11月23日
私が日記を書くと、いつも15分になってしまうけれど、今日は17分あるので2分ぶん多く書きます。
今日は祝日で、お仕事組さんやりゅうさんと音楽合宿の日を迎えられたことが嬉しかったです。
コンサートまで31日だと思うと、あと31日しか音楽練習もできないし、毎日1回ずつ、ダンスを踊っても、コーラスを歌っても、残すは31回だと思うと背筋が正される思いがするのですが、その分、気持ちを引き締めて音楽合宿に向かいました。
今回のテーマは、「人任せにしないで自分で立つ」「エラーは翌日までに修正する」「今の自分のすべてで表現する」です。
土曜日からは通し練習も始まる予定で、自分で立つことやエラーを修正するというのは特に大切になるし、今からの時期は誰も自分と同じ動きの人はいないため、自分は今何をするべきなのか、次に何をするのかをしっかりと頭の中に入れたうえで、コンサートの練習にも向かう必要があります。
そして、全体の通しの流れがよりよくなり、前から見てくださるお父さんとお母さんが、より、コンサートのストーリーや舞台を見やすくするためにも、エラーやトラブルはその都度修正していきたいし、その時教えてもらったことをその時覚えて、次に合わせる時までには完ぺきにしておくというつもりで過ごしたいと思いました。
・訴える曲
今日は1日を通してコーラスの猛特訓をしました。
午前中にせいこちゃんが見てくれて、コーラスがメインの4曲の音確認やブラッシュアップをし、午後からあゆちゃんに4曲のコーラスを見てもらうという流れで進めたのですが、確実にコーラスが進化している自信があり、とても濃い時間でした。
歌っていても確信を持てるようになったし、ウィンターコンサートではお客さんにとって生の声が届くのは、私たちの声だけなので、そのコーラスの効果を思うと気持ちが入りやすかったです。
コーラスがあることで、なのはなバンドの演奏も、踊っているダンスも、そして劇も、より立体的になり、迫力を増すことを感じます。
あゆちゃんが、
「劇と劇をつなぐのが私たちの演奏でもあり、みんなのコーラスなんだよ。みんなのコーラスで、劇で伝えきれなかった分を補うんだよ。コンサートは3時間半あるけれど、その中の1時間半は演奏で、残りの1時間半から2時間が劇。だから、劇と同じボリュームでコーラスや演奏もしないといけないし、同じくらい訴えるものがないといけないよ」
と話してくれました。
ダンスは身体の動きで自分たちの気持ちやその曲に込める思いを表現できるけれど、コーラスは口だけの分、声のボリュームや質、声の表情で魅せるんだということを改めて感じました。
あゆちゃんが尖った音にするとき、その尖るというのはストライクゾーンを狭くすることだと教えてくれて、自分1人が尖って正しい音を出すのではなく、コーラス隊のみんなと共に、同じ視線で曲を見て、同じ尖ったストライクゾーンを目指して歌う時間がとても楽しかったです。
あゆちゃんとのコーラス練習をしていると何度も涙がこみ上げてきました。
『クリーピン』のコーラスをあゆちゃんに見てもらった時、あゆちゃんがこの曲に込める気持ちを教えてくれたことが嬉しかったです。
この曲は前半ラストの曲で、主人公たちの女の子がある重大な決定をする場面です。
ソプラノパートはその主人公の女の子になったつもりで歌い、アルトパートが島の人々たちになって歌う、そして時々、それが入れ替わったり、自分たちの気持ちを乗せることを話してくれました。
もう普通には戻れない。
全く別の世界で生きていかなければいけない。
その時の苦しさや切なさ、内側にある憤り、そして、願う気持ちを思うと涙が出たし、本当に私たちのコンサートなんだな、私たちのためのコンサートなんだなと思いました。
あの時は病気に逃げるしか私に残されている道はなかった。魔女になるしかなかった。もう、自分をコントロールすることも難しいし、コントロールしようとすることも疲れて、避難してほしくないし、そっとしておいてほしい気持ち。
だからと言って、周りのみんなは普通に時間が過ぎて、普通に生活していて、自分だけが取り残されてしまったような、これから先、私がこれまで思い描いていた未来とはかけ離れた人生を生きていかなければいけないという気持ち。
なのはなに来る前、本当に答えを求めて、でも私が生きたいと思える答えが見つからなかったし、手に入らなかったときの絶望感や、言葉にできない苦しさ、悔しさが『クリーピン』の歌と共に外に出ていくのを感じました。
直接、劇でやるにはお客さんが見ていてもあまりに辛いようなことも、自分たちがコーラスの音の表情で表すことをあゆちゃんが話してくれて、改めて気持ちを出して表現するとはどういうことかが分かったような気がして嬉しかったです。
これまで、ダンスを踊っていても、気持ちを出して踊るという時、強い曲ではどこか無表情や、相手をにらむような表情になりがちのように感じていたけれど、こんな風に音に表情を乗せられるように、ダンスも顔の表情だけではなく、身体の動きに表情を乗せることができるのだと思うと、すごく気持ちが作りやすくなったなと感じました。それが、自分の中では発見で、まだそうできていないけれど、その境地まで行きたいと思いました。
そして、『クリーピン』の後半はその島の物語、その島の住人や魔術師は、どう女の子たちを助けたいのか、助けたくないのか、どうして女の子たちを魔女にしたいのか、したくないのか、そのことを思って歌うことを話してくれました。
それを思うと、脚本に対する理解も深まり、登場人物の存在について思っても、自分たちと共感するところがあり、何だか、この脚本が本当に自分たちのことなんだと思い、涙がこみ上げてきました。
あゆちゃんが、
「お客さんに対して、どうしてこうなったの? と訴える感じで歌う。コンサートに来てくださるお客さんは、なのはなファミリーが目指したいことに共感する思いを持って来てくれる方が多いから、私たちの気持ちも受け止めてくれると思うよ」
と話してくれました。
そして、最後の1フレーズは、もし、自分がまだ助かるのなら、もし、自分が生きることに意味があるのなら生きたい。私が生き延びることには、何か意味があるはずだ。私が魔女になる道を選んだのにも、私の欲でそうなったわけではなく、何か意味があるはずだ。誰も答えてはくれないけれど、これでよかったのですよね? そう訴える感じで歌うことをあゆちゃんが話してくれて、『クリーピン』という曲が私にとって大切な曲になったのを感じました。
もう消灯も近いのでこの辺りにするのですが、これからも練習を頑張りたいです。
今日は夜にも演劇練習を進めたり、ちゃっかり、ネコチームのみんなと衣装考案をできた時間も嬉しかったです。
おやすみなさい。