何も意識しなくてもそれが普通にできるようになりたいです。

 夢見が悪いことについても、理由は「私は日中ものすごく我慢している、ものすごく演じている、日中良い子すぎるから、夜我慢から解放されて夢で爆発して自分を保っているのではなか」と教えていただきました。
 私は正直演じているつもりは無かったし、自分は良い子とはかけ離れていると思っていたのですごく驚きました。
 解決策として、毎日でもOMTをして、話す内容が無いと思っていたとしても話せばどんどん出て来る、と教えていただきました。

 夢と、感情と、いろいろと自分をまだ苦しめている要素があることが明確になって、安心しました。なぜなら、これから更に変わる余地があると思ったからです。今すごく幸せだと思っているけれど、まだ苦しさの中にいることは事実で、これ以上の幸せ、これ以上の安心があるのかと思うと、今は信じられないような、嬉しいような、よくわからない気持ちになります。

 それと、集合で主治医に手紙を出しても良いということで、手紙を書けることが、ありがたいなと思います。

 心の中にある雑味が整理されていくようで、嬉しいです。これからのミーティングが待ち遠しいです。

 明日は祝日なのもすごく嬉しくて、みんなで過ごせることが嬉しいです。
 おやすみなさい。