私は今、なのはなファミリーで保育士になる為に、通信制の短期大学に通わせていただいています。
私が保育士を目指すことにしたきっかけは、お母さんに、
「ななほは、保育士が向いているよ。なのはな保育園を、作らない?」
と声をかけていただいたことでした。
■保育を学びはじめて
ちょうど、なのはなファミリーでスタッフをしているあゆみちゃんの子どもである、たけひろくんが生まれたのをきっかけに、私は子どもが好きになりました。
それまではどこか、子どもに対して怖さを持っていました。
それは、私自身が未熟なのに、子どもはそんな私よりもはるかに小さくて守らなければいけない。けれど、今の私には守ることができない、という不安。何を考えているのか分からない、私が何をしてあげたらいいのか分からないという得体のしれない怖さを持っていたからでした。
けれど、たけひろくんが生まれてから、私は生まれて初めて零歳の赤ちゃんを抱っこしたし、それからも生まれて初めておむつ替えをして、ミルクをあげて、一緒に眠って、子どものことを知れば知るほど、たけひろくんと過ごせば過ごすほど、子どものことが好きになっていきました。
そして、保育の短期大学に入学し、学校からテキストが届きました。これまで知らなかった知識。子どもの発達や成長。それに加えて、現代社会における少子化や核家族化、都市化や晩婚化が子どもやその保護者に与える影響。開いたテキストの最初のページから最後のページまで、読みだしたら止まらないくらい、私の興味や関心は、まるで、経験することのすべてが初めてで、色鮮やかに世界を見ている子どもたちのように、膨らんでいきました。
また、保育の世界にとっても、なのはなファミリーで私たちが回復するうえで学んでいる考え方や価値観があったら救われる子どもがたくさんいると感じたし、テキストを読む中でわからなかったことについても、お父さんに質問させていただき、お父さんの答えから、たくさんのあるべき答え、利他心のある考え方を学ばせていただきました。
■認定こども園での実習へ
保育士、と書きましたが、私は今、保育士と幼稚園教諭の二つの資格を持った保育教諭を目指しています。今年で短期大学も卒業の年になり、この夏、なのはなファミリーの近くにある認定こども園で四週間の教育実習を受けさせていただきました。
私は十一歳で摂食障害を発症し、なのはなに来るまで入退院を繰り返していたため、地元の中学校には七日間しか通った経験はないし、高校も通信制で、働いた経験もなく、教育実習の場が私にとってなのはなファミリー以外の、初めての社会経験でもありました。
その為、最初はとても緊張していたのですが、考えられる準備はすべてして、たくさんの手遊びを覚え、ピアノを覚え、保育の勉強もしっかりとして、四週間の教育実習に臨みました。
私は幼い頃から拘りが強かったのか、知っている絵本はただ一つハンス・ウィルヘルム作の『ずーっとずっとだいすきだよ』という犬のお話。歌える童謡は『大きな古時計』と『思い出のアルバム』。知っている手遊びは一つもないくらい、保育の勉強を始めるまで、あまりにも子どもや保育、遊びとは無縁の世界で生きてきました。
その為、ただ手遊びを覚えることにも苦戦したのですが、なのはなファミリーには普段、四歳のたけひろくんにゆりちゃん、二歳のたいちくん、一歳のおとちゃんがいてくれる為、実習が始まる前から模擬保育でいくらでも練習ができました。
しかし、私が担当させていただくことになったのは、五歳児のクラス。
(五歳児って、どのくらい大きいんだろう?)
(五歳児って、どんな遊びが好きで、どこまで理解力があるんだろう?)
