12月16日 ホール入り前最後の作文書き
1、これまでの古吉野での練習期間で感じた事
・ブレスアウェイのコーラス練習
ブレスアウェイのコーラスをあゆちゃんに見てもらったときに教えてもらったことが、とても印象に残っています。
あゆちゃんが、
「本当は、みんなよりも私の方が未熟で、みんなは苦しんできて、私よりも求めてきたと思う。
だから、本当に自分の求める気持ちにかなったもの、求める音を、本能がなっとくするようなものを表現したらいいと思う。」
そう教えてくれました。
その言葉を聞いたときに、自分の中にある、イモムシ発想を感じました。どこかいつも正解を探していたり、周りに合わせようとしていたり、思いっきりやって目立つのが怖いという気持ちがあったり、本当に自分を捨てきって、理想を表現してやるという気持ちがとても薄かったと思いました。
そして、自分のことを誰よりも、自分が信じていなくて、軽く見ていたと思いました。
私は本当に苦しかったし、そして、苦しくない道を、必死に症状にまみれて、逃げながらも生き続けて、本当は答えをずっと求めていた。
あゆちゃんは、自分以上に、みんなの根っこの部分を大切に、尊重して信じてくれているのだと思いました。
「これくらいできるでしょ」という上から目線ではなくて、「みんなは本当はこのくらいできる。そうじゃなきゃ嘘でしょ。」と、伝えてくれているのだと思いました。
もしも、ひとり一人が高いモラルを持ったならば、ルールや法律というのはこの世界にいらない、ということを教えてくれました。ひとり一人がモラルを持って、正しく生きようとしていたら、秩序が自然にできるということなのではないか、と思いました。
それと同じように、コーラスの一音に、モラルを高く持つように、あるべき音を考えて、表現するのだと思いました。
・いつも、神様に約束するような気持ちで表現すること
通し練習をするとき、どのような心持ちで向かうのか、ということについて、夜の集合でお父さんが話してくださったことがありました。
なのはなファミリーの母体であるハートピーで、お父さんがボランティアさんに向けて説明をしているときに、毎回同じ事を説明するのであれば、ビデオを撮ってそのビデオを見てもらえばいいのではないか、という提案があったときに、お父さんはそうしなかったこと。
お父さんはボランティアさんに説明していると同時に、神様に(僕はこうします)(こんなふうに生きていきます)と毎回約束していたのだと教えてくださいました。
通し練習も、同じなのだと気付きました。
目の前にお客さんがいなかったとしても、対象の人が誰であれ、そんなことは関係がなくて、お父さんが書いてくださった脚本は私たちが生きていく道しるべそのもので、どんなに拙い演技であったとしても、いつもそのときの出来る全力で表現すること。神様に毎回毎回、「私はこう生きていきます。」と約束する気持ちで、演じるんだと思いました。
私は、人が揃わなかったり、自分が練習できていなくて失敗してしまったり、周りの人になんでなんだと正義を振りかざしてしまったり、気持ちが落ちてしまう理由は見つけようと思えば、たくさんあると思いました。
でも、誰が抜けても、拙くて何回失敗しても、たとえグチャグチャになったとしても、神様はいつも必ず見てくれていて、神様に約束する気持ちで、毎回全力でやるんだと思いました。逃げることが一番ダメなんだと思いました。
たとえ、どんな不利な状況であったとしても、そのときの精一杯でその一瞬一瞬を全力で生きていく、そうやって通し練習や日々の練習に向かっていくべきなんだと、お父さんの言葉から気付かされました。
2、お父さんが脚本としてみんなに見せてくれている、生き方、回復への答え
・心の変態
蝶がイモムシから蝶へと変態するときに、イモムシのソフトウェア、ノウハウを全て捨てて、本能を取り替えてしまうように、人間も子供から大人になるときに、子供のときのソフトウェアを取り替えなければいけないのだと思いました。
イモムシのソフトウェアは半径5メートルの視野、蝶のソフトウェアは直径2000キロ視野であって、イモムシのソフトウェアは、親に可愛がってもらいたい、評価されたい、怒られたくない、という親や身近な人を対象とした感情だけで生きてしまっていて、それはつまるところ自分のため、家族のため、という利己的な発想なのだと思いました。
摂食障害になった私たちは、無自覚にずっとイモムシのソフトウェアのまま生きてしまい、それがさも自分の元からの性格や性質であるかのように生きてきてしまったけれど、そうではなくて、本当は誰しもが、直径2000キロの視野で生きるべきなんだと思いました。コロンブスの卵のように、それに気付いたら、本当に今までの自分を捨てて、取り替えようと思えば、蝶のように生きていけるのだと思いました。
私がなのはなに来るまで、ずっと苦しかったのは、心が傷付いて、ソフトウェアを取り替えるプログラミングが失敗してしまい、ずっと利己的なイモムシのソフトウェアのままで生きてきてしまったからだと思いました。そして、周りの人が誰も蝶的な発想を教えてくれなくて、見本のように見聞きする生き方はどれも、直径が狭いイモムシ的な発想の生き方、イモムシの延長の生き方でしかなかったんだと思いました。
私が本当に苦しくなく、私の本能が納得するような生き方というのは、直径2000キロの視野を持って、これから出会う人たちや、未来に生きていく人たち、まだ見ぬ誰かを対象とした、その人たちのために出来ることを尽くしていく生き方なのだと思いました。
そのように、いままでの利己的なイモムシ発想から転換して、視野広く、範囲を広く、スケールを広げた利他的な生き方を自分に入れて、利他的に生きていくこと、それが摂食障害から回復する、ということなのではないかと思いました。
・植物、虫、動物、微生物たちのように助け合って生きていく
