ウィンターコンサートを終えて、今、ここから、脚本のなかにある答えを実践していくスタートのなのだと感じています。
コンサート当日の朝、緊張もしていましたが、(みんなと伝わるステージにしたい)という気持ちが強かったです。
本番前に、私は、ロビーに立っていました。
十一時半には、なのはな企画のブースにもお客様が来てくださって、ジャムや加工品、お米、パウンドケーキなどを買ってくださり、お客様のなかには、「楽しみにしています」「毎年来ているんだ」など、笑顔で話しかけてくださる方が多かったです。
毎年楽しみされていたり、ステージをみて希望を感じたり、力をもらっているなどの声を聞かせていただくと嬉しかったし、力が湧いてきました。
本番の五分前、ステージに立っていると、あゆちゃんが、「みんながんばろうね」という声がバンドの足場の上から聞こえてきて、あゆちゃんの笑顔がありました。
本番になり、緞帳が上がっていき、『フー・ウォンツ・トゥ・リヴ・フォーエバー』が始まりました。
少し薄暗い照明のなか、サナギのマントで踊るあけみちゃんにスポットライトがあたり、みんなのコーラスが入るところでは、今までにないくらいの大きな声でみんなの声と自分の声が合い、一本の線になったように聞こえてきました。
私は、最初のダンスのポーズで、ほしちゃんと手を繋いでいたのですが、曲が始まるとき、ほしちゃんがギュッと強く手を握ってくれて、私も、ほしちゃんの気持ちに握り返して、お互いに笑顔で幕を開けました。
客席をみると、一番前に座っている人から、二階席までお客様が入られていました。
劇が進むごとに、舞台袖にいても、客席から吸い取るように、求めている気持ち、そして、一緒にステージを作っている感覚がありました。
太鼓の『那岐おろし』のとき、私は大太鼓の打ち出しに、とても緊張していました。
体力的にも精神的にも、個人的に、すごくハードで、毎回、強い気持ちを作らないと、大太鼓の大きさ、音の強さに負けてしまい、打つときにバチが跳ね返ってきてしまうので、かなり強い気持ちを作らないと、大太鼓を打てませんでした。
練習のときも、少しでも弱気でいたり、気持ちが作れていないと、大太鼓の大きさに負けてしまう。だから、私は、いつも大太鼓を叩くときに、お父さんが教えてくださった、「ちゃんと生きたい」という気持ちを強く持ちました。その決心を音にする。
■同じ方向を向いて
太鼓だけではなく、なのはなのステージを作るときに、「ちゃんと生きたい」という気持ちが他のステージとは違い、なのはなのステージであり、みんなにしかできないステージなのだと、お父さんが話してくださって、「ちゃんと生きたい」という気持ちを、この先も生きていくなかで持ち続けて、成長し続けていきたいです。
大太鼓の打ち出しが、いつもより打ちやすく感じて、七・五・三のリズムもテンポよく打てている感覚があり、どうしてだろうと思ったときに、それは、大太鼓の打ち出しが終わったときに解りました。
打ち出しが終わったときに、客席から拍手が聞こえてきて、お客様との間で作っているステージだということを感じて、見てくださっている方が受け入れてくださって、応援してくださっていたから打ちやすかったのだと思いました。
舞台袖からも、みんなからの気持ちを感じたり、自分が打っているというよりも、なのはなのみんな、応援してくださる方の力で打たせてもらっているという感覚が強かったです。
そのあとも、宮太鼓のソロ回しや締太鼓のソロが終わる度に、拍手がありました。
あたたかい気持ちが客席から伝わってきて、太鼓が今までで一番打ちやすかったです。
一緒に演奏しているみんなの気持ちも、同じ方向を向いていて、太鼓の演奏が終わったとき、歓声や大きな拍手で会場が包まれていました。
前半ラストのシーンでは、ミツバチを犠牲にしてでも、虫たちが昆虫、植物、動物を守り、人間を滅ぼすことをクマバチから告げられて、自分たちが今の危機を食い止める。
前半ラストの曲『アイ・シー・ファイヤー』。あゆちゃんが和訳してくれた『アイ・シー・ファイヤー』の一部に、こんな言葉があります。
「諦めるな、もしもまだ夜が赤く燃えているならば 諦めるな もしも深い暗闇が戻ることがあれば それは仲間の死を意味するのだから」
私は、その言葉を思い、ステージに立ちました。
危機的な状況でも、決して諦めない。諦めてしまったら、死を意味すること。暗闇のなかに戻ってしまう。
自分が摂食障害から立ち直るとき、諦めずに、待っている仲間の叫びの声、そして、自分がなのはなに来る前に感じていた苦しさ、生きづらさを感じると、諦めるわけにはいかない。
炎が燃え続けている限り、戦い続けていくんだと思いました。
人生をかけて戦うんだと思いました。それが私の生きる使命です。
■自分の全力で
後半に入り、後半に入ってからは、客席の空気がより肯定的で、あたたかい気持ちが拍手から伝わってきました。
