「生きる姿勢 本当に嬉しかったこと」 りんね

1月24日

〇お母さん

 一日遅れてしまい、ごめんなさい。
 お母さん、お誕生日おめでとうございます。

 なのはなファミリーで、お母さん、お父さんの子供になれたことが、本当に嬉しいです。
 お母さんは、私が今までの人生で出会った、誰よりも強く、美しい女性です。
 そんなお母さんに育てなおしてもらって、生き方を身に着けていけることが、本当に恵まれていることだと、思っています。

 去年のウィンターコンサート前、お母さんが、なのはなの一人ひとりと、『オブリビオン』または『ホワイトフラッグ』の朗読を見てくれました。
 私が『ホワイトフラッグ』の朗読を見てもらったとき、お母さんは、生半可ではない気持ちで、ど真剣に、私に向き合ってくれました。

 なのはなに来るまで、誰にも理解されなかった辛さ。自分を壊すしかないくらい、苦しかった過去。それを、お母さんは自分の事のように、深く理解してくれていました。
 1回目に私が読んだ時、「そんなもんじゃないだろう! りんねの体験は」と怒ってくれたほどに、ちゃんと、重いものとして、流してはいけないものとして、受け止めてくれていました。

 私の感情を、お母さんが、全て正面から受け止めてくれたとき、私は、小さいころから、ずっとずっと願っていたことが、今、お母さんに叶えてもらったと思いました。

 だからもう、これから先は、過去を切り離して前へ進める。もう過去に囚われず、自分が生まれたときから、本当に望んでいた生き方をしていくことができる、と。
 お母さんに、人生を救われました。

 こんなことを書きながら、もしかしたらまた心の傷ミーティングで、過去を思い出したら、引っ張られてしまうのではないか、と情けなく感じてしまう思いもあります。
 けれど、大丈夫。私一人ではなく、誰よりも強いお母さんが一緒に戦ってくれるから。きっと大丈夫。完全に切り離すまで、諦めずに、戦い続けます。

 お母さん、私たちのお母さんになってくれて、本当にありがとうございます。
 今はまだ、本当に未熟ですが、お母さんの子供として、仲間として、使命を果たす生き方ができるように、成長していきます。これからもよろしくお願いします。

〇本から感じたこと

 本を読んで、感じたことがあります。
 なのはなのお父さんお母さん、稲盛和夫さん、高田郁さん、脇屋友詞さん。ほとんど同じ、といってもいいことを、人生で大切にしている、ということでした。

 事業家であったり、歴史小説家であったり、料理人であったり。方面は違うけれど、それぞれの分野で成功し、多くの人にいい意味で影響を与えている人たち。
 普通の人の中から、つき抜けた存在だと思いました。その状態が、ただひと時のことではなく、ずっと継続している、ということも共通しています。
 そして、大切にしているもの。それが人として生きる姿勢、持っている哲学だと思いました。

 脇屋さんの『厨房の哲学者』は、まだ読めていないのですが、お父さんから、その本に「うさぎの耳と、背中に目を持て」という言葉が書かれていたことを、教えてもらいました。
 それは、謙虚な姿勢で、うさぎのように大きな耳で、人の言葉を聞いて、背中に目を持つように、いつも周囲に気を配って自分のすべきことを見つける、ということ、とお父さんが教えてくれました。

 稲森和夫さんの『生き方』を読んでいたとき、すごく似た言葉を目にしました。
 それは、「人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目」。後半は少し、意味合いが変わってくるかもしれないけれど、根底にあるものは同じだと思いました。
 稲森さんは、素直な心とは、「自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する姿勢であり、人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目、それらを身に備えて、絶えず働かせること」と書かれていました。

 未熟な自分を成長させるためには、ただ、自分のやりたいように努力するのではなく、そういう「耳と目」を持って、自分に必要なものは何か常に感じ取り、行動に移していくことが、大切なのだと思いました。

 また、仕事を好きになることが、惜しまずに努力をする一番の方法ということ。
 好きになれなかったら、ひとまず一心不乱に打ち込む。そうすれば、苦しみの中から喜びがにじみ出てくるもの、と『生き方』に書かれていました。
 そんな姿勢は、上に挙げた人たちに共通していると思いました。

 話は少し逸れてしまいますが、ギターの練習を再開するとき、気合を入れるために、小松原俊さんの楽譜集を、ぱらりとめくりました。
 そこで、『Will』という曲の説明文に目が留まりました。
 小松原俊さんがこの曲に込めた思いは「志(こころざし)」。そしてそこに持っているイメージは、「志」に向かってすでに明確な光が見えている。「成就の自信」。

