「日差し」 るりこ

12月2日

○コンサート練習

 また今日からウィークデイが始まって、貴重な土日がもう終わってしまいました。
 この土日は前半と後半を1日ずつ、細かく詰めることができて、すごく充実していた2日間でした。
 前半に止めながらやり、修正点をお昼後に詰めてから、もう一度、今度は止めずにやるという流れだと、その日の内に修正箇所を自覚した上で修正することができるので、身体に身につく感覚がありました。

 昨日の午後の後半は、これまでで一番、気持ちを入れてできました。
 午前の反省のときに、あゆちゃんから、「役者の子が自分たちの言葉を代表して言ってくれているなかを、みんなはバタバタと動き回っていて、ステージに気持ちを向けられていないよ」ということを再度、指摘してもらいました。

 また、お父さんが卒業生のえみちゃんから届いたメールの内容を話してくださり、コンサートはただ自分たちの楽しみでやっているのではなく、一人ひとりの回復の手段であり、そして卒業生やまだ見ぬ誰かにも繋がっているということを話してくださいました。

 ついダンスやコーラスに気持ちが取られて、次の着替えや出捌けのことだけに神経を尖らせてしまいがちだけど、お父さんが書いてくださった脚本と台詞があってこそのダンスやコーラスなんだということを、もう一度考え直して、午後の後半に向かいました。

 あゆちゃんが前々から言ってくれているように、ダンスやコーラスで捌けたとしても、次の場面に向けて、無駄な動きはせずに、ステージに気持ちを向ける。そのために、シーン初めの役者の台詞をみんなで聞く。
 そうすることで、ストーリーがぶつ切れになることなく、ステージはどんな場面なのかということが自分の中に常に流れ続けられるので、着替えをしていても、役者の台詞がきちんと耳に入ってくるし、次の曲に向ける気持ちづくりも自然とできるような気がしました。

 ソーシャル・フィールドのシーンで、なおちゃんの台詞が変わっていることが印象的でした。田舎に子供を受け入れる施設をつくり、そこで子供の心を蝶へと変態させていく。都会の子供をたくさん集めて、ナスを収穫したり、ピーマンを収穫したり、マクワウリを収穫したり、雪だるまをつくったり、雪合戦をしたり……。
 次から次へと話す、なおちゃんの台詞を聞いていて、これは全部、自分たちがなのはなで経験してきたことだと感じて、その時その時の光景が目に浮かんできて、楽しかった記憶がいくつか蘇ってきました。

 改めて、わたしもイモムシ人間でなのはなに来たけれど、なのはなでみんなと春夏秋冬の1年を過ごすなかで、1つひとつの作業やイベントから、蝶へ変態するために必要なプログラムをたくさん経験していたのだと思いました。
 なのはなに来ていなかったら、きっとわたしも農業を経験することもなかっただろうし、自分の心が子供のままだと気がつかずに、身体だけは大人になり、モラルのないイモムシ人間のままだったと思います。

 このコンサートはもちろんですが、なのはなで過ごす毎日が、自分がなりそこねてしまった蝶(大人)へ変態するために必要な手段なのだと改めて思いました。

 そのあとに踊る、『ビューティフル・ピープル』が今回の脚本の場面のなかでも1番くらいに好きかもしれません。
 踊り慣れた曲ではあるけれど、みんなと『ビューティフル・ピープル』を踊っていると、この曲は自分たちの曲なのだと感じて、周りのみんなをより近くに感じて、本当に嬉しくなります。

 いまの世の中は、良い人もいるけれど、やっぱり利己的なほうが強くて苦しさがあると感じています。
 そういうなかで、なのはなには正義と答えがあって、昨日の正午にグラウンドに差していた日差しのような温かなぬくもりが、いつもここにはあると感じました。
 2週続けて、日曜日の朝に大きな虹を見ました。見たのは1人だったけれど、きっと誰かも見ていたと思っています。
 この季節の日差しや虹を見ると、きっと神様が自分たちのことを応援してくれているのだと感じます。

 ウィンターコンサートまで、残り3週間となりました。
 この脚本を通して、ダンスを踊ったり、コーラスを歌ったり、自分を表現していくなかで、何度でも脚本を読み込んで、自分に足りていない部分を少しでも埋めて、成長したいと思っています。