零歳児から四歳児までの成長過程は見て来ても、五歳児を知らない私は、実習が始まるまでは不安でいっぱいでした。
でも、教育実習の初日、これまでの不安が嘘のように飛んで行ってしまうほど、目の前の子どもたちはとても可愛らしく、純粋で、ただただ「楽しい」という思いで胸がいっぱいになりました。
■教育実習での目標
教育実習を始めるにあたって、私が立てた目標は三つ。
一つめは、「担当クラスの子どもたちがどのように発達し、どのように物事を捉え、育っていくのかを知ること」。
二つめは、「実際の保育現場でしか見ることのできない、保育者同士の情報共有や連携の方法、また、保育者の方々の、子どもへの言葉かけをよく見て学ぶこと」。
三つ目は、「園の一日の流れや環境設定の工夫について理解すること」。
そして何よりも、笑顔と謙虚さを胸において実習に向かいました。
■五歳児の子たちと
四週間に渡る教育実習。
最初は観察実習から始まり、参加実習を五日、部分実習を六日、全日実習を一日、させていただきました。
とは言いつつも、観察実習は実質〇日というくらい、初日から担任の保育者の方と共に子どもたちの中に入り、色々な遊びや活動をさせていただきました。
私が行かせていただいたこども園は職員、子ども共に人数が多く、五歳児だけで四十一人おり、私の担当クラスは男児七名、女児十三名の二十人クラスでした。
五歳児の子たちは色々な知識を持っていて、毎朝、登園するたびに、
「昨日な、お父さんと回転寿司にいったんで!」
「あんな、きょうな、朝にカエルみつけたんで!」
と、色々な話をしてくれました。
私はもともと、標準語なのですが、子どもたちと過ごしていると一瞬にして岡山弁になっていて、今では、なのはなで過ごしていても岡山弁です。
五歳児は本当に色々なことを知っていて、話す内容も濃くて分かりやすく、私自身も園に着いてから帰るまで、口を閉じている時間がないくらいに、誰かしらと話し続けていました。
■四週間をともにして
教育実習の期間はたくさんの行事も子どもたちと一緒に経験させていただき、その中で保育者の援助や対応、子どもをどう楽しませるか、子どもにどう伝えるかなどを学ばせていただきました。
お誕生日会でマジックを見て、一緒にお誕生日の子をお祝いしたり、絵本の日には近くの図書館に絵本を借りに行ったりもしました。
プール開きもあり、四週間の間に何回も一緒にプールに入り、最初は水の掛け合いっこから始まり、最終的には子どもたちが私の背中に乗り、私がカバの船になったり、泳ぎの練習や鬼ごっこ、浮き輪に乗って遊んだりもしました。
月に一度の避難訓練では、地震と弾道ミサイルの訓練をして、子どもたちと真剣な空気の中、避難するとともに、私自身も実際の避難の方法や、子どもたちに、どんな風に危険ということを伝えるか、何が危なくてどのようにしたら安全かを伝えるか、担任の先生の姿から学ばせていただきました。
参観日は、保護者の方に普段の子どもたちの姿を見ていただき、一緒に水遊びやシャボン玉をしたり、リズムジャンプなど日々の姿を見ていただいたり、私も実習生として子どもたちと楽しんで関わる姿を見ていただき、保護者の方にも声をかけていただきました。
その後は、保護者の方と保育に関する講演会にも参加させていただき、こんな風に子育て支援を園でも行なっているのだと学びました。
わくわくデーでは、外部からダンスを教えてくださる方が来てくれて、子どもたちとダンスを踊ったり、アイスクリームを作って、お菓子や果物をトッピングして食べたり、この日だけはお弁当で子どもたちの可愛いお弁当箱やキャラクター弁当を見せてもらったり、色々なレクリエーションゲームをして遊んだり、とても賑やかでした。
園内研修では、零歳から三歳児クラスを私も見学させていただき、年齢別の発達段階や子どもの特徴、保育室の様子も学ばせていただいたり、七夕会では私自身も保育者の方とブラックパネルシアターで劇をさせていただいたりし、七夕の飾りつけや季節を感じる行事を楽しみました。
他にもジャガイモやピーマン、ナスの収穫をして収穫祭をした時は、各クラスで子どもたちと夏野菜を包丁で切り、カレーライスを作り、子どもたちと、「これは、○○ちゃんが切ったニンジンだ」「ピーマンも美味しいね」と言いながら美味しく頂きました。
もう、話し出したら止まらないくらい、たくさんの行事が詰まっていましたし、日々の生活の中でも子どもたちと過ごす一瞬一瞬が宝物になっていきました。
