【9月号⑫】「 アメリカから帰ってきた家族」 あけみ

 

大学に通いながらレストランで働き、畑も作っているえりさちゃん。滞在中は、一緒にいろいろな農作業もしました!

 

私の家族は、日本全国から集まった大切な仲間がたくさんです。そして日本の外、アメリカにだって大切な家族がいます。

 この夏、卒業生のえりさちゃんが少しの間なのはなへ帰省してくれました。
 帰ってきてからすぐに、畑で皆と一緒に作業をしていて、その姿は、ずっと一緒にいたような自然な姿で、えりさちゃんがいてくれることが、とても嬉しかったです。

 卒業生のえりさちゃんは、今、アメリカのシアトルにあるワシントン大学に在学中で公衆衛生学を学んでいます。
 ある日のお昼の集合では、お父さんとえりさちゃんが対談形式で、今学んでいることの話や、アメリカでの生活の話などを話してくれました。

 まず、今えりさちゃんが学んでいることについて話してくれました。

■えりさちゃんが学んでいること

 公衆衛生学とは、英語でいうと「パブリック・ヘルス」と言い、個人個人の健康を見るのではなく、社会や地域などのコミュニティの規模からもっと健康的になるようにしたらどうしたらいいのか、医療ばかりにたよらずに社会をどうしたら良くしていけるのかという勉強だそうです。

 私たちが心の傷を受けたことも、今の社会の構造上の問題でもある、と、お父さんお母さんからずっと教えてもらっています。そして自分の傷を深く理解、消化する過程で、何が自分たちを苦しめたのか、どのような価値観、人とのつながり、関係、空気感が傷になったのか、“摂食障害”という切り口から、今の社会や人の本来あるべき姿や関係、空気感などを考えていきます。

 私たちは、症状から脱するだけではなく、これから先の時代を生きる次世代や、私たちと同じように苦しんでいる人たちが生きやすい社会にするために、新しい価値観、社会の仕組み、人のつながりを創り出すという志を持っています。そこに、私の本当の回復、病気になった意味、生きる意味があると思えます。なのはなの日々の生活の中に、そのヒントや答えが、色々な形で散りばめられています。

 以前から、お父さん、お母さんが話してくださっている“ソーシャルファーム”や、“ソーシャルフィールド”と、公衆衛生学は、深くつながっていることでした。えりさちゃんも、そこに魅力を感じて、学校で学びながらも、なのはなの私たちに伝えたいことがたくさんあるのだ、と話してくれました。

  

   
 なのはなファミリーの今までの活動や、今の活動、つくってきたもの、つくっていくものが、今これからの時代に必要とされているのだと改めて強く思いました。

 また、公衆衛生学には、医療系の公衆衛生学や、環境の健康を見ていくものがあったり、フードシステムという、食と社会のつながり、食と人とのつながりを考える学問もある、ということを、えりさちゃんが教えてくれました。これから少しの間、えりさちゃんは、イタリアへ行き、イタリアの食文化についてや、それがどのように人の健康や社会の健康につながっているのかを勉強するそうです。

■モラルと知識

 えりさちゃんは、アメリカの経済状況や、身近にあったことなどについても、話してくれました。

 シアトルでは、警察官を町から追い出す運動があったそうです。

 警察のもとで、無罪であるにも関わらず殺されてしまった黒人の人がとても多かったことで、デモなどが起こっており、そのさきに行き過ぎた反警察の運動が原因だったそうです。その結果、実際に警察官が町からいなくなり、そのために居場所がなくなってしまった人、仕事を失ってしまった人、薬物に依存して家族や家から見捨てられた人がおり、本来は警察の人が病院などに連れていくはずの人も、社会から見捨てられた状態になってしまったそうです。

 また、それ以外にも、ウクライナやパレスチナの問題についても話してくれました。

 今の世界の情勢について、お父さんから解説があり、実際にアメリカにいるえりさちゃんから、同世代の人たちの反応や運動、ニュースの報道などを聞いていて、今の世界のことも今まで以上に身近に感じました。

 世界の問題について、それまでの歴史がどのように関係しているのかも、お父さんから教えてもらいました。
 話しを聞いていて、アメリカでは、大人も学生も、国や社会のあり方に問題を感じたとき、形はどうであれ積極的に行動を起こそうとするのだと思い、日本との違いを感じてしまいました。もっと私も知識やモラル、正義を自分に入れ、評価をしたりする“力をつけなくてはいけないのだ、と思いました。「知りませんでした」「わかりません」それでは、あまりにも無責任だったと思いました。

