みんなと一緒だったから、走れた。
それが、一番の感想です。
今年のフルメニューが始まった日から、本番に至るまで、みんなと一緒だったから、私は、走り続けることができました。
5時間18分8秒で42・195キロを完走することができた。
このことが、未だに信じられません。
フルマラソンを完走できる日が来るなんて、思いもしませんでした。
それは、私に与えられた使命でした。
仲間に支えられて、乗り越えられた自分の壁です。
私は、今回、初めてフルマラソンを走りました。
なのはなでマラソン大会に出場することを最初に聞いたのは、年が明けてすぐぐらいのことでした。
その時は、不安な気持ちしかありませんでした。
走ることに物凄く苦手意識があり、1キロ走ることや、畑で走ることでさえ、躊躇ってしまう私でした。
以前、フルメニューを行なっていた時も、みんなについていくことができていませんでした。
でも、不安な気持ち以上に、今なら、もしかしたら走り切れるかもしれない、と希望的観測ができました。
どこまで走れるようになるかは、分からないけれど、みんなと一緒に自分のできる範囲で走っていこう、というのが最初の気持ちでした。
ランニングは、2・5キロの梅の木コースから始まりました。
不安な気持ちから始まりましたが、みんなの列に続いていると、走れました。
不安な気持ちはあるけれど、みんなと一緒に走ることを続けるんだ、とみんなに勇気をもらいました。
梅の木コース、4・2キロの奈義コース、石生1周コース、梅の木石生コース、なのはなコースと、コースが変わるたびに、自分の壁を壊してもらいました。
コースが変わるたびに緊張を感じたけれど、みんなの前向きな空気の中で、気持ちに喝を入れてもらいました。
ずっと難関だと思っていた石生1周コースも、最後には気持ちよく走り切ることができました。
最初は、走りながら話すコメントの復唱もできなかったり、坂の最後のほうは足が上がらなかったけれど、最後には、復唱もできるようになって、坂を上がるのが楽しい、と思いました。1人だと、諦めていたけれど、みんなとだから、乗り越えられました。
徐々に距離は、4キロ、5キロ、9キロと伸びていき、そのたびに、これだけ自分は走ることができるんだ、と気が付きました。
個人走になったときは、1人で心細いな、と思いつつも、すれ違うみんなが「ファイト」と声をかけてくれて、そのことに救われました。
気持ちも身体も、重い日もあったけれど、ただ祈りながら、マラソンに向けて、できることをしていきました。
■「絶対に完走する」
そして、練習の過程で最長の14・2キロを走り切ることができました。
その過程で、一番支えられたことは、実行委員さんの工夫と、みんなと一緒に走ることです。
毎回、みんなが辛くなく楽しく走れるように、と実行委員さんが考えてくれて、楽しいお題を出してくれました。
みんなが行ってみたい国というお題や、馬の画像を事前に見せてくれて、その馬にセリフをつけるお題など、そのことを考えて走っていると、辛さも忘れて、楽しく走ることができました。
ちょっと挫けそうだな、と思う時期も、そのことを思ったり、みんなと一緒に走るんだ、と思ったら、走り続けることができました。
練習の過程では、気持ちのあり方も、学ばせてもらいました。
マラソン大会の3週間くらい前から、走っているとわき腹やみぞおちが痛くなることがあり、コースの途中で、立ち止まったり、歩いたりして、痛みを抑えたりしていました。
それは、逃げる気持ちがあったからだと、後になって気が付きました。
走ることが怖い、完走できないかもしれない、なら走らないほうがいい、とまたそんな後ろ向きな気持ちに打ちのめされそうになっていました。
しかし、緊張も不安もあるけれど、その気持ちを捨てて、前向きに強く乗り切るんだ、絶対に完走するんだ、と思ったときから、その痛みはなくなりました。
その時、私は、自分の弱さや未熟さを実感していました。
4月20日。フルメニューの最終日。最後のランニングの日。
「1、2」とみんなで言う掛け声にも、感極まって気持ちが入りました。
その時から、もう本番なんだという実感がわいてきました。
