ウィンターコンサート本番、そしてこれまでの過程で強く感じたことは、仲間の存在です。
ウィンターコンサートを終えた今、自分はなのはなファミリーに辿り着くことができて本当によかったと心の底から感じています。
本番当日、大勢のお客さんの前でみんなとステージに立ってコーラスを歌っていたとき、
(こんな瞬間が待っていたなら、生きていてよかった)
と思った瞬間がありました。一度は人生を諦めたくなったけれど、すべてがこの瞬間と大切な仲間に出会うためだったのだと思うと、生きていてよかったのだと思います。
ウィンターコンサート当日。
朝は五時半に起床して、台所チームのみんなと昼食用のおにぎり作りから、一日が始まりました。家庭科室にはひろちゃんを始め、なるちゃん、ひろこちゃん、まみちゃん、ほしちゃんたちが集い、炊きあがったばかりの黒豆おこわの湯気に包まれながら、おにぎりを握りました。
その数、百三個。この日のために遠方から、卒業生や、カメラや照明を担当してくださる多くの方々が、ウィンターコンサートに駆けつけにきてくださいました。
■私たちの居場所
毎日六十人もの仲間と生活をしているけれど、全国には、もっともっとたくさんの仲間や応援してくださる方がいて、ウィンターコンサート本番というたった一日のために、こうしてみんなが集まるなのはなは、いつでも帰ってこられる居場所なのだと改めて感じました。
七時を過ぎると、それまで真っ暗だった外が少しずつ明るくなり、そして雪が舞っていました。ウィンターコンサートの日は雪が降ることが多いです。足元が心配でしたが、正午には雪も止み、雨に変わったようでした。
朝の家庭科室は、本番前の貴重な時間でも、みんなと協力して進めようという一体感のある空気がありました。ウィンターコンサートホール入り期間の、この少し慌ただしいなかだからこそ、みんなと助け合って作業をする時間が、毎年のことながら、
(この瞬間がコンサート前ならではで、一番楽しい時間だ)
と感じました。
■過程
本番までの過程を思い返すと、練習が始まった九月後半から本番当日の十二月半ばまで、あっという間だったなと思いました。
今回のコンサートは個人的に今までと違って、平日は仕事だったため、できる練習時間は帰ってからの夜の時間と土日のみでした。
そのなかでみんなから遅れを取らないように、いかに一回の練習を集中して取り組み、自分のものにするかが毎回の勝負でした。
個人的に心に残っていることは、『マイ・フェアリー・キング』と『マスター・ストローク』のダンスです。
平日に行われたダンスの振り入れに参加することができず、この二曲は過去の動画をみて、自分一人で解読をしました。ダンス部のあけみちゃんやのんちゃんがダンスの解読をしていますが、そんな高度なこと、自分には到底できないと思っていました。
だから最初は本当に本当に果てしない気持ちに襲われたけれど、選択肢は「やる」しかなかったので、出勤前の時間と消灯前の時間を目一杯使って、解読に費やしました。
動画だと、動きが鏡になります。頭の固いわたしには、ワンカウントだけの動きであったとしても本当に何十回も繰り返し再生しないと右と左が理解できなくて、終いには一×八を解読するだけで一時間ほどかかることもありました。自分の頭の固さに本当に泣きたくなるくらいだったけれど、とにかく地道に一つずつ解読していき、頭で理解できたら実際に動いてみて、そうこうしていく内にどうにかこうにか身体にも入ってきて、そしてそれまでバラバラだったものが繋がっていくとすごく大きな達成感がありました。わかってくるとだんだんと楽しくなってきました。
リズム感覚ゼロのこんなわたしでもやろうと思えばできるんだと、これは成功体験になりました。
特に『マスター・ストローク』は動きが速くて、解読が本当に難しかったです。どうしてもわからないところはみんなの力も借りて、何とか振り入れを完了させることができました。
そして少し時間がかかってしまったけれど、一曲すべての振りが身体に入り、曲を流して踊れたとき、本当に本当に大きな喜びがありました。
