「人生をかけて」 みつき

10月11日

●人生をかけて

 午後に、水菜の種まきをしました。
 これで最終弾なのかなと思いますが、およそ3500粒と、かなりの数の種をまきました。
 ロータリーにてもくもくと作業をしていると、金木犀の香りがふわっと、風に乗ってやって来ました。大好きな作業の種まき、大好きな香りの金木犀……。うれしいのはそれだけじゃなくて、今日は、わたしの23歳の誕生日でした。
 3500粒の水菜の赤ちゃんとわたし、誕生日が同じだなんて!
「わたしたち、同じ誕生日なんだよ」と語りかけたり、「どうか、全部芽が出てくれますように」と願ったり、種に向き合う時間に、こころ癒されました。

 みんなからの誕生日のお祝いの気持ちが、本当にうれしかったです。

 わたしは、ものすごく未熟です。甘ったれで、抜けていることばかりです。
 みんなは、わたし以上に、それを感じることだろうと思います。それでも、ずっと家族で居てくれて、見守ってくれて、好きでいてくれることが、本当に幸せです。
 なのはなに来るまで、自分の悪いところがあらわになるのは、バカにされることで、迷惑をかけることで、自分にとってマイナスなことと思っていました。
 でも、みんなに全部知ってもらっていることが、こんなにも幸せなことなんだなあ、と感じました。これこそが、本当の愛情であって、「理解して、理解される関係」なんだなあ、と感じました。

 お父さんお母さんの言葉にも、涙が出ました。
「みつきは、来たばかりのころは虚無的だったね。4~5歳の傷ついたころの自分に戻って、もう一度、子供をやり直して過ごしてくれている姿が、良いなあと思っているよ」
「みつきは、欠落している部分は多くても、それでも明るく前向きで、堂々としている姿が本当に良いと思うよ」

 全部、お父さんお母さん、なのはなのみんなのおかげで、みんなが居てくれたからなのに……。と、言い表せないくらいの感謝の気持ちや、ありがたい気持ちがこみ上げてきました。

 今の自分があることは、当たり前のことではないです。
 人生に対しても、自分に対しても、何もかも期待するのをやめて、何もかもをあきらめていたわたしが、それほど遠くない過去には、確かに存在していました。
 でも、今は、真逆です。今のわたしは、どんな自分であっても、なのはなのみんなのように生きたい、と思えます。

 どれだけ成長が遅くても、時間がかかっても、わたしの人生をかけて、なのはなの子として、みんなと同じ仲間として生きていけることが、本当にわたしの誇りです。

 なんでもないように生活できる、この当たり前を、大切にしていきます。
 なのはなの子としての当たり前、この先を生きていく大人としての当たり前を求め続けて、成長できるような23歳にしていきます。

 お父さんお母さん、なのはなのみんなが大好きです。
 これからも、どうぞよろしくお願いします。