『ユー・テイク・マイ・ブレス・アウェイ』のコーラスを歌うとき、あゆちゃんの言葉がずっと心のなかにありました。
愛する人というのは恋愛ではなくて、あなたの気持ちが私には解るから、たった一人の人のために、その人を癒すように、届くように。会場に来てくださる方のなかに、求めている人にコーラスで伝える。正解を求めた音ではなくて、気持ちで歌う。そのことをあゆちゃんに教えてもらってから、その気持ちが自分には足りなかったことにも気が付かせてもらいました。
正解を求めて、失敗を怖がって、そんな小さな枠のなかで自分を守っていたこと。それがまさに、イモムシの考えでした。
たった一人でも、その人の気持ちが理解できる。その人のために、私は、道を作り、伝える人、守る人になる。
だから、どう思われてもいい。自分はこう思うという意思、志を持って、自分の全力でまっすぐに生きていきます。
■見えないルールと答え
モノローグのシーンで主人公たちの語る言葉は、私たちが感じてきた思いそのものです。自分が辛かったこと、苦しかったこと、なのはなに来る前に感じていた無力感、そして、どこに向かっているかわからない不安、お父さんの脚本のなかの言葉で、「見えないルール」というのが本当にそうだと思いました。
見えないルール、そのルールのなかで流されて生きていくことが出来なかったです。苦しくて、競争や評価がいつも隣にあって、できる人が評価されて、できない人は落とされる。外される。そのなかで、私は生きていくことができませんでした。社会から取り残される不安が拭えず、仕事も続かない。評価や競争がいつもついて回り、振り落とされることが怖かったです。
手放すのが怖かった。摂食障害だからしょうがないという印籠を手放すのが怖かった。
そうじゃないと、てきないことに対して、続かないことに対して、人と関係が取れないことに対して、お前はダメだと言われるのが怖かった。否定されること、必要ないと思われること、見放されること、すべてが怖かったです。
モノローグのシーンが終わったとき、私は、舞台袖にいたのですが、客席から拍手が聞こえてきました。会場のみなさんが受け入れてくださって、受け止めてくださったんだと思いました。
同時に、それは、普遍的な苦しさなんだと思いました。
私には、その苦しさを理解して、共感してくれる仲間がいること。それだけで、気持ちが癒されることを感じています。
お嬢様が、「昆虫たちに優しくできる方法を見つけていくこと、それが自分たちを守ることにもつながるんじゃないかしら」と言ったあと、客席から拍手が起こりました。そのときに、共感してくださっていることを感じました。
今回のウィンターコンサートをするなかで、舞台袖にいても、ステージに立っていても、力強く何度も拍手が聞こえてきて、会場の方々が共感してくださっていることを感じました。
共感してくださっていると感じたとき、すごく心が癒されていくことを感じたし、自分も肯定できるような感覚になりました。
モノローグのときも、役者のみんなのセリフのなかでも、シーンの終わりでなくても、役者のみんなのセリフ一言一言を受け取ってくださって、拍手で返してくださって、反響し合っている感覚。それが、すごくステージに立っていても、気持ちが入りやすくて、こんなにもあたたかくて、優しさいっぱいの空気のコンサートは初めてでした。
後半は、ラストシーンに近づくにつれて、拍手をしてくださる回数も増えてきました。さきほども書いたのですが、シーンが終わったり、曲が終わったあとの拍手だけではなくて、役者のみんなの言葉に応えてくださっている拍手に感じました。
本当に嬉しかったです。
■欲を出さない人を作る
お父さん、お母さんの脚本のなかの答えから、蝶は、卵からイモムシ、そして、サナギになり、蝶になって飛び立つ。サナギになったとき、イモムシの時のノウハウを全部捨てる。蝶として生きていくために、身体だけじゃなくて、本能も取り替えてしまう。
人間も大人になったら、別のソフトウエアで生きなければならなくて、そのときに、子供のときに使っていたソフトウエアを全部捨てなければならない。
そうしなければ、蝶にはなれないことが解りました。
お父さん、お母さんの脚本を読んだときに思ったことは、自分のなかに入ってしまっている自分を守る気持ちや、イモムシ発想の価値観を潔く捨てて、真っ白な状態にして、お父さん、お母さんが教えてくださる気持ち、人のために、まだ見ぬだれかのために、生きること。自分の利益のためではなくて、人の利益になるように、なのはなの仲間を守り、そして、まだ見ぬ人を守るために、アサギマダラのように、広い視野をもって、ちゃんと生きたいです。
脚本のなかで、隣り同士で大きな樹と小さな樹があったとして、小さな樹に太陽の光が届かないとき、大きな樹は、太陽の光で光合成をして作った栄養を、隣の樹まで根っこを通して、細菌に運んでもらっていることを知り、植物も細菌も共に助け合って生きているなかに欲はなくて、お互いに助け合って生きている世界は、身近なところにあったんだと思いました。