また、後々にプラスになったことは、自分で解読したから間違っている部分があったときに、すぐに正しい形に修正できるということでした。何が間違って覚えてしまったのかということがわかるので、正しいものがすぐに身体に入りやすくありました。
思い入れの強い曲である分、通し練習などで踊っていると、気持ちが込めやすかったです。
■脚本を通して
日中、仕事をしていても、「ウィンターコンサート」という別のやるべきことがあるということは、お父さんが話してくださるように、人生のなかで二つ以上のことを同時で走らせておくと、気持ちが切れないということを感じました。
仕事のときは仕事に集中するけれど、終わったらすぐにコンサートモードへ切り替えて、みんなの練習に参加しました。遅れを取らないように、日中にした確認はみんなに聞いてまわり、忘れないようにメモに残しました。コンサートが終わる頃には、一冊のメモ帳がびっしり埋まりました。
空き時間があれば、そのメモ帳を開き、常に肌身離さず持ち歩き、夜は頭のなかでダンスの動きを反復して思い返すようにしました。
仕事を理由に自分だけできていない、知らないということは絶対にしたくありませんでした。
また、コンサート練習のなかで気持ちを外に出して表現していると、日常生活でも外向きな自分というのが少しずつ地になっていくようにも感じました。
仕事中の挨拶のトーンや声の大きさが、以前よりも上がったと個人的に思っていて、それはコンサート練習を通して、見せる自分というものを意識できるようになってきたからだと思います。
コンサートがあるから前向きにいられたり、常に意欲を持っていられました。
わたしが最初から最後まで、こういう気持ちでコンサートに向かっていけたのは、十一月半ばに行われた二回目くらいの通しをしていたときに感じたことがあったからだと思っています。
初めてお父さんが書いてくださった脚本を読み合わせをしたとき、自分は蝶になれないイモムシ人間だったんだ、ということに軽い衝撃を受けました。
親離れできない=子供=イモムシ人間だったんだと。
それがなのはなに来て、まだ発展途上の段階ではありますが、少しずつサナギになってきて、そしてこれからは蝶=大人になっていくのだという構図がとてもわかりやすく理解できました。
お父さんが書いてくださった脚本がとても好きでした。今の自分に必要な答えがたくさん詰まった脚本でした。
そんなストーリーのなかでみんなとダンスを踊ったり、コーラスを歌っているとき、すごくすごく心が満たされる思いがしました。
仕事で多くのお客さんと接したりしていると、利己的な空気に嫌気が差すこともあり、そんな何だか気持ちが上がらないときに、みんなと通し稽古をしていると、自分が生きる世界はここにあると感じました。
半径五メートルしか見られないイモムシの価値観の中でもがくのではなく、わたしは二千キロの視野をもった蝶になり、お父さんお母さんみんなと利他的な世界をつくっていくのだと思うと、自分がこのコンサートをやる意味があると思いました。
そして同じようにウィンターコンサートという目的に向かって、全力で表現する仲間と真剣に通し稽古に向かっていたとき、グラウンドに差している日差しのような温もりが体育館にも溢れているように感じたことがありました。
そのときに自分の中で強く、「みんなとこのコンサートをやり切りたい」と思ったのでした。
ホール入り前、最後の通し稽古後の集合のお話が印象的でした。
■心の変態を遂げる
摂食障害から立ち直ることは、イモムシ型の人間から蝶へと変態していくことだと、お父さんが話してくださいました。
自分たちは立派なイモムシになりなさいと育てられてきた。蝶になってどこかへ羽ばたいていくなんて危ない。周りよりもたくさんエサを手に入れて、どんどん大きなイモムシになりなさい、と。
でも自分たちは大きなイモムシなんかになりたくなかったから、苦しかった。
言葉にすると変だけれど、本当にその通りだったと思いました。
わたしは、大人(蝶)になるためのプログラムを、何も教えてもらえてこなかったと思いました。