お父さんが書いてくださった脚本を通して、植物、虫、動物、微生物たちは、その種族間でも、種族を越えたもの通しでも、いつもお互いに助け合って生きているということを、はじめて知りました。
ミツバアリは、アリノタカラが樹の根から樹液を吸って、おしりから出してくれる蜜を食べて生きていて、アリノタカラは目も見えず歩くこともできないけれど、ミツバアリがそのアリノタカラを樹まで運んであげている。
そんなふうに、違う種族が、どちらが欠いても生きていくことはないできないような、本当にお互い様の関係で、一心同体となって生きている、ということをはじめて知りました。あゆちゃんが、女王蟻が、次の住みかを作るため、巣から旅立っていくときに、その中から運命の相手となるアリノタカラを一匹だけ咥えて、旅だっていく、という話を教えてくださいました。
そんなふうに、種を越えた同士でも、一心同体となって、相手の一部としてお互いに動いて生きているのだと思いました。
自分の身体の中には、いまでも、30億年前にアーキアが好気性細菌を取り込んだときからつながる微生物がおり、人間の遺伝子とはまったく別物の遺伝子が生き続けているということも、本当に驚きでした。
自然の生き物たちは、いつもお互いに助け合って、利他という言葉がいらないくらい、ごく当たり前に助け合いながら生きていて、人間もそのように、お互いに助け合いながら生きていくのが、あるべき生き物として生き方なのだと思いました。
そして、植物や虫たちが種族を越えて、助け合って生きているように、人間も人間だけのことを考えるのではなくて、一緒に地球に住んでいるすべての生き物を大切にして、その生き物たちが命を繋いでいけるように、一緒に地球に生きる中の一種として、自然と調和しながら生きていくべきなんだと思いました。
「昆虫を徹底的に守ること、昆虫たちに優しくできる方法を見つけていくこと、それが自分たちを守ることにつながる」
とお嬢様が言っていたように、それが本当に答えなんだと思いました。
いま、人間である私たちは、昆虫を守ることと正反対のことをしていて、本当は知っている人も、知らない人も、無責任に、虫や生き物を死なせてしまったり、住みかを奪ってしまうような農薬や除草剤をどんどん使ってしまっています。
その流れを変えなければ、本当に脚本にあるように、人間も、他の生き物たちも、地球丸ごとすべて、滅びてしまうのだと思いました。
私たちから、その大きな流れを転換して、変えていかなければならないのだと思いました。
3、明日からのホール入りにあたって、どんな空気を作る人でありたいか
具体的にいくつか、自分が心がけることを書いてください。
〈どんな空気を作る人でありたいか〉
・真剣で緊張があって、ひとり一人が自動運転で、テキパキと動く空気。
・はじめてコンサートに出る子も、そうでない人も、みんなでお互いに助け合いながら、いい方へ引っ張り上げて行こうという空気。いつも、助け合っていこうという利他的な空気。
・全員で一つのいいものを作ること、協力して全員で達成していこうという、仲間意識がより濃くある空気感。
・評価のためや、失敗しないようにというものではなくて、理想をきっちりと持って、その理想を今の自分の精一杯で思いっきり表現しようという空気。
〈具体的に心がけること〉
・お父さん、あゆちゃんが教えてくださることを、
「新鮮に聞く人」ではなく、「分かる人」として聞く。
そのことで、(これが当たり前なんだ、こうあるべきなんだ)という空気感を率先して作る。はじめてコンサートを参加する人に、そのような姿勢を見せられる自分でありたい。
・大きな声で返事をする。
・明るい表情、笑顔でいる。
・練習するときの声かけを率先してする。
・困っている人、戸惑っている人、遅れている人に率先して、声かけをして、置いてけぼりになっている人がいないようにする。
・ステージの上で、堂々と演じる。
・理想をみて、気持ちよく注意される人になる。
4、今回のコンサート、そして、コンサートの脚本をどう自分の回復の手段にするか
この脚本を本物にして生きられたらいいなと思います。
昆虫たちを徹底的に守ること、昆虫たちに優しくできる方法を見つけていくこと。
虫たちにダメージを与えない野菜や果樹の農業のノウハウを作っていくこと。
苦しくなった子供たちを預かって、自然とふれあったり、人としての本来のモラルを伝えていける場、イモムシから大人の蝶へと変態できる場所を作ること。
ソーシャルフィールドを作っていくこと。
摂食障害の回復のノウハウを、構築していくこと。
いまから私が、具体的に何をしていくのかは、まだわからないし、この先のことは本当にわからなけれど、そのときの流れで私が望まれることをできたらいいなと思います。
「どこかで、誰かが、私を待っている。私を待っていたのは、この3人だったよ」
というセリフが劇中にありました。
演劇練習がはじまった11月から、特に後半は、同じ役者メンバーのなおちゃん、みつきちゃん、そなちゃんとずっと4人で練習をしてきました。
この演劇練習を通して、「待っていたのは、この3人だった」というのを本物にしたいと思っています。
5、その他、自分で考えたことなど
私は、今回のコンサート期間を通して、未来に向かって生きていくために、まだわかっていない自分の苦しかった体験をすべて明らかにしたいと思っています。私は、誰よりも人と信頼関係が築きにくかったり、信じることが苦手だということがわかりました。人との繋がりがほとんどなく生きてきました。
人との繋がりが薄弱だった私だからこそ、理解できる苦しみや痛みがたくさんあると思いました。だから、まだ理解できていなかったり、明らかにできていない自分の苦しさや、過去の体験をすべて明らかにして、悲しかったことや悔しかったこと、残念だったこと、怒りを感じたことを、周りの人に被害感情や自己否定で振りかざすのではなくて、それらのマイナスの感情を、周りの人たちに深く共感し、寄り添える優しさと強さに変えられたらいいなと思っています。
*途中ですが、17時になったので、提出します。