10月14日
お父さん、お誕生日おめでとうございます。
いつもありがとうございます。
何を書いていいのか本当に難しいです。
あゆちゃんが、お父さんほど人間味にあふれた人はいない、とコメントで言っていて、本当にその言葉に共感しました。
絶対に諦めないところ、一人ひとりに心の奥底から寄り添ってくれるところ、優しいところ、逃げないところ、強いところ、いい意味で大人にならないところ、でも必要なときには強い大人になるところ、いつでも横並びで共感してくださるところ。
お父さんのことを本当に尊敬しています。
私が難しい状況になったとき、どうしようもなくなったとき、いつも、答えが見つかるまで、一緒に考えてくださって、励まし続けてくださいます。
そして、最後に握手をしてくれます。
お父さんの手は力強くて、優しくて、申し訳なくなるくらい温かいです。
私には感じきれないくらいの、感情の深さ、人間味の深さが、お父さんの手から伝わってきます。
酷い状態だったのに、握手で終わると、やっぱり頑張るしかない、と思って終わります。
私は、お父さんの握手に救われてきました。
私は、いまでも、捨てられる怖さというのが無意識にあって、それは守る側ではなく守られる側になってしまっているということなのかなと思います。
お父さんはいつでも、誰かを守る側で生きています。
摂食障害の根本的な原因は同じだと思いますが、一人ひとりの性格や環境、家族関係、症状の出方、特性などは本当に、一人ひとり違っていて、回復の過程も違っています。
だから、その子のことをどこまでも理解しようとして、追求して、どこまでも寄り添わなければ、安心を与えて回復していくということができないのかなと思います。
お父さんは、一人ひとりの痛みや苦しさ、自分でも理解しにくい部分まで、どこまでも突き詰めて、突き詰め続けて、寄り添ってくださいます。
そして、誰も守ってくれなかった、プライド、心の奥深くの大事なところを守ってくれます。いつも絶対に味方で、そのお父さんのどこまでも人間味の深い優しさにふれられるからこそ、理解されてこなかった私たちは救われるのだと思いました。
摂食障害という病気は、回復することが難しい病気で、単純に治った治らないと言える病気ではなくて、人が本来どう生きるべきかという生き方にも繋がっている奥深い病気だと思います。
回復していくというとき、たくさんの壁があるけれど、お父さんはどんなに難しいことでも、乗り越えることを絶対に諦めないです。
お父さんが最近、「僕には逃げ場所なんてないんだよ」と教えてくださって、その言葉がいまも忘れられないです。
諦めるという選択肢自体ないのだと思いました。
お父さんはいつも回復させる側で、守る側で、なにかを作る側で、私には計り知れないとても大きな責任があって、その責任に真っ正面から逃げずに戦い続けているんだと思いました。
僕が回復させないと、誰が治すのか。治すという選択肢しかない。
答えを見つけなければならない。
行き先もなく、困った人がいるから。この人を救うという選択肢しかない。
作らなければならないものがあるから、作るという選択肢しかない。
逃げ場所なんてどこにもない。目の前に迫るようにやるべきことがあるのだから。
考えが浅すぎるのかもしれないけれど、いまの自分の精一杯で考えて、そういうことなのかなと思いました。
私は、子供ときの癖から、いまでも簡単に逃げ先を作ってしまいます。
でも、本当は、わたしもお父さんと一緒で、逃げ先なんて本当はどこにもないのだと思いました。
お父さんが負われている責任と、私が生きる上での責任は、本当はなにも違っていないんじゃないかと思いました。
私が本当に自分の責任を見よう、と真っ正面から向き合って、負うという覚悟を持ったら、本当は逃げ先なんてないんだと思います。
私は本当に甘くて、未熟過ぎるくらい未熟で、すみません。迷惑をたくさんかけてすみません。
失敗をたくさんしてしまいました。
それなのに、なのはなで成長させてもらえる場をもらうことができて、本当にありがとうございます。
私も、少しでも、誰かを守る側になれるように、未熟すぎるけれど、明日から過ごしていこうと思います。
心配させたり、甘えたり、守られたりするのではなくて、安心させられる人、守る人になれるように、できるかわからないけれど、そういう人になっていきたいと思います。
いま一番自分の身近にある、ウィンターコンサートという役割から、真正面から向かっていって、作っていく側、守っていく側になりたいです。
いまはほど遠くてすみませんが、お父さん、私がいるから、私たちがいるから大丈夫ですよ! と胸を張って、言える自分になりたいです。
お父さんいつも本当にありがとうございます。
お誕生日おめでとうございます。
大好きです。
私のお父さんになってくれて、ありがとうございます。