立派なイモムシは周りより勉強ができて、周りより高い学歴を身につけて、何不自由なく贅沢に生活ができるかもしれない。
でも心は子供のままだから、何とか手に入れた小さな世界しか知らなくて、知識はあったとしても、人間としてのモラルもなければ、周りの人への気遣いが全くできない人間。
自分はそんなイモムシ人間になりかけていたのだと思いました。
脚本の台詞のなかにあった、野菜を収穫したり、稲刈りをしたり、雪だるまをつくったり……。ソーシャル・フィールドを作って、そこで都会の子供をたくさん受け入れて、子供の心を蝶の心へと変態させるように、わたしもなのはなの一年間のイベントや日々の作業一つひとつから、イモムシの心から蝶の心へと変態するために必要なプログラムをたくさん経験してきたのだと思いました。
なのはなに来ていなかったら、きっとわたしは農業を経験することもなかっただろうし、野菜や果樹が当たり前のように手に入ると思って、昆虫たちのことなんか考えることもなかったと思います。
こうしてお父さんが脚本を通して示してくださる、回復の道しるべと生きる道を教えてもらった今、自分は大人になるためのソフトウェアを入れて、昆虫たちのことも考えて、生きていかなければいけないと思います。
今はまだ発展途上だけれど、蝶の心へと変態して、まだ見ぬ人のことを思って生きていける大人へと成長していきたいです。
■本番
コンサートが終わった夕食の席でなおちゃんも言っていましたが、本番はおまけ、と言うけれど、やっぱり本番は本番でしか感じられない楽しさがありました。
幕が開いた瞬間、会場のお客さんの圧というか、押し寄せてくるものを感じました。
一曲目は、『フー・ウォンツ・リヴ・フォーエバー』。
最初はポーズをとり静止しているところからコーラスが入ります。
練習のときにあゆちゃんが何度も、「出だしは思い切り息を吸ってね」と言っていました。第一声に力を込めて、みんなとコーラスを歌いました。
隣にはなつみちゃんがいました。なつみちゃんがいつも、お腹の底から大きな声を出してコーラスを歌っていました。なつみちゃんのその力強い声に、いつも力をもらっていました。みんなが同じ気持ちだと思いました。
■ちゃんと生きたい気持ちを
全曲を追って書きたいところですが、特に心に残っている曲は、前半ラスト前の金時太鼓『那岐おろし』の演奏です。
太鼓は十一月にも倉敷市で行われた岡山県和太鼓連盟のコンサートで披露させてもらったこともあり、大分、演奏し慣れた曲ではありました。
通し稽古でも何度も太鼓を叩かせてもらったり、今年はホール入り直前まで竹内さんからご指導していただいたり、お父さんお母さん、みんなにも見てもらってきて、確実に自分たちの曲になってきていると感じていました。
本番、これまでとはまた別のお客さんの前で演奏させてもらったとき、これまで感じたことのない気持ちに包まれました。心の底から、(太鼓が楽しい。太鼓が好きだ)と感じました。そう感じた瞬間、緊張が楽しさへと一気に変わりました。
太鼓の連盟コンサートに出演させていただいたときに、お父さんから、
「どの曲でも伝えたいことはただ一つ。それは、どうか良く生きられますようにと願う気持ちだけだ」
と教えてもらいました。
太鼓という手段を通して、自分の中にある「ちゃんと生きたい」という気持ちを大勢のお客さんに表現できることに、身体の底から湧きあがるような喜びがありました。太鼓は力が必要な分だけ、その気持ちを音にも表現できると感じます。
実際にこの気持ちがお客さんに届いたかのように、ふみちゃんの大太鼓の打ち出しから、締太鼓ソロ、宮太鼓ソロ、大太鼓ソロと、曲間で何度も何度もお客さんが拍手を送ってくださいました。その拍手の強さから、お客さんに自分たちが表現したい気持ちが確実に伝わっていると感じました。その拍手に押されて、本番の太鼓演奏はこれまでで一番、全力で叩けたと思います。
最後の最後の一打に、余っている力のすべてを出し切りました。
後悔ない、やりきれた、と思いました。
