11月24日のなのはな
コンサートまで1か月を切りました。残り、古吉野で練習できるのも、あと3週間。お仕事組さん、全員揃って通し練習できる回数も、片手の指で数えられるほどになってきました。本番までに練習できる限られた時間を、一瞬一瞬、意味のある密度の濃い時間にみんなと作っていきたいと思いました。
午前中に、あゆちゃんに見てもらいながら、全曲とシーンの出はけの確認を行ってから、午後に、前後半の通しをしました。
出はけの確認の時に、あゆちゃんから、曲ごとのイメージカラーや、どんな景色を彷彿とさせるのかを、教えてもらいました。あゆちゃんの話してくれるイメージには、これまで自分にはなかった、脚本や曲のもっともっと深い捉え方、理解がありました。あゆちゃんとの出はけの確認の時間は、新しい境地を知るような、発見や気づきがたくさんあります。ほんの数時間だけれど、数時間だとは思えないぐらい、密度の濃い時間だ、と感じます。演奏やダンスに対して、高い理想を持つこと、どう見せるかのプランを持つことで、こんなにも意味のある時間にすることが出来るんだ、と思いました。コンサートまでの残り僅かな時間も、消費するのではなく、いつも、新しいものを生産できるような時間にしていきたいと思いました。
今回の通し練習は、衣装を着るダンスも多く、先週よりも少しずつ完成形に近づいていっている感触がありました。衣装の早着替えが多い分、その焦りや心配が雑味になります。舞台袖、着替えスペース、客席、ステージ。仕切りがあったとしても、空気感は地続きになっていて、全部繋がって、流れているのだと感じました。ステージの上に立っている時も、舞台袖で待機している時も、衣装を着替えている時も、休め、の時間は一時もなくて、誰もが常に空気を作っているのだと思いました。そう思うと、本当に自分の少しの行動であっても、無責任になってはいけないと思いました。
あゆちゃんが、
「自分の役割で必死になって周りが見えなくなるのではなくて、次、誰が忙しいのかなとか、何の小道具を出したいのかな、と全体の流れを把握して動く必要があるよ」
と話してくれました。それは、私にも、みんなにも不可欠なことだと思いました。
自分の役割に拘ると、いくらでも心配や、ここが出来なかった、や、色んな雑味が出てきます。でも、それは、全体にとって要らないこと、無駄なことなのだと思いました。大切なのは、コンサートを通して、たった一つ、串刺しになった一番自分たちが伝えたい答えが、より分かりやすく、はっきりと、見て下さる人に伝えられるかどうか、なのだと思いました。そのためなら、どんな役割であってもいいんだなと思いました。私があなたであってもいいし、あなたが私になってもいい。そう思ったときに、自分の役割に対しての捉え方が変わりました。そして、今、ステージを繋いで、セリフを言っている役者のみんなのセリフが、一つひとつ、自分事として、入ってくるような気がしました。
お父さんが、この通しへ向けてもまた新たに脚本を書き替えて下さり、その中には、主人公たちが想いを語る部分が多くありました。その言葉を読んだときに、これまで自分たちがなんで苦しかったのか、その理由が分かって、涙が出そうになりました。この脚本の主人公たちは、私達みんなのことなんだ、と思いました。この脚本を読んで、読み込んで、理解し、たくさんの方に伝えることで、自分たちがすくわれるんだと思いました。
この脚本で、このメンバーで、コンサートに向かう過程を、一日一日、大切にしたいです。
(りな)
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