 短い文だけれど、読んだ時に、「ああきっと、小松原さんも同じ哲学を持って、生きている人なんだな」、と感じました。
 自分の才覚を自分のためではなく、世のために使い、ギタリストとして道を歩んでいるのではないか、と思いました。

 何よりも大切なのは、考え方。生きる姿勢。
 『みをつくし料理帖』で、主人公の澪に対して「あなたのその姿勢があれば、たとえどこに身を置こうとも、また何が起ころうとも、必ず道は拓ける」と諭される場面がありました。
 ふと、お母さんがなのはなの努力を惜しまない子に対して、「未来は明るいです」と笑顔で力強く、言ってくれることが思い浮かびました。

 生きる哲学とは、時代も場所も越えて、全ての人に普遍的なものなのだと、思いました。
 でも、こうして本を読んでそう実感できるのは、これまで、なのはなで実体験を通して、お父さんお母さんから教わり、少しずつ自分を作ってこれている、今だから、だと思いました。

 まだ気持ちが作れていない内は、『みをつくし料理帖』を読んでも、あまりにも主人公と自分の心情がかけ離れていて、「私はこんな風にはなれない。こんなに純粋な人になれっこない」、と苦しく感じてしまいました。
 でも、なのはなで自分の抱え込んでいた苦しさが、お父さんお母さんやみんなに理解され、少しずつ抜けていくと同時に、私もみんなと変わらないことや、『みをつくし料理帖』の主人公のようになりたいということを、感じられるようになりました。
 また、そうでなければ生きていけないことも。

 5,6歳の頃に心の傷を持ち、摂食障害になった私たちは、心の傷が解決し、癒された後も、ちゃんと人としてあるべき哲学を持って生きていかなければ、簡単に症状に飲み込まれて、生きられなくなってしまう。
 でも、なのはなファミリーでよく生きる方法を教えてもらえることは、本当に、恵まれたことで、これから先も、なのはなファミリーを心の中心にしていれば、例えどんな環境に行こうと、大丈夫だと思いました。

 そんな風に、今、自分が感じられるということが、本当にありがたいです。
 なのはなで過ごさせてもらう一日一日、そのありがたみをしっかりと感じて、謙虚な姿勢であることを、日々自分に言い聞かせて、成長していきたいと思いました。

〇本当に嬉しかったこと

 今朝のフルメニュー前、新ゆいちゃんがそっと手紙を渡してくれました。
 そこには、「なのはなに残ることにしました」、と書かれてあり、はっとしました。「りんねちゃんが一緒にいて、話しあえたから、前向きに、周りを見てひとりじゃないと感じられるようになってきた」、と書いてくれてありました。

 ここ数日の新ゆいちゃんの様子から、どんどん前向きになってきてくれていることは感じていたけれど、こうして、はっきりと気持ちが切り替わったということを、お父さんお母さん、そしてシスターにも伝えてくれたことが、嬉しかったです。

 ゆいちゃんがなのはなに来てくれた初めの日から、「この子はなのはなにぴったりの子だ」と感じていました。
 ゆいちゃんの心が頑なに閉ざされ続けていたとき、どうか心を開いてくれますようにと思っていたけれど、今、それが現実になりました。それに、前からずっとそうだったかのように、自然に、シスターに限らずなのはなのみんなと、心を開いて打ち解けている姿があり、やっぱり、元からなのはなの子らしい、優しい子だったんだと思いました。

 ゆいちゃんは、元から優しくありたいと心の奥では思っていて、その優しさは、なのはなに来たばかりの頃から実は、ずっとあって、苦しいときもシスターに対して、誠実でいてくれたことを、感じます。
 目の前の人を大切にするゆいちゃんの姿勢は、人として尊敬すべきことだと、感じました。

 3年生教室に飾られている、しほちゃんの千手観音のダンスの写真が、実はお母さんが「これを飾っていたらゆいは変われるから」と言ってくれたお守りだったことを、ゆいちゃんから教えてもらいました。
 卒業生のしほちゃんも、なのはなに来たばかりの頃、今までのゆいちゃんにとても良く似ていたと教えてもらって、ゆいちゃんもきっと、どんどん力をつけて、しほちゃんのように大活躍する存在になっていくだろうな、と思いました。

 また、版画教室も始まり、ゆいちゃんと一緒に版画に向かっていけることも、すごく嬉しいです。
 それと、名前もゆいちゃんから、つばめちゃんへ。「フラミンゴじゃなくてよかった」と眉を下げて笑っている姿がチャーミングでした。

 つばめちゃんが、なのはなで心を開いてくれて、仲間になってくれて、本当によかった。そう思います。
 これから、シスター離れもしていくと思うのですが、離れていてもお互いの存在に勇気づけられるような、いい関係を繋げていきたい、と思いました。