「深い落とし穴よりもずっと大きく」 りんね

10月15日

 1日遅れてしまいましたが、お父さん、お誕生日おめでとうございます。
 私はなのはなに来て、命を救われたと感じています。それは、みんなも同じなのだと、昨日の食事のコメントを聞いていて思いました。

 なのはなに来るまで、未来に希望が持てなくなっていました。
 留学に失敗して、勉強に向かう気力ももう無い。アルバイトをしようと思っても、初日から怖くて行けない。過食嘔吐の症状は、悪くなる一方で、小説を読む気力さえ無くなっていき、どんどん自分が、何もできなくなっていきました。
 自分が人間ではなくなっていく、泥沼でした。未来が真っ暗闇でした。誰からも理解されない怒りが、心に渦巻いていました。それなのに、どこか諦めきれなくて、よく生きたいという願いが無くなることはありませんでした。

 なのはなに来たばかりのとき、私はみんなの真面目さを、偽善だと思っていました。でも、今はわかります。みんなは本気で、生きるために真面目に日々を送っているのだと。
 そして、私はそれまで全く躾をされてこなくて、常識も社会性もありませんでした。厄介なことに強烈な拘りも持っていました。
 赤ちゃんのように、ゼロからスタートするのではなく、大きくマイナスな状態からのスタートでした。そんな状態でも、お父さんが「りんねはいい大人になれると思うよ」と信じてくれました。
 信じてくれていたからこそ、私の常識外れな自分勝手さに、厳しく間違いを教えてくれました。私も苦しさが大きくて、なかなかなおりづらかったけれど、少しずつ、少しずつ、人間らしい心に近づいていることを、感じます。

 私は人前に出るとき、極端に緊張して体がこわばっていたけれど、最近は、人前で自由に動ける割合が増えてきました。
 それは、普段のみんなの中での自分と、リンクしているのだと思いました。今まで舞台上で全く動けなかったときは、みんなの中でも、ずっと頓珍漢で協調性がなかったと思います。今でもまだ取れ切っていない強い緊張感は、まだ普段の生活でも丸い人格を持ち切れていないということだと、思いました。

 まだまだ未熟だけれど、それでも確実に良くなっていること。それは奇跡的なことだと感じています。
 今日、鵜の羽フェスティバルに出演させてもらって、アンコール後、目の前の客席にいた夫婦の方や、視線の先にいた方が、心からの笑顔で拍手を送ってくれました。なのはなのステージの一部として存在していることを、心から肯定してもらったことを感じました。
 なのはなに来なければ、絶対に良くなることはできませんでした。お父さんお母さん、なのはなのみんなに、一から道を示してもらえて、あるべき生き方を教えてもらって、本当にありがたいと思いました。

 今もまだ、すぐ傍には深い落とし穴があることを感じています。一歩間違えば、簡単に人間ではなくなってしまうこと。私だけではなく、一度摂食障害になった人は、誰もがそうなのだと思います。
 でも、深い落とし穴よりもずっと大きく、今の私には未来に対する希望が見えています。どんな風になっていくかは分からないけれど、必ずいい未来になることを信じられます。
 なのはなで教えてもらう心持を、ちゃんと自分の中に入れられるまで、石に噛り付いてでも諦めません。

 今、お父さんお母さんに教えてもらうことが、少しずつ理解できるようになってくる中で、どんどん心も身体も自由になっていくことが、本当に嬉しいです。本当に、命を助けてもらって、ありがとうございます。
 プラスの存在になれるように、成長していきたいです。これからもよろしくお願いします。