四週間が、あまりにもあっという間でした。一週目にして、この実習が終わってしまうことに寂しさを感じたし、ずっとここにいたい、この子たちの成長を見届けたいという気持ちになりました。
■明日はもっと楽しい日になる
子どもたちがすぐに私の名前を覚えてくれて、
「ななほ先生、遊ぼうよ」「ななほ先生、明日は一緒に色水作ろう」「ななほ先生のエプロン、かわいい」
と声をかけてくれたり、四週間の最終日まで、私が給食でどこの机で食べるかで子どもたちの喧嘩が起きてしまうくらい、子どもたちに受け入れてもらいました。
毎日、登園したら子どもたちとレゴブロックやカプラで遊んだり、男児に頼まれてラキューブロックでロケットを作ってあげたり、折り紙やお面作り、色水づくりをしたり、本当に毎日、子どもたちが楽しそうで生き生きとしていて、私も昨日と同じ今日は存在しないし、明日はもっと楽しい日になるというのを子どもたちが信じているように、私もそんな子どもたちの世界を見させてもらいました。
また、私が実習に行かせていただいたこども園は、子どもたちがいつでも自由に遊べるように玩具や資材が揃っていて、戸外遊びでは両手をいっぱいに広げたくらいの大きさのシャボン玉を作ったり、固形石鹸を水の中に入れて泡立て器で混ぜ、クリーム屋さんをしたり、本物のトウモロコシやリーフレタス、サルビアやペチュニアの花を使っておままごとをしたり、子どもたちが本物に触れて遊ぶ機会がたくさんありました。
そんな子どもたちの姿を見ているだけでも、その子どもが今何を考えているか、どうしたいかが伝わってきたし、日々、子どもが才能豊かに、情緒豊かに色々なことを表現して、思いっきり活動している姿に、学ばせていただくことがたくさんありました。
■理解すること
そして、大変なこともたくさんありました。
毎日の実習簿はもちろんのこと、部分実習や全日実習では一人で二十人の子どもを見る大変さを痛感しました。
しかし、子どもたちと過ごしていく中で、子どもとの信頼関係が確実にできていくことを感じたし、個々の子どもの発達特性や性格などを理解することが、より良い保育に繋がるということを実感しました。
子どもたちは本当に一人ひとり違います。育った環境も両親も異なれば、これまで経験してきたこと、見たこと聞いたことも違うし、理解力や知識の幅も差があります。また、上手に自分の気持ちを外に表現できる子とできない子もいて、改めて個々の子どもへの理解の大切さを感じたし、それを思って保育現場にいると、自然に、クラスのすべての子どもと信頼関係が築かれていきました。
そして、クラスの全体を見ながら個々を見ることの大切さを痛感しました。特に二十人クラスとなると、いくら五歳児とはいえ、いつどこでどんな事故や怪我が起きるか分かりません。
園で起きたことはすべて、園の責任となるし、保育教諭の責任となります。事故や怪我が起きる時は決まって、子どもたちの遊びが盛り上がりすぎていたり、子ども自身も不注意になっている、周りが見えなくなっていることが多いのですが、その時の対応も、答えが一つではないことを知りました。
■流れを変える
これは担任の先生に教えていただいたことなのですが、
「保育者がその遊びの中に入ることで、流れを変えることができる」
という言葉が、私の中で特に印象に残りました。
子どもにどう注意するか、事故や怪我が起きる前に止めさせるかを考えた時、もちろん、今すぐ命にかかわるようなことや明らかに事故や怪我にかかわることは早急に止める必要があるし、言葉も強く厳しく伝え、子どもに気づかせる必要があります。
でも、遊びが盛り上がりすぎて危険が予測されるとき、その遊びを「止める」「止めさせる」「制限する」という考えが真っ先に浮かんでしまいますが、それだけではないことをこの実習で学びました。
子どもたちの遊びの中に保育者が加わるだけで、遊びの流れが変わって、少し間違った方向に盛り上がりすぎていた遊びも自然と軌道修正されたり、楽しさはそのままで落ち着くことがあります。
そんな風に子どもの気持ちを大切にしつつ、時に見守り、時に子どもと共に考え、一緒に活動することが大切なのだと思ったし、私自身、子どもたちから多くのことを学ばせていただいた四週間でした。
■お誕生日会でのフラダンス