太鼓の演奏後から、一気にお客さんとの距離が縮まったと感じました。
緊張が消え、お客さんに表現する楽しさだけがありました。
今回、足を運んで来てくださったお客さんは、自分たちの気持ちを受け取って、賛同してくださるお客さん方ばかりでした。
音楽は、「演奏する人とお客さんの間に成り立つ」と教えていただきますが、本当にその通りでした。自分たちが全力で表現すればするだけ、お客さんが拍手で返してくださり、時には、「そうだ!」と賛同する声をかけてくださる方もいました。
前半ラストの『アイ・シー・ファイヤー』は、みんなと横一列になって手を繋いで歩きます。
わたしは上手から、さとえちゃんと手を繋いで出て行きます。練習のときから、さとえちゃんと手を繋ぐと、いつもぎゅっと力強く握り返してくれて、大好きなさとえちゃんと歩けることが本当に嬉しかったです。
本番、ステージを通した向かいの下手には同じように待機している、ほしちゃんとももかちゃんの姿がありました。捌けて戻ってきたほしちゃんがももかちゃんの横に並んだ瞬間、ほしちゃんがももかちゃんの手をぱっと取り、ぎゅっと力強く握り、ももかちゃんに向かって、「うん」と頷くように見ました。そしてももかちゃんも笑顔でほしちゃんを見上げて、「うん」と頷き返しました。
二人のそのやりとりをみた瞬間、一気にぶわっと涙が溢れてきてしまいました。
自分にはこんなにもたくさんの仲間がたくさんいる。大好きな仲間がたくさんいると思うと、涙が抑えられなくなってしまいました。
■理解し合える仲間
なのはなに来るまで、ずっと一人ぼっちでした。友人はいたつもりだったけれど、心はいつも一人ぼっちでした。本当の気持ち、本当の姿を見せられる人は一人もいなくて、自分を理解してくれる人は一人もいませんでした。
なのはなに来て、自分と全く同じ孤独を感じてきた人がたくさんいたと知りました。その気持ちをOMTやミーティングを通して、深く理解してもらい、そして共感してもらい、こう感じていたのはわたしだけじゃなかったのだと気づかせてもらい、そこで癒しを得られました。みんなが自分のことを大きく受け入れて理解してくれて、一人の仲間として大切にしてくれます。
前述しましたが、コンサートの練習をしているときも、みんなの優しさやなのはなにある利他的な空気、正義に気持ちを救ってもらい、「自分が生きる世界はここにある」と気づかせてもらうことが何度もありました。
きっとみんながいなかったら、自分はこうしてウィンターコンサートという舞台に立っていなかったと思うし、みんながいなかったら、今の自分はなかったと思います。
大好きだと思える仲間が、今、わたしにはこんなにもたくさんいて、そしてこれからもみんなと一緒に新しい世の中の仕組みをつくっていくのだと思うと、わたしはちゃんと生きたい、自分が果たすべき使命を全うできる生き方がしたいと心から思います。
『アイ・シー・ファイヤー』の最後は涙で前がよく見えなかったけれど、その分、一瞬一瞬の振りに力を思い切り込めて、その力強さで、「良く生きてみせる」という誓いを込めました。
みんなと生き様を表現した『アイ・シー・ファイヤー』は、お客さんにきっと届いたと思います。
■たった一人でも伝わるよう
後半はこれまでの通し稽古やゲネプロよりも、本当にあっという間でした。
この脚本のなかでも一番に大切なシーンである、もえぎくんとちぐさちゃんのモノローグ。
ホール入りをしてから、あゆちゃんが、
「ここは着替えとかしないで、みんなでステージをつくろう。これはみんな一人ひとりの台詞であるんだよ」
と話してくれてから、舞台袖で全員で、ステージでわたしたちの代表として台詞を言ってくれる二人に気持ちを向けました。
わたしは特に、ちぐさちゃんの台詞に深く共感しました。
「小学校から始まって、中学校、高校と、もちろん勉強は当たり前。いろんなやるべきことが目の前に次々に現れて、誰もがいそいそと面白がってやるのが当たり前になっていて、全部に競争とか、評価がついてまわる。……
どうして他の生き方が許されない?
