【11月号⑤】「ダンスの振り入れ始動!!  卒業生に助けてもらっての創作」 あけみ

 本当の生きる道を、私は、私達は、命をかけて求めていました。そして、巡り合ったなのはなという場所、お父さんお母さん、あゆちゃん、皆という家族、仲間。
 そんな皆とだからつくれるコンサート。いよいよ始まりです。
 弦楽器の音から始まる一曲目。真ん中から歩き出す人物。次々と、ステージの上で動きが変わります。魔法のように、魔術のように、中心に吸い込まれていく人物……。
 ステージの上で、日常からかけ離れた魔法のような瞬間が動き出そうとしています。

 

 

 コンサートに向けて、『オブリビオン』と『ホワイトフラッグ』の練習が進んでいます。この二曲は、大人数ダンスです。今回、あゆちゃんや卒業生ののんちゃんが、構成や振りの案、参考の材料などの大枠を考えてくれて、それを元にして皆でつくっています。
 卒業生ののんちゃんは、立ち位置の表や振り付けの動画を送ってくれました。あゆちゃんも全体の構成を考えてくれたり、イメージとなる材料の動画を見つけてくれました。そして、それをダンス部のメンバーで解読し、皆に振り入れをして、皆で実際に踊り、あゆちゃんに見てもらい修正しながら創っています。

 

 

 今回私はコンサートの係で、ダンス・コーラスを担当することになりました。ダンス部のメンバーと一緒に、あゆちゃんが見つけてくれた動画や卒業生ののんちゃんが送ってくれた動画を、見て実際に踊れるようにしたり、皆に伝えられるようにするということをしています。
 私一人の力は微力ですが、あゆちゃんや卒業生ののんちゃん、ダンス部や皆と一緒に創るという過程を経験させてもらって、色々な面白さを感じられることがとても嬉しいです。

 

■卒業生ののんちゃんの姿

 卒業生ののんちゃんが送ってくれた『ホワイトフラッグ』の振りの動画を見たとき、力強く手を横に振ったり、手を前に伸ばし、突き上げたり、力強く魅力的な振りがありました。
「のんちゃんの気迫が伝わってくる」
「皆も、同じぐらい身体の隅々まで、体幹もしっかりつかって、踊ってほしい」
 あゆちゃんが、のんちゃんの動画を見たときに感じたことを踏まえ、今の私たちの動きの改善点を教えてくれたことがありました。

 私も、卒業生ののんちゃんの動画を解読している時に、のんちゃんの動きからのんちゃんの気持ちや生きる姿を感じました。場所は違っていても、お父さんお母さん、あゆちゃんたちと同じように、自分の役割や使命にベストを尽くそうという気持ちで、のんちゃんは生きているのだと感じました。背筋が正される気持ちと同時に、心強いと感じます。 

 

 

 練習をしていて、皆の前で振り入れをしたり、皆と一緒に振り入れをしてもらって動いたり、材料となる動画の解読をしたり、そうやって動いていて気づくこともありました。
 大人数で一つの作品をつくろうとするとき、それはまるで一つの大きな生き物を動かしているような感覚だと感じました。
 あゆちゃんや前で全体像を把握しアドバイスをする人がいて、実際に動く人がいる。しかし、そこには上も下もなくて、皆がベストで考え、感じ、お互いを大切に思いながらではなくては、良い表現が出来ない。
 どんな役割でも、同じコンサートのステージをつくる一人としての大切さ、役割の重さ、責任は同じなのだと改めて気づきました。

 一人ひとり、一つひとつの役割、パーツがとても大切で重要。それは、日ごろの生活でも、社会や、きっと地球、人生という大きな視点でも同じだと思いました。それは、自分から離れるということ、利他的に生きるために必要なことにつながると思いました。
 夜のダンス練習の時、あゆちゃんが一曲目で込める気持ちを教えてくれたことがありました。

 

 