また、最終日はお誕生日会があったのですが、遊戯室のステージで子どもたちと先生方の前でフラダンスを二曲、披露させていただきました。
なのはなファミリーでのイベント出演で、普段から人前に出て何かを演じたり踊ったりすることには慣れていましたが、一人でステージを作り、一人で踊るのは初めてだったのでとても緊張しました。
でも、ティーリーフのスカートに赤フラスカート、緑色のスパンチューブに葉っぱの髪飾り。ボタニカルなレイに真っ赤な口紅を差してステージに上がれば、子どもたちが目をキラキラさせて私のほうを見てくれていて、『ドゥ・ザ・フラ』『ハウ・ファー・アイル・ゴー』の二曲にくぎ付けになっていました。
それは子どもたちだけではなく、保育者の方も同じで、ダンスを踊っていても会場から歓声と手拍子が聞こえてきたり、お誕生日会の後も子どもたちに囲まれ、先生方にもたくさん声をかけていただき、素敵な最終日になりました。
実習中、保育の部分指導で絵本の読み聞かせや手遊びをしたり、子どもたちと遊びや制作活動をしたり、保育現場では私が子どもに何かを伝える、表現する機会がたくさんあるのですが、実習中によく感じたのは、なのはなファミリーでの活動がすべて、保育現場で活かされているということです。
先生方も、
「四週間、毎日元気いっぱいで、ものすごく体力と気力があって、身体もしっかりとして健康体で、その若さに驚くばかりです」
と笑われていたのですが、それもすべてなのはなで子どもの頃から鍛えてもらった心と身体があるからだなと思うし、毎日のように桃畑を走り回っていたから、体力気力には自信を持って外に出ても動けるなと感じました。
先生方は私がなのはなファミリーから来ていることを知っている方も多く、実習中も、
「なのはなファミリーでの活動が全部、活かされていますね」
「集団生活で幅広い年齢の中で育ってきたから、しっかりしているんですね」
と声をかけていただいたり、全体反省会のときは、
「なのはなファミリーでは、どんな教育をされているんですか? ななほさんは、話す内容やまとめ方もすごく丁寧でわかりやすくて、すごいですね」
と言っていただき、とても嬉しかったです。
保護者の方からも、帰り際、
「四週間ありがとうございました。家に帰ってからも、先生と今日何をなにをしたか、何を作ってもらったのか、話が止まらないんです」
「普段は大人しくてあまり話をしないんですが、先生が来てから、園でのことをたくさん話してくれるようになりました」
「先生のことが大好きなようで、先週から先生があと何日いてくれるから、何をするって、ずっと話しているんです」
などと、たくさん声をかけていただけて、とても嬉しかったです。
本当に普段、当たり前のようになのはなファミリーでしているダンスや農業、ステージでの活動に、日々の規則正しい生活や対人関係、日記や食事のコメントなどで自分の思いや言葉を表現する機会があることもすべて、社会に出たら私を良いように作り上げてくれる材料になることを感じました。
教育実習では園長先生や主幹教諭の先生、担任の先生を始め、先生方にも恵まれて、先生方がいつも親身になって考えて下さったり、質問に真摯に向き合ってくださって、私の成長を願ってくださっていることを感じました。
■最終日
最終日は子どもたちと離れてしまうのが本当に寂しかったのですが、折り紙で作ったメッセージ付きのひまわりのメダルも子どもたちが喜んでくれて、何度も何度も、メッセージを読み返していたり、「せんせい、読んで」と言われて読めば、はずかしそうに、でも、ものすごく嬉しそうに笑ってくれました。
ある子は、「せんせいきて、」と言って内緒話のポーズで「せんせい、ありがとう。だいすき」と言ってくれたり、
「せんせい、いつもあそんでくれてありがとう。だいすき」
という文章と絵が描かれたお手紙を何人もの子がくれたりしました。
なのはなファミリーに来るまで子どもが可愛いとか、保育の道に進むなんて想像もつかなかったけれど、今、心から子どもたちが可愛いと思えたり、保育の世界が面白くて興味深い、魅力的に感じられるのは、なのはなファミリーのお陰だなと思います。
■スクーリングでの出会い
そして、四週間の教育実習が終わった一週間後には、兵庫県の方へ短大のスクーリングに三週間行かせていただきました。
スクーリングでは、朝の九時から夕方の六時まで、三週間、講義と実技の日々だったのですが、その中でも学びが深まり、たくさんの方との出会いがありました。