誰が決めたのか、みんなで決めたのか、わからないけど、今の仕組みの中で文句を言わずに生きていきなさいって、そういう縛りが苦しい人って、きっと私だけじゃない」
初めて脚本を読んだとき、この部分に共感して、何度も反芻して読み返して涙が出ました。
本番、ちぐさちゃん役のそなちゃんが代表して、ステージでこの気持ちを伝えてくれました。みつきちゃん、そなちゃんの勇気に、お客さんから拍手が送られて、わたしたちの苦しみを、わかってくれる人たった一人でもいいから理解してもらえたらいいと思いました。
フンコロガシ役のすにたちゃんの演技は、通しの度についつい笑ってしまって、お気に入りのシーンでした。
すにたちゃんがフンコロガシになりきって、堂々と演じている姿が格好良かったです。
そしていよいよソーシャル・フィールドのシーンに入りました。
■一体となる空気
「これこそが僕たちが生きる意味なんだ!」
という、役者四人の台詞に加勢するようにみんなで『ビューティフル・ピープル』を踊ります。
大好きなこの曲をみんなと踊るなかで、自分たちは本当にこうやって、この仲間たちと新しい世の中をつくっていくんだと思うと、すごく前向きな気持ちと、自分ができることをしていきたいという気持ちになりました。
今回の曲目の多人数ダンスのなかでも、『ビューティフル・ピープル』は気持ちを込めやすく、仲間の存在を強く感じられる一曲でした。
終盤はダンス曲が続き、着替えも多くて、少し慌ただしかったです。
でもそのなかでも常にステージに気持ちを向け続けて、舞台袖ではみんなと気持ちを一つにして、待機をしました。
ラストの曲『アンダー・プレッシャー』。
あゆちゃんが和訳をしてくれて、それがパンフレットにも載りました。クイーンがこの曲を作ったのは今よりずっと前だと思うけれど、自分たちが現代で感じている気持ちを同じだったことに驚きました。
『アンダー・プレッシャー』の虫の動きは、フォーメーションをきれいにとることと隊列を徹底して練習しました。なかなかきれいなフォーメーションにできなかったり、隊列が崩れてしまったりして、夜の時間にメンバーで集まって、何度も練習をしました。
苦戦したけれど、みんなのなかに、「全員で良くしよう」という気持ちがいつもありました。誰かを責めたりするのではなくて、全員ができるようになるまで、自分の練習にもなるから、みんなでやろうと、いつも一体となって向かいました。その空気感が好きでした。
■日々の積み重ねが
本番、逆三角形のフォーメーションからフラダンスの人へバトンタッチしたあとの立ち位置が、どの通し練習よりも場ミリ通りの場所に、全員が辿り着くことができました。ここまでみんなと気持ちを一つにして取り組んできた積み重ねが、本番に発揮できたのだと思い、嬉しかったです。
最後はフラッグの人も、フラダンスの人も、虫の人も全員がステージに集まります。動きはそれぞれだけど、気持ちは一つ。わたしは虫の動きで、まことちゃんとゆきなちゃんとみつきちゃんと腰に手を回して並び、踊ります。
練習のときにもこの時につい涙が出てしまうけれど、本番もやっぱり泣いてしまいました。クイーンの歌詞に自分たちの気持ちをのせて、「この仲間と愛のある世界をつくっていく」と、会場のお客さんに、そしてまだ見ぬ誰かに届けるような祈りを込めて踊り、歌いました。
ステージはみんなの笑顔で溢れていました。みんなの気持ち、向かう先が同じでした。
わたしはなのはなに来て、一番大きく変わったことは、仲間ができたことだと思います。それも深く共感し、理解し合える仲間です。
■ともに生きる仲間
今回のコンサートで、その仲間の存在を強く強く感じました。自分一人では決して生きていけると思わないけれど、同じ理想に向かって生きていこうとするたくさんの仲間がいるから、今、症状を出さずに生きていられて、そしてこれからも利他的な気持ちを持って、生きていこうと思えます。
「ウィンターコンサートはただのお遊びでするわけじゃない。一番は自分自身の回復のためであり、そして卒業生やまだ見ぬ誰かのためにやるのです」
通し稽古のあとに、お父さんがそう話してくださった言葉が、ずっと胸の中にありました。
ここまで、決して楽しいばかりではなかったけれど、大変なこと難しかったことも、みんなと一緒に乗り越えてきて、それがあって、本番当日にこれまでのピークを持ってお客さんに表現できたのだと思います。
今回のウィンターコンサートの本番や過程で感じたように、コンサートが終わっても、今いる仲間を大事にして、助け合って、自分たちが生きていける世界を共につくっていきたいです。
そのためにもまずはイモムシの心から蝶の心へと変態して、利他的な価値観をしっかり自分に入れて、まだ見ぬだれかのために成長していきたいです。
ウィンターコンサートの練習が始まる頃は不安しかなく、お父さんお母さんにも迷惑をかけてしまったこともありました。
でも最後まで前向きな気持ちで、そしてコンサートをやる意味を見失わずに、逃げずに気持ちを向け続けることができたことが嬉しかったです。
この場を借りて、ありがとうございました。