■私たちの責任と使命

「"本当の生き方はどこにあるんだ!"そう訴えるところから始まる、コンサート。そして、続く物語、ステージの上には、あるべき生き方、答えがたくさんある。そんなふうにしたいんだ」
 今、私達がコンサートをする意味。今、私がなのはなという場所で生きているという意味、役割、使命、宿命、いろいろなことを改めて感じました。
 そして、あゆちゃんが自分のことを深く理解してくれているのだと感じ、改めて自分を深く理解してくれている人と、同じ方向をみながら一緒に表現でき、そしてそれをたくさんの人に発信できることがとてもありがたいことだと思いました。
 そして、私が見えないところには、まだ答えがある場所や人に巡り合えず、求め続け闘っているまだ見ぬ仲間がたくさんいることを忘れてはいけないとも思いました。
 今、なのはなにいる私たちの責任や使命も感じました。
「皆にも声に出して読んでもらいたい。ただの棒読みなんて嫌だよ」
 ある日のダンス練習の後、お母さんがオブリビオンの和訳を皆で順番に声に出して読むことを提案してくれました。

 


 

■オブリビオンの和訳

 順番を決めるのは名前の五十音順。私の名前は"あけみ"です。一番手でした。朗読をする人は、お母さんかあゆちゃんと読み方を特訓してから皆の前で行います。その日の夜に、私はお母さんと一緒に朗読の練習を行いました。
 お母さんが、一度朗読を聞かせてくれました。お母さんの強い声、気持ちが美しかったです。『オブリビオン』の和訳は、あゆちゃんがつくってくれたものです。私は、この和訳が大好きです。(なぜ、私の気持ちを知っているのだろう)そう思うぐらい、私の気持ちにぴったりでした。
 お母さんの朗読を聞いて、お母さんと気持ちを共有しているような、理解してもらっているような感覚がありました。それが、まだまだ浅い所だったとしても、ほんのわずかだったとしても、嬉しかったです。
「今のは、お母さんの今の気持ちで読んだんだ。だから、読む人によって少しずつ読み方も、声の雰囲気も変わってくる。大切なのは自分の気持ちをのせる、気持ちを伝えるということ」
「途中、涙を流しても良い。自分の気持ちをさらけ出すんだ」
 お母さんは、まっすぐに言葉や気持ちを私に向けてくれました。
 時間にしては、短かったけれど、お母さんの気持ちやお母さんとの練習した時間が自分にとって大切なものになっています。

 

■今の自分の

 次の日の朗読の時間。緊張していたし、十分に練習できたわけではなかったです。でも、お母さんの
「今の自分の気持ちをのせる。さらけ出す」という言葉を胸に向かいました。
 皆の前で素っ裸になるような覚悟で大きく息を吸い、気持ちを吐き出しました。
『私はずっと この暗く冷たい檻の中にいた
 なぜこれ以上、自分で自分を閉じ込めておく必要がある?
 そんな必要、全くないだろう』
『お願い、今こそ 私を私を
 一度ぶち壊して
 私は一度 気を失って 全く違う人間になる必要があるのだ』

 

■まだ見ぬ誰かの為に

 私の目の前には、同じ気持ちで共感し、理解してくれる仲間がたくさんいました。皆の前で、あゆちゃんが作ってくれた『オブリビオン』を朗読することで、私の中の怒りや悲しさ、悔しさが消化されていく感覚がありました。そして、皆の前で何か大きな存在に向かっての祈りをきいてもらっているような気がしました。
 お母さんがつくってくれた『オブリビオン』の朗読の機会も、何か大きな存在が私に用意してくれたチャンスのような気がしました。
 コンサートは、手段の一つです。本当の生きる姿、道を見つけ自分に落とし込む、そしてそれを表現し、まだ見ぬ誰かの道をつくる。コンサートに向かう過程、日々の中に、私が本当に生きられる道が、私を苦しめる過去の価値観を壊してくれる答えやヒントがたくさん隠されています。
 この過程の毎日こそが練習であって、本番です。
(どうか、まっすぐに私の使命や宿命に向かわせて下さい)
 そう、祈る気持ちで日々に向かいます。
 そして、それがまだ見ぬ誰かの、力に少しでもなってくれたらと思います。