そこで出会った方々に、なのはなファミリーのことを紹介すると、
「私も、岡山に行く時はなのはなファミリーへ寄ってもいいかしら」
「本当に素晴らしい場所で育っているのね」
「私が住んでいる市でも、なのはなファミリーのコンサートをしてほしい、なのはなファミリーのような場所を作ってほしい」
「ななほちゃん、なのはなファミリーを全国各地に広げてね」
「ななほちゃんのこと、私より歳は小さいけれど、すごく尊敬していて、ずっと応援してるね」
と言ってくださる方がいました。
今回のスクーリングでは、およそ六十人の方と関わる機会があったのですが、私と話をした方が、どの方もなのはなファミリーに興味を持ってくださり、「こんな場所があるのか!」「え、ものすごく本格的ですごい」「摂食障害に限らず、こういう場所があったらいいな」「施設って思って見たら、あまりにも楽しそうで、レベルが高くて、これまでの施設のイメージがガラッと変わった」など、驚きつつも、すごく好きになっていただけました。
ピアノの実技も無事に合格し、このスクーリングで、もう、兵庫県の本校に行くのは最後だったのですが、たくさんの方になのはなファミリーを知っていただけたことが嬉しかったし、そのことが私の自信にも繋がりました。
■保育園での五日間
そして、スクーリングから帰った一週間後には、教育実習に行った認定こども園とはまた違う保育園で、五日間のボランティアをさせていただきました。
ボランティアと言いつつ、三日目からは朝の会、帰りの会を担当させていただき、ピアノを演奏して子どもたちと歌ったりしたのですが、ボランティアでは一日目に零歳と一歳児、二日目以降は三歳児を担当させていただき、また私にとってたくさんの学びがある五日間となりました。
ボランティア先の園長先生や担当の先生にも、とてもよくしていただき、たくさんのお褒めの言葉や応援の言葉をいただいたり、本当に子どもたちが可愛くて、すぐになついてくれて、短い期間ではあったのですがお誕生日会やプール納めなどの行事も一緒にできたことが嬉しかったです。
■居場所を作る側に
大学生になってから、私の人生では初めてのことがたくさんあったのですが、なのはなファミリーで過ごしてきたから今、こうして前向きに社会の中でも過ごせるし、出会う人たちに大きく受け入れてもらい、好きになっていただけます。
なのはなファミリーに出会っていなかったら、私は今、存在していないかもしれないし、未来に対して何の夢も希望も持つことができませんでした。
将来の夢を今まで一度も持つことができなかった私が今、保育者になるための勉強をして、保育の世界に魅力を感じていたり、新しい関係を築いていこうとしていることは、私にとって奇跡のようです。
摂食障害になって、一度は海の奥深く、誰も手の届かないようなところまで落ちていき、生きることもやめてしまいたいくらいに苦しくて、目の前が真っ暗で、自分が何をしたいのか、何が好きなのかもわからなくて、生きる意味を必死で探していた頃の私には、きっと、今の私は想像できないと思います。
けれど、「今いる場所が一番嫌いな場所」で家にいても、病院に行っても、学校に行っても居場所のなかった私が、今、「どこに行っても、今いる場所が住めば都」と感じるくらい、なのはなファミリーで伸び伸びと過ごし、なのはなファミリーの子として教育実習やスクーリングなど、外に出ても、その行く先々で優しい関係を築くことができ、出会った人や場所を好きだと思えることが幸せです。
そして今度は、私が子どもたちが伸び伸びと過ごすことのできる居場所を作る側になります。
■謙虚な気持ちで
保育現場にいると、子どもたちと関わる中で、自分が試される場面がたくさん出てくるのですが、自分の未熟さや経験のなさに甘えずに、どのように成長していけばいいか、どんな風にしたら子どもと関わるべきだったのかを考え、意欲的に学び続けていきたいです。
私には、お母さんと約束した夢があります。
だから、この先も何があっても謙虚な姿勢で努力し続けたいし、なのはなの気持ち一本でなのはなの輪を広げていきたいです。
そしてなのはなファミリーで、いつかなのはな保育園を作れるように、これからももっとなのはなファミリーでの活動に向かう中で、そして、お父さんとお母さんの話を聞かせていただく中でも、自分自身の人格を高めていきたいし、それを保育に繋げていきたいです。