「ゆきが積もる」 まち

1月24日

 今日はとても寒かったけれど、午前中にみんなと走っていると、寒いけれど体が温もりました。私は実行委員なので、みんなの列の一番前で走っているのですが、ときどき、昇り坂をのぼったあととかに、みんながちゃんとついてこれているか確認するために振り返ったとき、みんなの上気した、少しほっぺが赤くて、真剣で、でもちょっとはにかんで一生懸命走っている姿が見えて、それがずらっと列になってるのを認めたときが、一番幸せで、安心するというか、みんなが一生懸命目標に向かって走っているのが、こういうのが仲間なんだなあ、と感じて、みんなが素敵だと感じます。

 今日で梅の木コースが終わって、明日から奈義コースになる予定です。でも、筋トレもずっとやり続けていて、走り続けているし、明日は寒いし、ちょっとゆったりと、ストレッチデーをはさんでもいいのかな、と考えています。いつも鍛えたり走ったりしないといけないんじゃなくて、要はみんながフルマラソンを走りきれる体力と気力を養えたらいいのだから、たまには息抜きとか、身体を休める日があってもいいかなあ、なんて思っています。今日はあけみちゃんが太鼓で今はいないので、また帰ってきたら、あけみちゃんとまなかちゃんと相談して、明日は寒いし、どうしようか決めたいと思いました。

 稲盛和夫さんの本を読んでいて、印象的なのが、「心の有り様がすべて返ってくる」、ということです。今思ったことが、必ず返ってくる、そして、今の現状は、今まで思ったことの集積だと。

 これは、「思考は現実化する」という、自己啓発本によくあるものと、言葉は似ていると思います。そして、私はなのはなに来る前、苦しいとき、自己啓発本を読み漁って、どうか楽になりたいと思っていて、その類の本も読んで、実際に、いつもプラスのことを考えよう、としていました。

 でも、続かなかったです。私の心が弱いのもあったと思うけれど、当時の私の、こうなりたい、と思うものが、「もっと綺麗になりたい」とか、「お金持ちになりたい」とか、「素敵な彼氏がほしい」みたいな、自分だけの欲だったからだと思います。

 それは、神様が許さなかったのだと思います。だから続かないし、現実になることもなかった。

 いま、私は生きていて、自分が考えることが現実化するなら、ずっとプラスのことを考えよう、と、使命感に似た気持ちで、決めました。なぜなら、それが、これから時代を切り拓くには、どうしたらみんながもっと幸せになれるか、どうしたらみんなが笑いあって生きることができるか、という内容だからです。明るい気持ちで、みんなが幸せになれるように、そのイメージをする。みんなが明るく笑って、協力しあって仕事をしたり、狭いコミュニティに限らず、広いところまで、人間関係をとって、みんなが、幅広く活躍したり活動できる。そういうイメージをするからです。

 普段私が思っていることを考えると、無意識に結構マイナスなことを考えている、と思いました。選別をしていても、やれ肩が凝る、とか、さっきの私の発言おかしかっただろうか、とか、この人のこういうところおかしいんじゃないか、とか。ああ、こういうことの連続だったんだな、と思います。

 そういうの考えるのまったくやめて、いつも、みんながいきいきと、楽しく生活したり、笑いあっているところをイメージしようと思います。いつもです。それは、現実になります。前と違って、これは続くと思います。私の心が許しているような、心地よさを感じるからです。それが、私のあるべき姿というか、魂が求めているようなものの気がします。だから続けられます。

 無意識に考えていることこそ怖いな、と思うので、無意識レベルで、当たり前にそういうことを考えられている状態になるまで、ずっと、意識して考えていたいと思いました。

 今日はちさとちゃんのお誕生日でした。笑顔が可愛くて、いつもみんなを明るい笑顔で包んでくれて、困ったときはいつでも親身になって聞いてくれる。仕事を効率よく、なのはな企画のために、みんなのために頭をつかって仕事をしているちさとちゃん。『タフアフワイ』や『ハウ・ファー・アイル・ゴー』を踊る姿はとってもキュートで客席の人を魅了する。ウィンターコンサートの“いただき秘書”が、本番で、袖幕で控えていて、横瀬の私に、「まちちゃん頑張ろうね、私本当に横瀬さん好きなんだよ、横瀬さん、愛しています」と元気づけてくれて、私は、人前で自分の思いを表現するのが怖い気持ちがあったけれど、ちさとちゃんがいつも肯定的で、包んでくれて、「すごいね!」といつも喜んでくれて、私は自信を持てたし、何か被害感情的なものが抜けたし、ちさとちゃんの存在にとても助けられて、でもきっと、ちさとちゃんは誰に対してもそうなんだ、と思います。ちさとちゃんのお誕生日をお祝いできて嬉しいです。

 それから、遅れてしまったのですが、お母さん、お誕生日おめでとうございます。お母さんが私のお母さんになってくれて、私は本当に幸せです。お母さんとお父さんの子になって、お母さんとお父さんがいつでもラブラブで、熱くて、強くて、どんなときでも私たちのことを考えてくださる。私がどんな状態であっても、どんなに未熟でだめでも、何も変わらず、お母さんは強く、綺麗で、私を信じて、私のあるべき姿を見据えて、あるときは怒ってくださる。私が落ち込んだときは、本当にさりげなく、廊下ですれ違うときでも、察してくださって、声を掛けてくださる。いつも強くて綺麗なお母さんは、私の憧れです。

 コンサートで、ホワイトフラッグの朗読で、私が歌詞の一部分を指して、この解釈はどうしたらいいんでしょうか、と尋ねたとき、自分の解釈でいいんだよ、なんでも自分のものにしちゃったらいいんだよ。お前さん、それをしないというか、だから苦しんじゃないのかい。頭もいい、よく気がつく、でもここにいるのは、そういうところなんじゃないかと思うんだよ、と、まっすぐに私を見て、言ってくださって、そのときの、私を見るお母さんの目が、本当に本当に、そこには私しかいなくて、私の体を通り越して心のまっすぐな部分まで届けてくれていて、私は今まで出会ったどんな人からにも、そんなふうに、私の目を見て、気持ちを届けてもらったことがなかった、初めての経験でした。

 私が何か、充実しない毎日を送っていたり、何か不満がある、そういう苦しさを、お母さんはズバリと当ててくださって、どこか高みから見ているというか、ということを教えてくださったとき、自分ではどうしたらいいか分からなかった苦しさを、お母さんが救ってくださったんだと思いました。

 誰に対しても、そうやってお母さんは、本当にまっすぐに、気持ちを届けてくださっているのだと思いました。あの日の私を見るお母さんの目を、私は今でもはっきりと思い出すことができます。

 自分が歳をとっていくように、お父さんとお母さんも歳を重ねていかれることが、お願いだからやめてくれ、いつまでもそのままでいてくれ、と思ってしまうときもあります。本当にまだまだだけど、本当にまだまだだし私は弱いし未熟だし本当にまだまだだけど、でも、お母さんの子として、強くなって、力をつけて、お母さんのように、人を守れる人間になるよう、精進していきます。逃げずに、立ち向かって、強くなります。守られてばかりじゃなくて、人を守れる人間になります。誰かに恩返しができるよう、いつもみんながいいようにイメージして、生きていきます。

 明日は寒いです。外はもう雪が積もっていました。いま、「雪」を変換したら、「幸」と出て、ああ、幸が積もるって素敵だな、と思いました。外はもう幸が積もっています。どうか、明日も、みんなにとって、私にとって、素敵な日になりますように。読んで頂いてありがとうございました。