 今の時代を生きる私たちの世界についての理解を、えりさちゃんの話から深めていけることが、とても嬉しかったです。

 問題や、改善していくべきことも多くあるのだと、強く感じました。日本でも外国でも、たったいま私と同じ時間に生きている人たちが、いろいろな形の生きづらさを抱えているのだ、と改めて気づかされます。

 その原因を考えるとき、いつもなのはなファミリーで教えてもらう、「私たちはなぜ心の傷を負ったのか」という理由と、同じなのだと思いました。国が違っていても、問題が少し違ったとしても、根本的なことは同じなのではないかと思いました。

 それは、自分だけが得をすればいい、という利己心。自分の家族、自分の国、自分だけの利益を追及する先に、生きづらさや、心の傷、戦争などが起こっていると思いました。世界で起こっている問題――戦争、病気、地球温暖化など――も、自分の傷とつながっていたのだと思いました。

■展望

 最後にえりさちゃんが、
「アメリカにも、なのはなファミリーをつくりたい、っていう希望を持っている」
 という話がありました。

 えりさちゃんやお父さんの今後の夢や、なのはなの展望を聞いているだけでも、とてもワクワクとしました。
 今回のえりさちゃんの話を聞いていて、なのはなで今、私たちがやっていること、積み重ねていること、それは国を越えてもたくさんの人の力になれたり、求められていること、通用することなのだと思いました。

 今、私たちの一日は当たり前のような毎日だけれど、それが同じ空の下で苦しんでいる人の道につながっている。難しさ、違いはあるかもしれないけれど、国や人種を超えてもできることなのかもしれないと思うと、とても希望を感じたし、それが私の力にもなります。

■客観性の大切さ

 また、お父さんの話で面白いと思ったこともありました。人の成り立ちや自分の病気を考えるとき、一番必要なのは客観性。なのはなに来て、今までの環境や家から離れることによって客観性が出てくるように、国が変わると客観性が更に高まる。それを、将来のなのはなでも上手く活用できないか、と考えているという話でした。

 あと、アメリカの社会学的な発想についても面白いと思いました。アメリカの成り立ちは、当たり前だけれど日本と違います。だから人種や宗教がバラバラの多様性のなかで、どうモラルをすり合わせていくのか、共通点を見出していくのか。そういうことが必須な状況です。

  
  

 日本でいると当たり前に、ある程度の共通認識がありますが、外国で、共感されて当たり前のような感覚を得るのは難しいです。だからこそ、人と一緒に地域や人生、生活をつくるとき、自分のモラルや共感をどう持つのか、どう求めるのか、それがすごく大事なことになるそうです。
  共感やシンパシーの上に人生が成り立ち、健康が成り立っていることも話してくれました。共感がなく、攻撃され続けたり抑圧され続けると、人と人との間にも悪い関係が生まれるし、病気も生まれ、犯罪も生まていきます。

 それをわかった上で、みんなの健康な生活、安全な生活をつくっていくにはどうしたらいいのか、という考え方を、はっきりと理解する必要がある、ということでした。
 国の成り立ちや状況によって、考え方、感じ方、共感の求め方が変わっていたり、違う見方もあること、それが健康にも影響を与えているということを改めて感じ、知ることができて、とても面白かったです。

 異文化の中に行くと、自分の中の何が「自分の考え」で、何が「借り物の考え」で、何が社会に通用して、どこは社会に通用しないのか、粗いふるいに強引にかけられるようにして分かっていく。ふるいにかけられて、ほんの少し残った自分を、通用するように膨らませたり、磨き上げて、つくりあげていく。そんな自我の確立の仕方もあるのではないか、という話もしてくれました。
 
 私は、えりさちゃんの体験や、お父さんの解説、未来の話などを聞いて、世界や幅が広がる感じがして嬉しかったです。
  私が生きている世界は、もっともっと広いということ、そして私のなのはなでの毎日の生活はその世界にも通用する、たくさんの人の力になれるヒントや答えが隠されているということを感じました。

 自分が何か力になれるかはわからないけれど、今後のなのはなや、お父さんやえりさちゃんが話してくれたソーシャルフィールドや新しい形を現実にできるように、力をつけたいと思いました。