6月20日
金時太鼓の練習に行きました。
最近は、11月にあるコンサートに向けて『那岐おろし』を練習しています。
基礎練習をしてから、一曲通して演奏しました。
基礎練習をし終わってからだと、大太鼓が叩きやすく感じて、さらに、自分のなかの変化として、叩いているときに、力を抜く感覚が少し掴めた気がしました。
今までだったら、大きい音を出そうとすると、力が入りすぎて、逆に音が出なかったり、どんどん体力だけ消耗してしまっていたけれど、昨日の夜は、力が抜けている感覚が掴めて、16分などで速く打つところも、力が入り過ぎず打つことができました。
私は、力をどう抜いていいか分からなくて、いつも100パーセントで向かって、途中で息切れを起こしてしまうということが、太鼓に限らずあります。
大太鼓のソロの最後に、どんどんクレッシェンドで上げていくところがあるのですが、そこも、今までの刻みはそのままで、さらに、フォルテからフォルテッシモにあげていくのですが、最初から気合が入った状態でやると、途中の音が弱くなってしまったり、竹内さんにも、昨日の練習で、最初から飛ばし過ぎると、中間でばててしまい、音が弱くなってしまうから、最初から飛ばさないことと教えていただきました。
大太鼓ソロは曲の最後の方にあり、確かに、体力的にばててくるのですが、そこをさらにボリュームを出していくために、抜くべきところは、力を抜いたほうが美しい形に仕上がるのだと、竹内さんのお話を聞かせていただいて思いました。
0か100かになってしまわないで、力をうまく抜くところは抜いて、フルマラソンのように、最初から飛ばし過ぎると、後半がばててしまうように、目の前の目標ややるべきことに向かって、謙虚な気持ちで淡々と向かっていきたいです。
昨日のハウスミーティングで、お父さん、お母さんが改めて、動く原動力となるのは、利他心なのだと教えてくださいました。
そして、お母さんも、なにができるできないじゃなくて、できないことが多いとしても、笑顔でいるだけでも、喜ばれて、「いてくれるだけで嬉しいと」と、感謝されるのだと教えてくださいました。
私は、できないことが多くて、器用にできないし、そういう自分はダメだと思ったり、その場にいるだけで邪魔をしているだけなんじゃないかと思う気持ちがあったり、できない自分は必要ないと思うときがあったけれど、お母さんのお話を聞かせていただいて、できないことが多い自分はダメだと思わなくてもいいんだと、気持ちが少し軽くなるのを感じました。
お父さん、お母さんのお話を聞かせていただいて、できるできないに拘って、自己否定をしても、動きにくいだけで、みんなのために善かれの気持ちで、自分の身体と心をつかって、なのはなのみんなのために動いていきたいです。