【8月号②】「踊り子として、街道へ」  ほのか


  
 日本の、町の伝統を、自分たちの手で受け継いでいく。
 勝央音頭保存会の一員として、勝央町の勝間田天神祭で踊る、道中流しの光景が、なのはなの夏の風物詩となっています。

 道中流しに今年初めて出演する人が多く、私もその中の一人として、振り付けを覚えるところから練習がスタートしました。
 はじめは、なるちゃんとゆりかちゃんを中心に、みんなで振りを揃えました。踊るのは、『勝央音頭』『サンサン勝央』『勝央ヤットサ節』の三曲です。

■表現する心構え

 勝央音頭では、腰を低くしてかがみ込むところ、サンサン勝央では手を叩く高さ、位置。ヤットサ節では手の回し方を特に意識して揃えました。盆踊りは、いくつかの振り付けを繰り返していくとはいえ、同時にいろんな曲を覚えるとかなり頭が混乱して、一通り踊れるようになるには時間がかかりました。

  

  
 本番の一週間前の二日間は、夜に、勝央音頭保存会の方々と練習させていただく機会がありました。そこで先生から、「なのはなのみんなの踊りが元気すぎる」ということを教えていただいて、もう少しおしとやかに、しなをつけることを念頭に置いて練習しました。足はあまり跳ねない。手は押すように出さない。かがみすぎない。手を叩くときの位置は頭より上にならないようにするなど、本番まで、振りを揃えることを意識して練習を重ねました。

 けれど、自分をはじめ、舞台に出た経験があまりない人は、当日の最終確認をしたときも、まだ見せる意識が足りないこと、目線が泳いでいることなどを教えてもらい、基礎的な部分が未完成でした。そのことが本当に悔しくて、今にも泣き出しそうでした。
  
 リビングへ入って身支度をしようとしたときに、すにちゃんが、「表情チェックし合おう!」と言ってくれたとき、心の中のダムが決壊したように、涙がでてきてしまいました。それまで我慢していた不安な気持ち、みんなに追いつけなくて悔しい気持ちを、なおちゃんやまなかちゃんにも聞いてもらって、
「誰もが“最初”のときがあるからね」
 と慰めてくれたのがありがたくて嬉しかったです。かにちゃんも通りすがる際に、「ほのちゃんはかわいいよ」とつぶやいていたのも聞こえて、それもすごく嬉しくて切り替えて、「よし、がんばろう」という気持ちになりました。

 高いお団子に髪を結ってメイクをすると、一気に気持ちが見せる意識に向いて、気が引き締まりました。本番は夜なので、夕方のうちに古吉野を出て、会場の控え室に着くと、保存会の方々が暖かく迎えてくださいました。

 みんなで一つの和室に入って和気藹々と揃いの浴衣を着ていく風景に、なんだか嬉しくなりました。私の着付けのペアはひろちゃんで、ひろちゃんが、着崩れないようにしっかりと丁寧に着付けてくれたことがありがたかったです。
  

  
 河上さんに見ていただいたときには、補正のタオルが緩かったようで、「奇麗に浴衣を着付けようと思ったら、はじめをきちんとしないと」と教えていただきました。思ったよりきつく締めないといけなくて、苦しいくらいが着崩れないポイントなのだと思いました。河上さんが慣れた手つきできゅっと身頃を合わせてくださったとき、浴衣が身体にフィットして着心地が一気に良くなったのを感じました。帯がきゅっと締まると、「いよいよ始まるんだな」という期待にあふれた気持ちと、自分は踊り子なんだという自覚がやる気を呼び起させました。

 仕上げに真っ赤な襷をかけて、着替えは完了です。襷をかけた瞬間、自分の気持ちも踊り子に変化したようでした。大きくリボンの形に結った襷の先が垂れ下がっているのが金魚の尾びれのようで、それが動くたびにひらひら舞う光景から、華やかさを感じました。

■街道を練り歩く

 夜六時半を回り、スタンバイの位置へ移動しました。公民館から街道へ歩いていると、すでにお客さんの姿が見られて、私たちを嬉しそうに見てくださっていることを感じて、自分も嬉しくなりました。後ろから車の音がして振り返ると、お父さんやお母さんの車と、それに続く応援組のみんなの姿がありました。みんな笑顔で手を振ってくれて、応援してくれているのを感じて心強かったです。

 地域の方の御神輿が通り過ぎるのを待ち、いよいよ道中流しが始まりました。
 河上さんと保存会の方を先頭に、列になって『勝央音頭』から踊り始めると、行き交うお客さんが足を止めて見てくださって、動画を撮ったり、「わあ」「良いなあ」と言ってくださる方もいて、それが嬉しくて自然と笑顔になりました。

 一曲踊り終えるごとに拍手してくださる方がたくさんいて、お年寄りの方から若い中高生、親子に出店の方まで幅広い年齢層の方々が見てくださっていたことが、すごく嬉しかったです。出店が並ぶ道の真ん中を練り歩くので、お客さんとの距離が近く、お客さんの顔や会話がよく聞こえてきました。

  

  
 道が混んでくると、お客さんにぶつかりそうなほどの至近距離だったので、ちょっと緊張しました。踊り進めるにつれて日が沈みあたりが暗くなってきて、屋台のライトに照らされた自分たちの姿が、後ろからみんなの列を見ても奇麗でした。踊っている途中で、ある若い女性の方と目が合いそうになったとき、「わあ、すっごい美人」と友達の方と話されているのが聞こえて、それは後ろのよしえちゃんのことかもしれないけれど、自分のことだといいなと思って、にやっとはにかんでしまいました。

 私は、足が大きすぎて、足袋が入らなかったので、草履が脱げないか心配でした。赤い足かけひもをつけるのですが、案の定、途中で外れてしまいました。曲の途中でさっとひもをとって、手のひらに隠しながら踊りました。そういうハプニングも感じさせないように踊るのが、奇麗だと思ったからです。

 思ったより道が長かったことに驚きました。道の端まで来た時、折り返し地点で休憩が入りました。自分としてはすごく楽しくて、ずっと踊っていたい、この道がずっと続けばいいのにな、という気分でした。そこでお茶と塩分タブレットをいただいたとき、エネルギーが回復することを感じました。踊りに夢中で忘れていたけれど、実はかなり汗をかいていたということに、そこで初めて気がつきました。

■お祭りの一部として

 折り返し地点から復路につくときは、あたりはもう暗くなっており、街道のお店の灯りに照らされながら踊りました。

 復路での踊りはスピードアップする、ということをなるちゃんにちらっと聞いてはいたのですが、速く進みながらも列を乱さないように、奇麗に踊ることを意識しました。

 

勝央町公民館のロビーにて、勝央音頭保存会の方々と

 
 気づいたら、あっという間にスタート地点に戻ってきていて、楽しかった道中流しがお開きになってしまいました。その時間は、幻のようで、楽しい夢のような一夜でした。
 みんなと揃いの浴衣で、揃って踊ること。それが、地域おこし、伝統を引き継ぐことにもつながって、お祭りの楽しみとして定着していることが、ありがたくて嬉しいことだと感じます。