今までみんなと積み重ねてきたことを信じてやろう、と、ただ祈る気持ちでした。
2か月前から、マラソン大会でこれを着るんだ、と決めていたピンクの薄手の長袖を着て、眠りにつきました。
そして、迎えた本番の日。
朝5時、気持ちよく目覚めました。
会場についたら、車内で朝食をいただきました。
梅干し入りのおにぎりに、バナナに、パウンドケーキにゆで卵。どれも、走るときに大事なエネルギー源でした。
走る前の身体に、しみ込ませるようにいただきました。
その後は、時間まで車内で仮眠を取っていました。
外は、少し寒いくらい涼しく霧雨が降っていました。
あゆちゃんが、「絶好のマラソン日和だね」と話していて、神様も味方をしてくれているんだ、と思いました。
■スタート地点
物凄く緊張するのかな、と思っていたけれど、思っていたより緊張していませんでした。
いつも、みんなと走ってきたように走るんだ、と自然と思えていて、それも、今までみんなと積み重ねてきた過程があったからだと思いました。
むしろ、これから走れるのが楽しみだ、という気持ちが大きかったです。
9時を過ぎた頃に、みんなで体操をして、あゆちゃんがゼッケンとおやつを配ってくれました。
「2015」と書かれたゼッケンを見ると、さらに実感が湧いてきました。
さやねちゃんと一緒に、そのゼッケンをつけ合いました。
お互いに、頑張ろう、という気持ちで、思いを込めて、つけ合って、その時点で胸がいっぱいになりました。
おやつの袋の中には、かりんとうや飴玉や塩分チャージタブレット、チョコレートを入れてくれていて、どれも走る過程で大事なエネルギー源でした。
走る際の補給源ではありますが、そのお菓子袋から、思いやりの気持ちが、ぎゅっと詰まっていることを感じました。
これで頑張れるんだ、と思いました。
9時50分。スタート10分前。
スタート地点に立ちました。
大勢のランナーの人たちとスタンバイすると、いよいよだ、と緊張するけれど、みんなが笑顔で「頑張ろう」と言い合って、その不安な気持ちは解れていきました。
■走り始めると
みんなでフルマラソンを走る、という気持ちで支え合っていることを感じました。
すぐ横には一緒に走るみんながいて、お父さん、お母さんや応援組のみんなもいて、緊張はあったけれど、不安な感覚は全くありませんでした。
みんなが、完走を目指していくんだ、とお互いに思い合う気持ちで溢れていました。
そして10時。マラソンがスタートしました。
ももかちゃんが、「みんな、頑張って!!」と大きな声援を送ってくれて、そのことがすごく力になって、その地点で泣きそうになりました。
隣にいた、りんねちゃんやまちちゃんが、「ほしちゃん、頑張ろうね」と声をかけてくれて、そのことが本当に嬉しくて、勇気になりました。
そして、走り始めると、一番には「楽しい!」という実感が湧いてきました。
大勢のマラソンランナーの方たちの列に連なって走っていると、その楽しさを感じました。
走っていると、今まで一番走りやすく、足に羽が生えたようによく走れるなあ、と感じました。
走っていて、2キロの標識が見えると、「今で梅の木コースくらいだ」と思いました。
■コバンザメ走法
まだまだフルマラソンは始まったばかりで、ドキドキするな、まだ早く走れそうだけれど、後半でばてないように、一定のスピードで走ろう、と心に留めました。
そして、5キロ地点では、最初の給水所がありました。
そこでコップ1杯の水と塩飴を貰いました。
目の前にいたりゅうさんが、コップの水を半分飲んで、もう半分を頭からかけていて、私も思わず、真似しました。
すると、火照ってきた身体が冷えて、気持ちが良かったです。
そして、次の給水所でも、塩飴を貰い、走りながら舐めていると、そのお陰か、折り返し地点まで一切、ばてることなく走ることができました。
沿道にいる方たちも、声援を送って下さり、その温かい空気が嬉しかったです。
前日にお父さんが、「1人、親ざめの人を決めて、コバンザメ走法をすると良い」と話してくれていて、私は、ゆいちゃんを親ざめに、ゆいちゃんのペースをお手本に走りました。
ゆいちゃんと一緒に走っていられたことが嬉しかったです。
