【5月号②】「仲間と倶に走り続ける」 りな

 

 フルマラソンを、みんなと完走できて本当に嬉しかったです。私は、今年、フルマラソンに初めて出場しました。そのため、42・195キロを本当に走り切ることができるのだろうか、最後まで足が壊れずに持つのだろうかと、不安や心配がありました。

 でも、1月15日から、みんなと一緒にフルメニューで、累計325キロも走ってきたことを知り、もうこれ以上、心配する必要は1つもないのだと思いました。そして、ここまでの、フルメニューで積み重ねてきた過程も含めて、本番だったのだと思いました。フルマラソンを完走するか、しないか、が問題ではなく、これまでみんなと積み重ねてきたことを、自分の精一杯で、全て出し切るだけなんだなと思いました。

 スタート地点でも、自然と、不安な気持ちはあまりなくて、理由はなくても、きっと大丈夫だ、と思えました。周りには、りゅうさん、なのはなのみんなが同じようにスタンバイしていて、そして本番だけれど、いつものフルメニューで走り走り始める時と同じように、みんなが話しかけてくれたり、清々しい笑顔を見せてくれました。

 

 

 スタートのピストルが鳴って、雪崩のように、ランナーがスタートを切り、私も後ろから押されるようにスタートしました。お母さんやあゆちゃん、応援組のみんなが、グラウンドの高い縁に登って、力いっぱい私達に向かって手を振っているのが見えました。どんどん姿が遠くなって、これから自分たちは42・195キロの長い旅に出るのだと思うと、心細いのと、ここまで来れた嬉しさとで、涙が溢れてきました。

 スタート地点から、ずっと周りにはなのはなのみんなの姿があって、1人で走っている感覚はなく、心細くありませんでした。神様が味方してくれて、この日の天気は、霧雨が降っていて、肌寒いぐらいで、走っていると霧雨がとても気持ちよく感じました。

 手には、前日に、マラソン練習の実行委員さんが書いてくださった時速8キロの目安の時間割を書いていて、時計と一緒に見ながら、速くなりすぎないように走りました。また、お父さんがペースを安定させるコツとして、コバンザメ走法を教えて下さりました。親ザメとなる人を決めて、その人についていくという方法でした。前方に、よしみちゃんと、ななほちゃんが時速8キロペースで走っていて、2人を親ザメにして走ろうと思いました。

 

 

■走り続ける力

 最初の2、3キロ地点は本当にあっという間で足が軽く、石生コースと同じ距離だとは感じないぐらい、短く感じました。
 10キロ地点ほどまでは、平坦な道が続いていて、沿道は商店街のようになっていました。そこには、たくさん地元の方が出てきて、温かく応援してくださっていました。小さい男の子、女の子、消防の方、道路を誘導されている方、色々な方が、「頑張ってください」と笑顔で言ってくださることが、本当に嬉しくて、パワーがみなぎりました。

 なのはなの応援組のみんなも、至る所で見つけて、そのたびに、安心した気持ちでいっぱいになりました。遠くからでも、なのはなの応援車は分かって、そしてなのはなの子の、明るい、華やかな声は、遠くまでよく響いていました。これは○○ちゃんの声だ、と分かると、姿は見えなくても、自然と足が軽くなりました。
 遠くから手を振ってくれて、通りかかるときは笑顔で、「頑張ってね!」「いいペースだよ!」と声を掛けてくれたり、水や、かりんとうなどを差し出してくれました。その気持ちだけで、十分すぎるぐらいに、スタミナをもらいました。

 

 

■自分の身体は

 10キロ地点から、登り坂が始まることを、覚悟していました。でも、10キロ地点を過ぎてからの上り坂は、私が思っていたよりも、ずっとずっと平坦で、なだらかでした。これまで、フルメニューでみんなと心臓破りの坂を登ってきて、それとは比べ物にならないぐらいの坂だったので、楽々、登ることができました。

 身体が欲するようになる前に、こまめに水分、栄養補給をした方が良いということや、前半で、後半まで体力が持つように、お腹に溜まるエネルギー源を補給しておくと良いと、これまでフルマラソンを走ったことのあるメンバーから、教えてもらいました。そのため、前半では給水所があれば、喉が渇いていなくても、水を飲むようにしました。

 

 

 また、登り坂の前に飴を舐めたり、定期的に、栄養補給をするようにしました。そのため、お腹が空いたと感じることが一度もありませんでした。また、自分が欲していた栄養源に、ぴったりと重なるものを食べると、いつもよりも一層、美味しく感じたり、すぐさま身体も気持ちもシャキッとすることを、とても感じました。私は、飴はあまり効果がなく、かりんとうやチョコレートが、とても効果がありました。

 以前、あゆちゃんから、
「食べたもので、自分の身体ができ上がっているのだということがとても良くわかるよ」
 と話してくれたことがありました。それを、まさに自分の身体で実感したような気がしました。それは、自分の範疇にある意図的なものではなくて、本当に自分の身体が、意思を持った細胞の集合体なんだなと思いました。自分、というのも、その集合体の1員でしかなくて、自分の身体を作っている全機能が、故障なく働くことができるように無理なく統率しなくちゃいけないなと感じました。自分の身体も借り物だから、追い込みすぎることも痛めつけることも、してはいけないと思いました。

 後半、25キロ地点ほどから、足が重くなった時も、水分を飲めば、すーっと足が軽くなっていくのを感じたし、走りながら、身体のコンディションで何を欲しているサインなのかと考えて、実験台になって答え合わせしていくことが、楽しく感じました。

