「一緒に探してくれたこと」 ゆき

8月16日

 最近、みんなの優しさが本当に嬉しいなと思っています。腕時計のベルトが劣化で取れてしまい、別のバンドで代用していたのですが、今度はバンドを縛っていた金具が取れてしまいました。金具はとても小さいので見つかりにくく、廊下で探していたら、みんなも「大丈夫?」と、声をかけてくれて一緒に探してくれました。

 見つかってはいないけれど、そのあたたかい心が嬉しかったです。見つかると嬉しいです。見つからなかったら、別にも、自分の持っている時計が有るのですが、時間が止まってしまい(電池切れ)、動いていないので、お父さんにお願いして直して頂こうと思います。

 時計は毎日使う自分の身に近いものです。愛着があります。ベルトを止めている金具が見つかったら良いなと思います。時計が壊れて金具が無くなって悲しい気持ちになりましたが、みんなが一緒に探してくれたことが、本当に有難くて嬉しかったです。

 私も、みんなのように、いつでも人のことでも自分のことのように思い、利他的な心でいたいなと思いました。

 あと、私はなのはなに来て、寝る前と、起きるときに必ず、今日も幸せな1日でしたと感謝してお布団の中で言って寝て、今日も幸せな1日でありますようにと願って起きるようにしていました。日によってはイベントが成功しますように、野菜の収穫が上手くいきますようにと、日々変わる願いも心の中で言っていましたが、数日、何かきっかけがあったわけではないけれど止めていました。

 なんとなくの話なのですが、止めてからのほうが日々が充実していると言うか、変に気を張らないでいられる気がします。毎日呪文のように感謝したり、願ったりしていた時は、自分ではそれが正しくて、良いことだと思っていたけれど、私の場合はそれが知らず知らずのうちに、重荷になって、幸せでなければならない、幸せを願うのは当然だと思ってた気がします。感謝する気持ちは大切ですが、私の感謝の仕方は私には合っていなかったのかなと思いました。

 感謝の言葉は文章や、言葉に出して言うようにします。おまじないのようなことは日課ではなく、気が向いたときにするようにしようかなと思います。

 私事ですが、最近の心の変化を書かせて頂きました。

 今日は、台風も去ってまた穏やかな日常が戻っていて安心しました。少し、野菜たちには悪影響でしたが、雨は沢山降ってくれたので、人間の手では追い付かない水やりが出来た点では恵みの雨だったのかなと思います。野菜たちも、頑張ってくれたのだと思っています。