「新しい世界」 まなか

7月8日

 昨日は、みんなから、たくさんたくさん勿体ない嬉しい言葉をもらって、本当にパワーをもらいました。
 朝起きるとロッカーにメッセージが入っていたり、化粧ポーチにメモが貼り付けてあったり、面白い回文集をもらったり(これはみつきちゃんとせいこちゃんです、んふふ)みんなが自分のことを思って居てくれた時間を思うと胸がいっぱいになって、切ないくらい嬉しい気持ちでいっぱいになりました。

 お父さんとお母さんのコメントを聞いて、必死に耐えてきた一番苦しい時の自分が救われた気持ちになりました。
 なのはなに来て、お父さんお母さんに出会って、初めてあの時の気持ちをそのまま分かってくれる人に出会えた、同じ苦しさを知っている人がいるのだ、共感してくれる人がいるのだと知って、私は摂食障害を手放せているのだなと改めて思います。

 誰と会ってもどこに居ても怖くて大嫌いな人ばかりで、この世に明るさはなくなってしまったんだと絶望したこと、そんなことを思う自分が悪いんだと思って、必死になって嫌いな人たちを見て、見て、見て、無理矢理心に光をねじ込むみたいでもう死んで壊れてしまうと思った、あの時の気持ちが浮かばれていくように感じました。

 私はなのはなに居て、今、本当に幸せです。
 自分の全てを材料にしていいのだと分かったときから、本当に私は生きていく苦しさから解放されたと思います。
 まだまだ足りないところだらけで、いつも課題があって、失敗ばかりだけれど、そんな毎日がすごく面白くて楽しくて、発見がいっぱいあって、それを誰かと共有していくことが毎日幸せで仕方ありません。
 なのはなで初めて頑張り方を知って、毎日を積み重ねる感覚がやっと分かってきたなと思います。
 そして自分が変わっていくことで新しい世界が広がっていくことに、いつも新鮮な気持でいっぱいになっています。

 お父さん、お母さん、みんなと生活出来る今が本当に大切です。
 決して当たり前で無い幸せをたくさん噛みしめて毎日生きています。
 仲間を守れる、強い優しさを持てるように、一日一日をしっかりと受け止めて積み重ねて、成長し続けていきたいです。

 未来に目標を持てたことで、やっと私が歩く人生が始まったように思います。
 お父さん、お母さんが作ってくださったきっかけを、私も作っていく人になっていきたいです。いつも本当に感謝しています。

 この先ずっと「よく生きていきます」と神様に誓うように素直な心で過ごしていきたいです。

 

 今日のかぼちゃのこと。
 草が伸びていたけれど、草のおかげで実が焼けていなかった。
 とても綺麗に出来ていて、収穫が楽しみ。あと少しでヘタがコルク化する。
 1つかぼちゃが丸見えだったところが、黄色っぽくなって、もう少し暑い日が続いたら煮えてしまいそうだったなと思う。
 かぼちゃ丸見えだったのは、草でふんわり影にした。

 土がからからで、水が欲しそう。梅林は特に土が乾燥していた。
 雨がしっかり降って欲しいなと思う。

 桃横畑もしっかり見に行きたい。

 今日OMTをしていてふと思いだしたこと。
 自分が出していた症状にあまり危機感がない、というような話しを聞いた時に、「ああ自分もそうだったな」と思った。

 それで思い出したのが、なのはなに来て初めて集合で「利己心」「利他心」の話しを聞いたときに、「えっ……今まで必死に利己心を持とうと頑張っていたのに?」と思ったことを思い出した。利己心ってだめだったの? という悲しくて残念な気持ち。

 今まで本気で利己心がいいものだと思い込んでいた。利他心という言葉は聞いたことがなかった。
 病気になって、鬱を抜けるようになるために、
「結局は自分しか自分のこの気持ちを感じられないのだから、自分にとっての喜びや幸せをたくさん感じられるように過ごさなければ、だれも幸せを作ってくれない、見つけてくれない。自分からそっちに動かなければ幸せは訪れない」
 と思うようになったし、家族やまわりからも、「楽に生きていけるように」と何度も思わせられていた。

「人のことを考えるから苦しいのだ。自分の心だけ聞いて、嬉しいほう、苦しくない方を選ぼう」
 と、あえてしていたなと思う。
 私は、変に明るくて利己的な人と思って居たのだけれど、
「ああ、本当は利他的に生きたかったから苦しかったんだな」
 と改めて思った。

 今の世の中で見聞きする、色々なメッセージや風潮は、どれも利己的な考えがいいように感じやすいと思った。(私が浅すぎてそう思っただけかも知れないけれど)
 特に自分がよくいた集まりの場所は、そんな意見の塊だったような気がする。