「気持ちがはっきりとして」 ふみ

8月31日

 夜寝るときに、二段ベッドの上に横になると、窓から月明かりが入ってきて、空をみたら、月が美しく夜を照らしてくれていました。
 外からは、鈴虫の鳴き声が聞こえてきて、この間までは蝉や蛙の声がしていたのに、季節の移り変わりは早いなと感じました。
 田植えの季節から、初夏になり、桃の「はなよめ」の収穫が始まったかと思ったら、もう「白皇」も木に残り2~3割の数になっていて、次は、田んぼに稲穂がふっくらとしてきていて、稲刈りが待っているんだなと思うと、それもまた楽しみになりました。

 最近感じていることは、自分のなかで、なのはなに来る前は、借りてきた猫みたいに大人しくなっていて、人が怖くて、なにも言えない人だったのに、こんなにはっきり人に伝えたいことを伝えられたっけ? と思うくらいに、今は、人に言いたいことを言えたり、人が変わったように感じています。
 こんなに男っぽかったかなと思うときもあって、なのはなに来る前と人が変わったように感じていて、自分のなかでもすごくしっくりきているようなそんな感覚があります。
 気持ちがはっきりとして、輪郭がくっきりとしてきているような感じです。

 お母さんに以前、私は本当は男っぽいと教えてもらったことがあって、もともと男っぽくてさばさばしているのかもしれないなと思いました。

 人と関係を取るときも、なのはなに来る前とは比べものにならないくらい、関係が取りやすくなっていて、モヤがかかっていたものが晴れたような感覚があって、それは、ここ最近強く感じることです。

 少しずつだけれど、自分が扱いやすくなってきて、なのはなでみんなと過ごしているなかで関係を取るときに、うまくいかないなと思うときもあるけれど、そこでどうしようもならないくらいに落ち込んでしまったりとかがなくなって、前を向き続けていられるのは、お父さん、お母さん、みんなのおかげで、お父さん、お母さん、みんなのなかにいる自分の存在として、自分がはっきりと見えてきたと思いました。

 私は、なのはなに来る前に、お父さんの赤い本、お母さんの黄色い本に出会いました。
 自分のなかで言葉にならなかった気持ち、そのときに感じていた苦しさも、お父さん、お母さんの本に答えがあって、お父さんとお母さんとまだ出会ってはいなかったけれど、本のなかのお父さん、お母さんと話しをしているようで、そのときに、立ち直るにはここしかないかもしれないと思いました。

 私も、私がお父さん、お母さんの本に出会って、答えがあるかもしれない、立ち直れるかもしれないという希望を感じたように、今も苦しんでいる人に向けて、まだ見ぬだれかに向けて、お父さんの赤い本、お母さん黄色いの本のなかの希望である先輩たちのように、私の希望の1つの光となれるように、自分の成長過程を材料して、人の役に立てるように頑張りたいです。

 なのはなに来る前、自分と同じように苦しんでいる人がいるならば、なにか、その人たちの役に立ちたいと思いました。
 でも、自分がいま苦しんでいるさなかで、自分をどうにかしなきゃいけないから、まず、自分の苦しさから逃げてはいけないと思いました。
 そこで、なのはなにアセスメントの電話をしたことをふと思い出しました。

 私もできることを毎日頑張ります。
 お父さん、お母さん、おやすみなさい。