8月16日
○今日のハウスミーティングで教えていただいたこと。
Q,過食嘔吐は手放してもいいと思うことができても、ODはやってもいいかなと思ってしまうこと。
A,私は「治る意味」というのがまだ完全に理解できていない。回復した先、自立して生きていくというイメージができていない。なぜ回復するか。それは、自立してお金を稼ぐためでも、名誉を得るためでもない。人に感謝されるような人間として、自分の力を余すことなく使って社会に貢献するため。
自分は、「ちゃんと生きていく」ということに対して若干怖さを感じている。でもそれはそんなに難しいことではなくて、楽しいこと。一人でひっそりと息を潜めて生きていく生き方は、神様の望むところではない。
他の人の質問に対するアンサー:全て起こったことには意味があって、挫折もその内の一つ。自分の置かれた役割を、自分より向いている人がいたらその人に譲って、自分が向いていたのなら自分がこなす。目立ちたいとかかわいがられたいと思うと、そのジャッジが狂い出す。
○自分が思ったこと
強烈に視野が狭くなると、自己快楽だけしか考えられなくなるのだと思います。
一人になると、弱くなります。症状を、依存を断ち切る勇気がまだできていないと警鐘を鳴らすときは、いつもきまって一人のときです。今まで誰かしらに依存して生きていたので一人で生きていくということを知らなくて、うまくできないから独りでにジャグリングが生じるのだと思います。
回復した先で得られる幸せと症状で得られる幸せを天秤にかけたとき、後者が勝っていました。症状による快楽を追い求める刹那主義的なスタンスは、自立した大人として生きていく前提ではないと思います。
それが、内にこもらずに、外に向けたのなら、変わってくると思います。
本来の自分の潜在能力は薬物致死量摂取で泡を吹いて死ぬにはもったいないと思いたいです。神様が自分に与えられた長所や、才能があったとして、それを存分に発揮して誰かを助けられたのなら、それ以上に生き甲斐を感じることは無いと思います。
どんなに難しくとも、願ったら願ったとおりになる、それ以上も以下も無いと教えていただきました。だから、何回挫折しようと、絶対無理だろうと嘲られても、自分は医者になる勉強をして人や社会の役に立つ人間になりたいです。
今日も嫁入りをしたり、午後はきくちゃんとお米のラッピングやラベル作りをしました。私はラベルをカッターで切ることが絶対自分には向いていないと思っていました。以前やったとき、うまくできなかった経験があるからです。でも、今日は道具が無くてカッターでやらざるを得なかったのでカッターを使いました。最初はゆっくりと、でも正確に切れるようになってすごく嬉しかったです。
そのうちに、もう少し速くしてみようと思い、速度を上げました。いつもなつみちゃんがやっている姿を思い出して、なつみちゃんみたいに超速くて超正確に切ろう、と思いました。なつみちゃんを演じました。そしたら、本当に速く、綺麗に切れました。すっごく楽しくてどんどん切りました。20分くらいで空心菜のラベルを100枚近く作れました。それに、きくちゃんが「私たちが作りました」のラベルを合体させてくれて、これで明日の朝は今日より楽にできると思って嬉しかったです。
今日の集合の話を聞いて、自分も誰かのことを見て、自分を離れてその人のいいとこ見つけを毎日しようと思います。私が今回着目するのは、ゆきなちゃんです。
ゆきなちゃんのことが本当に大好きなんです。大好きっていう気持ちだけで、幸せになれて何でもがんばれそうな気がします。
昨日のことになるのですが、ゆきなちゃんとロス(野菜庫)へ行ったとき、自分がうまく行かなくてもやもやすることを話したら、「あるよね、そういうとき。私もある」と共感してくれて、ゆきなちゃんのいつもの安定感が嬉しかったです。毎日ずっと一緒にいるわけではないのですが、ふとしたときに背後にいて、優しくほほえんでくれるのがすごく安心します。だから私は、彼女を信頼しています。
夜に、お化けの衣装考案をしました。私の衣装は、前パソコン室に行ったときはいいのがないねと決まらなかったのですが、みんなのアイデアで今日すごくいい衣装が生まれたのがよかったなと思います。あと、すにちゃんの衣装がものすっごく怖すぎて笑いが止まりませんでした。もうトラウマ級に怖くて脳裏にずっと焼き付いています。ああ怖い。忘れたい。早くみんなにお披露目したい。です。
明日も今日より良い自分になるためにがんばります! おやすみなさい。