10キロ地点を超えたあたりから、コースは上り坂になります。
しかし、上り坂だということを、まったくと言っていいほど感じませんでした。
「石生コースを走っていれば強くなる」
と、お父さんや先輩たちからよく聞いていました。
これは、その事だったのか、と思いました。
ちょっと身体の具合が堪えてきたな、と思う頃には、応援組のみんなの「頑張れ!」という声で、パワーがチャージされました。
かりんとうを1口、口に含むと、頭がすっきりとする感覚がしました。
走っていると、背後から、「ほしちゃん、ファイト」と、車で通りすぎる、応援組のみんなの声がして、そのことが凄く嬉しかったです。
1人じゃなくて、常にみんなと一緒に走っているんだ、と一瞬も辛くなったり、不安な気持ちになることはありませんでした。
20キロを超えた時、近くにいたどれみちゃんや、りゅうさんや、ゆいちゃんと、
「もうすぐ、折り返し地点だね。制限時間が迫っている。いや、まだいける」
と話していました。
すでに折り返し地点を超えた、みつきちゃんや、ななほちゃんたちとすれ違って、その時に「ファイト」と言い合えたことが、心強くて嬉しかったです。
折り返し地点に、お父さん、お母さんやみんながいるんだ、と思うと、走ってそこまで行ってやる、という気持ちで走り続けました。
そして、そこにたどり着きました。
お父さん、お母さん、みんながいて、塩分チャージタブレットとかりんとうを貰いました。
そのことがまた、心強くて、力になりました。
そして、そのまま走り続けて、22キロ地点を超えたあたりから、左足の付け根が痛み始めました。
そこから、どんどん自分との闘いは始まりました。
■自分から離れたとき
このとき、走りながらふと思いました。
「自分を捨てるということは、こういうことだ」
私は、今までの人生、走ることが物凄く苦手でした。
5メートル走っただけで過呼吸。
50メートル走の前は、泣きっ面をして、運動会の徒競走もいつも最下位。
怖くて、全力で走ったり、長く走り続けることができませんでした。もう、今後の人生走らない、と一度決めていました。
しかし、摂食障害になって、なのはなに来て、その壁を乗り越える機会、使命を貰いました。
私は、この壁を乗り越えるんだ、という気持ちで、みんなと向かってきました。
足はどんどん痛んでくる。けれど、ここで止まるわけには絶対いかない。
私は、仲間のために、まだ見ぬ誰かのために走り切るんだ、と思いました。
自分の不安、過去を捨てて、未来のまだ見ぬ誰かのために走り続ける。
絶対に、完走する。
そう思いました。
走っていて、止まりたい、下を向きたいと思った瞬間は、一度もありませんでした。
自分から離れる、そのことは、そういうことなのだと思いました。
自分の心、身体、頭も、自分から離れたとき、本当に使えるのだと思いました。
そう思ったときは、30キロ地点くらいでした。
それから、クライマックスに向けて、高まっていきました。
足の痛さが出始めたとき、なのはなの応援車が目に入って、ももかちゃんが、「ほしちゃん!」と遠くから叫んでくれて、そのことを心の軸にして、気持ちを強く持って、走りました。
ゴール地点に至るまで、応援組のみんなの存在があるたびに、気持ちを持ちなおす機会をもらいました。
35キロ地点を超えたあたりから、加茂のお店や家屋が並ぶ道に戻りました。
地域の方も、「おかえりなさい」「あと少しですよ」と応援してくださりました。
「なのはな、頑張れ!」と声援を送って下さる方にも、3度ほどお会いしました。
「ほしちゃん、おかえりなさい」と聞きなれた声がする、と思い、ふと斜め上を見ると、笑顔で「なのはなファミリー」の看板を持った永禮さんの姿がありました。
その時、私は本当にたくさんの人に支えられているんだな、と感じました。
半分泣きながら走りました。
もう、身体も、気持ちも、自分のものではなかったです。
ゴール地点にはみんなが待っている、完走できたことがまだ見ぬ誰かの希望になる、そのことだけを、心の軸において、走って、走って、走りました。
沿道の方も、「お好み焼きどうぞ」「飴玉をどうぞ」と声をかけてくださり、頂きました。
