「目指す、あるべき世界」 ななほ

6月14日 

 

 

 昨日のハウスミーティングで「社会性と優しさ」についてお父さんが話してくださり、とても嬉しかったです。

 優しさを持っている人は社会性もあり、社会性のある人は優しさを持っているということ。

 お父さんが、社会性のある人は相手を許したり、相手の人格や土俵、スタンスを理解した上で相手を受け入れたり、認めたりできることを話してくださり、とても分かりやすかったです。

 反対に、社会性のない人は、人に踏み込み過ぎたり、自分の正義や我を通そうとしたり、自分が損をすると思うと相手に反抗心や攻撃心を持ってしまうのだと思い、改めて何が優しいことなのか、社会性のある人なのかということが分かりました。

 それを思った時、究極のところ、利他心100%で生きていたら、例え、社会経験や知識は少なくても、社会性のある人で入れたり、自分と関わる人に対して優しくあれるんだなと思いました。

 お父さんのお話を聞かせていただいて、私はこれまで、どこかで「社会性」という言葉の意味を勘違いしていたなと感じました。それと同時に、なのはなファミリーでの畑作業や当番、日々の何気ない会話や活動からも学んだり、経験を積ませてもらえるように、血縁関係者以外の人と適切な距離感で有効な関係をとることができたり、正しく相手のことや出来事を認識して、受け入れたり、関係をとるスタンスを考えることが大切なんだなと思い、お父さんのお話が分かりやすくて嬉しかったです。

 また、今日はお父さんと何人かの子が鳥取の梨農園へ視察に行かれていたのですが、夜にお父さんとお母さんから農園のことや町おこし出始めた温泉を利用した地域の交流の場の話を聞かせていただけて嬉しかったです。

 その中で、お母さんが待っている人がいるということが、とても大切で安心できることだと話してくださったのが印象に残りました。

 なのはなファミリーに帰ってくる卒業生が、「なのはなに帰ってきたら、お父さんとお母さん、同じ心持ちで生きる仲間がいる」と思えるように、何ができてもできなくても、能力や技術があろうがなかろうが、ここに行けばこの人に会える、この人が待っていると思える場所や人があることは、自分にとっても相手にとっても安心できる居場所なんだなと思います。

 今、保育の勉強をさせていただく中でも、児童養護施設とか保育現場でも居場所を作るということがよくいわれているけれど、ただその子たちが生きる場所、最低限の衣食住が満たされる場所としての居場所ではなく、児童養護施設や保育現場においても、その子たちが「何かあったら、ここに戻ってきたら大丈夫」「ここに行けば、相談に乗ってくれる人がいる」と思える居場所がもっとあったらいいなと思いました。

 そういうことを思うと、本当になのはなの考えとか、お父さんとお母さんの目指していることや考えは、保育の世界や現在の子どもたちが置かれている状況においても、最善の解決策や本当にあるべき姿を示してくれるものだなと思うし、私もお父さんとお母さんの目指している世界や「こうあるべき」という世界を見て、吸収して、なのはなの気持ちで子どもたちや保育の世界を見ていきたいなと思いました。