「幸せのその日暮らしとハングリー精神」 まみ

5月22日

 先日の夜の集合で、せいこちゃんが質問してくれた、幸せのその日暮らしとハングリー精神の持ち方について、お父さんお母さんが話してくださったことが心に残りました。私も、毎日に幸せを感じることと、貪欲にもっともっとということに、混乱してよくわかっていなかったので、せいこちゃんの質問と、お父さんお母さんの答えを聞かせてもらえてとてもありがたかったです。

 貪欲にいるというのは、ここにパイナップルが5個あったとして、「あと5個パイナップルがあったらいいのにな」という欲じゃない。もっと遠いところの、高いところに志を持って、希望を持って、高いところを目指す。けれど、今の現状にも満足している。今の自分にも満足して、明るく、前向きに楽しんでいる。あの人はいつも明るく爽やかに、凄く今を楽しんでいると、そう思っていたら、アメリカへ行ったらしいと思ったら、今度は月へ行ったみたいだ。そんな風だと教えてくださいました。人には、現状に満足している姿を見せて、貪欲さ(もっと高いところを求める志)は誰にも見えなくていい。水持ちもよくて、水はけもいい田んぼみたいになる。

 世の中の為になれるようにという気持ちは、自分が死んでも、ずっとその魂(志)は続いていくと、お父さんが教えてくださいました。魂のお餅のお話も思い浮かびました。神様の求めている人間の美しい心に向かって、心を磨いて、誰かの為に自分を精一杯使ったら、生きるのも死ぬのも同じ、利他心のほうへ向かって生きていけたらその利他の思いはずっと続いていって、受け継がれていって、誰かの為になれるのかもしれないと思ったら、凄く大きくて、遠くに希望を感じました。

 お母さんが、
「貪欲だけれど、それは全部、利他的なほうへ、みんなへ還元しようと思っているから。汚い欲かもしれないなんて思わない」
 とおっしゃって、お母さんのように、私も、誰かの為に貪欲になりたいと思いました。

 今日の夜に、「ゆで卵はを見つける」のゆで卵は、新しいことを生み出すことと、お話がありました。ルーチンになってしまっているときは、宇宙空間を漂っているだけ。ゆで卵からゆで卵にワープしていって、毎日、どれだけゆで卵を見つけられるか。私は、最近、ともすると役割をルーチンにしてしまっていて、ゆで卵を見つけられていなかったと思います。もっとゆで卵を見つける毎日に変えていきたいです。