 走っている間、頭の中ではずっと、お母さんが歌ってくれた『倶に』が流れていました。本当に走りつけるかどうか分からないし、まだまだ先は遠いけれど、きっと走りつく先に、まだ見ぬ誰かに繋がることがあると思ったし、走り切ることが、誰かの希望になったり、求められていることなのだと思えました。そう思うと、先がどんなに長くても、後ろを振り返らずに、前だけを見て、希望を持って走ることができました。

 

 

■チームプレー

 走っていると、沿道で応援組のみんなが全力で応援してくれて、地域の方も、とても笑顔で声を掛けて下さりました。走ることが、こんなにたくさんの人に喜んでもらえることが、とても嬉しくて、どこを見ても、どこを走っていても、1人ではありませんでした。

 なのはなファミリーに出会わなかったら、私は、自分の身体を壊す手段として、走ることを使っていたと思います。どうすることもできない怒りを走ることにぶつけて、自分の身体が悲鳴を上げるぐらいまでに追い込んで、追い詰めて、それでやっと安心できました。果てしのない真っ暗闇の絶望の淵を走るような心地で、走ることがとてつもなくきつくて、辛くて、それでも止めることができませんでした。

 

 

 走ることで見えるゴールはありませんでした。マラソンは競争でしかなく、競争から落ちこぼれないように走る、自分のために走ってきました。そして、自分の中で、強く植え付けられてずっと蝕んできた競争意識が、休むことを許さず、いつも追い立てていたのだと気が付きました。1人ぼっちで、虚しさは埋まりませんでした。

 でも今は、自分は1人ぼっちではないんだと思いました。走っている脳裏には、いつもなのはなのみんなの存在がありました。そして、盲目のなか走るのではなくて、42・195キロという目標があって、ゴールした先に、たくさんの仲間の笑顔や、まだ見ぬ誰かが見えました。同じ走る、ということでも、本当に180度転換させて、笑顔で今走れていること、心から走ることが楽しいと思えていることが、私にとって奇跡だと思いました。

 競争の中でいて、自分の存在が誰かにとって毒になっている、というような負い目をずっと持ち続けてきました。
 でも、それは個人プレイであったから、感じてきた苦しさだったのだと気が付きました。フルマラソンは、3か月前から、みんなとフルメニューで鍛えてきた過程の延長上にありました。そのため、1人で走っている時も、常にチームプレーの意識がありました。 もう少しでゴール、スタート地点だったグラウンドに戻ってくると、その入り口にお母さんが立っておられました。お母さんが、私の目を見て、ギュッと手を握ってくれました。グラウンドに入ると、応援組のみんなが、「あともう少し、頑張れ!」と言って、全力で応援してくれました。グラウンドは、約2周ありました。でも、本当に足が軽くて、自分の足じゃないように、ぐんぐん走れました。走ることが怖くなかったし、心から楽しいと思えました。

 ゴールテープを切った時、そこで待ち構えていたお父さんや、みんなが、自分の事のようにすごく喜んでくれました。これまで感じたことのない、嬉しさ、喜びでいっぱいになりました。

 

 

■宝物

 その後、続々となのはなのみんながグラウンドに帰ってきました。誰もがみんな、清々しい笑顔で走っていて、本当にみんなの姿が綺麗でした。オレンジのゼッケンをつけたみんなの姿がグラウンドに見えた途端、嬉しい気持ちがこみ上げてきて、1人ひとりの走っている姿を見ると、目がジンと熱くなりました。

 みんなのゴールが、私自身のゴールと同じ比重で、心の中にたくさんたくさん積み上がっていくのを感じました。そのたびに、心強い仲間が増えていくような、本当に安心した気持ち、満たされた気持ちになりました。

 制限時間まで、残りあと10分。帰ってきていない、なるちゃんといよちゃんをみんなで待ちました。祈るような気持でした。9分、8分、時間が限られていく中、「帰ってきたよー!」誰かの声で、はっとグラウンドの入り口を見ると、なるちゃんといよちゃんが2人並んで、走ってくるのが見えました。
 2人の姿を見た途端、堪えていたものが堰を切ったように、涙が溢れてきました。

 

 

 全員、時間内完走することができました。これ以上ないぐらい、大きな宝物をもらったような気持になりました。
 周りを見ると、たくさんのみんなが目を赤くしていて、同じ気持ちなんだなあと思いました。喜びを共有できる家族、一緒に壁を乗り越えていくことのできる仲間が傍にたくさんいることを感じました。それは、本当に幸せなことで、それこそが、自分に一番必要なことだったのだと気が付きました。

 そして、私も、そんな関係を広げていく人、作っていく人でありたいと思いました。摂食障害だった私達が、フルマラソンを完走した事実は、きっとまだ見ぬ誰かにとって、希望になると思います。私達が積み重ねてきたことは、全部未来に繋がっているのだと思ったし、道を切り拓くことになるのだと思いました。

 

 

 フルマラソンが終わった今も、いつも未来に向かって走り続けているのだと思ったし、それはなのはなファミリーのたくさんの家族が心にある限り、ずっとチームプレーだと思います。走り続けることが怖い、という感覚が今はなくて、それはみんなと一緒にコンサートやフルメニューを通して自分の気持ちが変わったからだと思います。フルマラソンに向かう過程を通して、みんなと手を繋いで、大きな壁を越えたような気がして、そんな3か月間が宝物です。

 気づいたこと、成長したところを、ゼロにするのではなく、ここからスタートする気持ちで、これからも積み重ねていきたいです。