そのことが、心にも身体にも大事なエネルギー源となりました。
39キロ地点では、最後の応援組のみんながいて、あやちゃんが、「早いよ、頑張れ」と、かりんとうを渡してくれて、またそのことが力になりました。
■グラウンドゲートをくぐって
そして、最後の5キロ。
そのときが、最大の闘いでした。
もう、限界を超えた地点で走っているはずだけれど、走る足は止まりません。
ただただ、みんなのこと、まだ見ぬ誰かの元へ、と思わされて、突き進まされました。
最後の2キロ。
そこで初めて、自分の顔の表情が険しくなった、と感じました。
半ば、意識が別の空間に移りそうと感じました。
けれど、ラストスパート。ここで、諦めるという選択肢はないです。
最後の給水所で、スポーツドリンクと、ペクチンゼリーとチョコレートを2つ貰い口に含み、走りました。
そして、「あと1キロ」という標識が見えました。
その時、私の心の中には、お父さん、お母さん、みんなが見えていました。
そのみんなを目掛けて、ただ走りました。
そして、帰ってくるグラウンドが見えました。
そのグラウンドの手前に、なっちゃんとももかちゃんの姿があり、「おかえり!」と声をかけてくれて、それで、力が湧きました。
グラウンドに入るとき、お母さんが、
「お帰り、よくがんばったね、お父さんもみんなもいるよ」
と、声をかけてくれました。
そして、グラウンドに入ったとき、まえちゃんが「ほしちゃーーん」と叫んでくれました。
最後のグラウンドを1周する際に、あゆちゃんやみんなとハイタッチを交わしました。
そこでも、みんなが声援を送ってくれました。
ただ、ただ、みんな、仲間がいることが、嬉しくて、心強くて、足も身体も限界のはずだけれど、走る足は速くなりました。
ゴールテープの前には、お父さんやみんながいて、私がゴールをするのを、最後まで応援してくれていました。
みんなのはちきれるくらい眩しい笑顔が、心に染みました。
そのみんなのパワーだけで、最後は走っていました。
走る一歩、一歩が、奇跡のあとを残していくようでした。
そして、5時間18分8秒。
ゴールテープを切りました。
ゴールテープを切ったとき、もう足はガクガクでペンギン歩きで、こんなに走ったんだと驚くとともに、その時、まちちゃんが、「ほしちゃん、よく頑張ったね」とハグをしてくれました。
すにたちゃんやまなかちゃん、みんなも、次々に「おかえり」とハグをしてくれました。
事前にゴールしていたみんなとも、その後にゴールしたみんなとも、「お帰り」と声をかけあって、私は、本当に1人じゃなくて、みんながいて、同じ気持ちで仲間としていてくれるんだな、と思いました。
■誰かの希望に
ゴール後には、なのはなのマラソン大会での醍醐味でもあるお花見弁当を頂きました。
巻きずしに稲荷ずしに、から揚げ、1口、1口が美味しくて、身体に染みました。
次々に、みんながゴールテープを切り、最終ランナーのなるちゃんといよちゃんがゴールした時、本当に嬉しかったです。
全員が時間内にマラソンを完走することができました。
これまで過程で困難もあったけれど、みんなで支え合って、みんなと走るんだ、というみんなと気持ちが1つになって、その気持ちが届いたんだ、と思いました。
本当に、私には、仲間がいて、たくさんの人に支えられて、その力で走ったんだ、と実感しました。
みんながいたから、強くなれたんだ、と思いました。
みんなに、感謝の気持ちが溢れ出ました。
摂食障害で走ることが凄く怖かった私が、42・195キロのフルマラソンを完走することができた。
なのはなファミリー、みんなと支え合って、全員で完走することができた。
かつて私が、なのはなファミリーに来た、その次の日にみんながフルマラソンを完走する姿を見て、深い不安や失望の中、希望を抱いて、それが今につながりました。
いくつもの壁や、挫けたこともあったけれど、みんなの姿から、私も誰かの希望になると希望を見ることができて、走り続けられました。
みんなに心の底から感謝します。
そして、みんなとフルマラソンを完走できたことが、まだ見ぬ誰かのところへ届くことを祈ります。