私は、脚本を読むまで、生き物たちや植物、虫、微生物も、お互いに助け合って生きていることを知りませんでした。
人も、虫や植物に助けられて生きられていること。そのことを深く深く感じて、今から自分ができることをしていきます。
イモムシからサナギに、そして蝶へと変態をするとき、イモムシのときの得た、歓びと悲しみを捨てて、一度、身体のなかを真っ白にして……虫たちは、潔くて、勇気があって、強いと思いました。
イモムシから蝶への変態と同じで、人間の心も変態することを知ったとき、私は、今までずっと自分を守ることをしてきたんだと思いました。
幼いころは、親と自分が大事で守られる人だったけれど、大人になるときに、自分から離れて、守られる人ではなく、大切な存在を、そして、私は、まだ見ぬだれかを守る人になることが私が生きていく道です。
自分から離れたところで、アサギマダラの二千キロ先の視野で、まだ見ぬだれか、そして、目の前にいる仲間を守る人になります。
いつも何者かに向かって、祈る気持ち、ちゃんと生きさせてくださいと祈る気持ちで、全うに生きる。成長し続ける。それは、自分を守るためではなくて、まだ見ぬだれか、仲間を守るために、自分がちゃんと生きて、役割を全うすること。
ステージを作っていくなかで、一緒に走っている仲間がいて、仲間がいたら、蝶になるのも怖くないです。
自分のなかで、蝶になることへの怖さがあったけれど、蝶になるのも一人ではなくて、なのはなの仲間がいたら怖いものなんてないという気持ちが、自分のなかで強く固まっていきました。
ラストの曲、『アンダー・プレッシャー』を踊っているとき、出番を待っているときに、虫と人間が助け合って、共生しているように見えました。最後に、虫、フラダンス、フラッグのみんなで踊っているときは、みんなでなのはなのソーシャルフィールドを作り、色々な分野でみんなが役割を果たしている、そんな光景が浮かびました。それを実現していきたいです。
私たちは、人間がイモムシから蝶へと変態をするのを助ける施設を作っていく。
ミツバチさんが私たちがすることを「待ちたいです」というセリフに、ミツバチの欲のないまっすぐな気持ちを感じました。
その欲のない、ミツバチさんのように、我欲、個人的な欲を捨てて、虫たちに優しい農業、農薬の使い方、新しい農業を作り出し、なのはなのソーシャルフィールドを作る
一人として力を尽くします。
お嬢様が、ラストシーンで、「どこかで誰かが私を待っている、ずっとそう思ってきた。私を待ってくれていたのは、この三人だった」と言いました。私も、まだ見ぬ誰かはどこかで待っていて、その人のために、自分が今蝶になって、そのまだ見ぬ誰かのために、伝える側になって、守る側になって生きていきます。
その覚悟を持てたのは、私は、一緒にウィンターコンサートを作ったなのはなの仲間がいるから、卒業生、そして、応援してくださるゲストの方、たくさんの仲間がいるから、私は、イモムシのときの考えを捨てて、真っ白にして、本物の蝶になって羽ばたいていきます。
■仲間の存在
今回のウィンターコンサートで、仲間の存在がすごく自分のなかで大きいことを感じました。
共感してくれる仲間がいることが、どれだけ癒されて、救われることか、コンサートを向かう過程も、一緒に練習をしてきて、畑作業も進めて、そのなかでみんなで作業を終えた達成感があったり、作業後に夕日を見たり、一緒に協力し合える仲間、共感しあえる仲間がいることが本当に幸せです。
なのはなに来る前とは全く違った生き方をしていて、白黒に見えていた世界が、自分の気持ちに色がついて鮮やかになっていく。それは、なのはなファミリーで、お父さん、お母さんが、イモムシから蝶になるように育ててくださって、救ってくださって、どんなときも向かう方向をまっすぐに、一緒に走り続けていけるなのはなの仲間がいて、こんなにも世界が色鮮やかに見えるのかと驚きと同時に、身体のなかに新鮮な空気が入ってくる感覚があります。
嬉しいと思う気持ち、人と人との間にある気持ち、あたたかい気持ち優しさを感じて嬉しくなったり、作業終わりにみんなとみた夕日の光景、満たされる気持ち、そういう一瞬一瞬の気持ちが、ずっとこの先も普遍的なこととして永遠になっていくことを感じました。
ずっと心のなかの灯としてあり続けてくれるものだと信じられます。
自分のなかで怖さというものは、評価、競争のなかにあるもので、その怖さを逆説的に突き止めるのではなくて、その反対のところに答えがあって、それは、今、なのはなファミリーでみんなと生活していて、お父さん、お母さんの姿に答えがあって、今まで自分のなかに入っていた競争のなかの評価、自分の評価というものはどうでもよかったんだと思いました。
イモムシの考えを捨てて、なのはなの仲間を、まだ見ぬだれかを守るために、本物の蝶になって、成長し続けていきます。