12月2日
●わずかしかない自分を
あっという間に2024年最後の月、12月になりました。コンサートまでの日数はあと20日で、残り日数もたやすく分かるほどに、近づいてきてしまいました。
「あと、これだけしか練習できないのか」
という緊張や焦りもあるけれど、一方で、「これだけしか練習をして、楽しめないのか」という、寂しい、惜しい気持ちも湧いてきています。
みんなと1日1日を思いきり楽しんで、走り続けたいです。
土日に通し練習をさせていただいて、また自分の気持ちの変化を感じました。
わたしは役者を演じさせてもらっているなか、自分の気持ちが入り切れていない部分、どこかで迷いや怖さがありました。
あゆちゃんが、
「役者のみんなが演じやすいような空気を作ってあげないといけないよ」
とみんなに話してくれていて、それを聞いていて、泣いてしまいました。
「ああ、全然だめだ、できていないところばかりだ」とみんなに対して、すごく申し訳なくなったり、自分が情けなかったです。自分の役割は何なのか、それを見るのが怖かったり、認めたくなかったり、そんな自分がとても無責任で弱かったと思います。
自分の役割は、なのはなのみんなが今まで苦しかったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、みんなが今までにしまい込んでいたような気持ちも、そしてこれからわたしたちはどうやって生きていくのか、この世界をどのように変えていきたいのか、その決意を代表して伝える。
みんなの声になる。みんなの身体になる。みんなの代表として演じることが自分の役割なのだと、しっかり受け入れます。
そう思ったとき、これまでの自分を振り返ってみて、本当に自分は狭い視野でちっぽけなことしか考えていなかった、と分かりました。
足を引っ張りたくない、間違えたくないとか、そういった人の評価ばかり気にして、自分にとらわれていました。
演劇練習をしていて、わたしの個人的なミスを修正するために、ほかのみんなの時間を取ってしまうことも、申し訳なく感じていました。
「本当にごめんなさい」と声をかけると、なおちゃんややよいちゃんが「全然!」と何事もないように笑ってくれました。やよいちゃんが、「わたしたち、運命共同体だからね」と話してくれました。
その言葉が、とてもとても嬉しくて、ずっと心に残っています。
わたしはわたしではない、みんながわたしでわたしがみんななのだと感じました。
誰かの喜び、誰かとの喜びが自分の喜びなんだと感じました。
今日も演劇練習をしていて、少しずつ、けれど確かに、シーンの完成度が高くなっていくのが嬉しいです。
「人間の身体の中で1000種類、100兆個の微生物が生きているんだ」
そのセリフを見て、ああ、やっぱり自分という存在と要素は、ほんのわずかでしかないのだと感じました。
そのほんのわずかしかない自分を、どこまでも磨いて、どこまでも良くして生きていきたいと思えました。
自分の精一杯で生きる、それは自分のための精一杯ではなくて、誰かのために精一杯生きます。
それが最後には自分のためになっている、そのことをしっかり心に落とします。
お父さん、今日も演劇練習を見ていただき、ありがとうございました。
明日からも頑張ります。