「成人式」 うたな

1月12日

 成人式を、自分がどういう思いで迎えたか思い出しました。症状まみれで人と普通に付き合うことができず、でも成人式に出ないと浮くような気がして、無理やり参加しました。久しぶりに会う同級生は成人式の場を合コンくらいにとらえている感じで、会場の外でお酒の一気飲みをしている集団もいました。でも一人になるのが怖くてその中で無理に笑って過ごして、でも自分の知らないところで同窓会が組まれていて、ただ「ああ、私の居場所はないのだ」と悟った成人式でした。

今日、5人の姿やなのはなのみんなを見て、そんな思いで成人式を迎えてしまった自分が恥ずかしくなって、苦しかった思い出を今日が全部浄化してくれたように感じました。まずリビングにあやちゃんが入ってきたとき、胸がいっぱいになって、「私も成人式をこんなふうに最高の思い出にできなかったのが残念だ」という自分に特化した感じ方がなぜかなくなって、「成人になるまであやちゃんが生きていてくれて本当によかった」と思いました。もちろん容貌も美しくて、かわいくてすてきだったけど、この姿かたちにふさわしいものをあやちゃんはもっていて、いつも一生懸命でこんな私に力を注いでくれるあやちゃんがこの成人式にいてくれて本当によかったと思いました。なのはなにこの5人がたどり着いてよかった。みんな、コメントで「なのはなに来なかったら二十歳まで生きていなかった」と言っていました。こんな優しい子たちの人生が、二十歳より前で失われることがなくてよかったです。

 お母さんが言っていた、嫉妬や僻みの感情なしに、心からお祝いすること、私にとってとても難しいことでした。でも不思議と、なのはなの人には幸せになってほしいと思います。自分でもこんなこと思うのは初めてで変な感じです。そう思おうとしているのかわからないけど、今はただ、5人の大切な節目を一緒に過ごせてよかったです。あゆちゃんが、「自分以外の成人式を毎年のようにうれしく迎えられる人って世界中にどれくらいいるんだろう」、と言っていました。きっとそんな幸せ者はなのはなくらいです。

 お父さんが昨日、大人社会に仲間入りすることを誇らしく思うとともに、今、生きることへの苦しさを生んでしまう社会に抗うような気持ちももっているといいな、と話してくださりました。