【4月号②】「利他心の関係を育んでいく —— 回復のための集中ミーティ ング ——」 りな

 心の傷を癒すミーティングに、集中して取り組んだ三月でした。
 二月から始まったミーティングのなかで、いくつも段階を踏んで、自分はなぜ摂食障害になってしまったのか、その原因となるものを深く深く、掘り下げて向き合ってきました。

 幼い頃から始まって、今も自分の中に抱えている問題、というのも、大きく繋がっていました。現在抱えている問題は、表面的に、心の傷と関係がないように思えても、深く深く掘り下げて、客観的に色んな方向から見ていくと、根深く繋がっていて、自分を生きにくくさせている根源になっているのだと知ることができました。

 自分は何に苦しんできたのか、その原因となるものは、個人の問題ではなくて、一緒にミーティングを受ける、全員に共通するものでした。

 

 

■バディの存在

 今回のミーティングでは、個人ではなく、バディ、チームというグループがありました。バディは、二人、三人という単位、チームは、いくつかのバディが集まった、八人ほどのグループです。
 お父さんの講義を受けるとき、作文を書くときは、チームの人と、一つの机を囲んで取り組みます。
 そして、何か、困っていること、行き詰ったことがあれば、いつでも、バディの子に相談できました。
 今回のミーティングから、新しくバディのシステムになって、そのことでたくさん気づきがあったり、気持ちを前向きな方へ引っ張ってもらいました。

 

 

 私は、ななほちゃん、ももかちゃんとトリオのバディでした。作文は、三人で読みまわして、バディの中ならお互いのことを何でも知っている。私に代わって、バディのななほちゃんや、ももかちゃんが私のことを説明してくれる。そのぐらいまで、お互いに理解しあえる関係を、ミーティングを通して、自然と作っていくことができました。
 バディの子の作文を読んでいると、共感することがとてもたくさんありました。体験したことは、一人ひとり違うけれど、傷ついてきた過程が、自分の体験と重なって、人事のようには思えなくて、まるで私の気持ちを代弁してくれているかのようでした。
 こんなにも近いところに、同じように苦しさを抱えてきた人がいたんだ、改めて自分だけではなかったのだと思いました。普遍的なものがあって、誰一人として例外はなく、苦しさの元は同じでした。

 

 

 バディの子の存在が、とても心強くて、嬉しくて、守るべき大切なもののように思えました。そして、そう思える存在ができたことで、自分自身が、強くなれました。自分一人で回復するのではなくて、バディの子の回復する材料となるんだ、そう思うと、これまで蓋をしていたことも、全てさらけ出そうという気持ちになりました。

 バディの子の傷を分析することで、新たに気づきがあったり、バディの子が客観的に伝えてくれると、これまで見えなかった隅から隅まで、視界がクリアになっていくような感覚がしました。

 

■等身大の自分で

 ミーティング以外の時間にも、毎日、バディのおしゃべりタイムがありました。その時間、目的のないようなたわいもない話で盛り上がります。ある日には、ポカポカした春の暖かい日に、外へ出ておしゃべりをしたり、ある日には、梅林に行き、畑で三人寝転がって、満開に咲く梅を眺めたり……。

 

 

 これまで私は、誰かとそうした、何気ないおしゃべりをしたり、等身大の自分で、人の中で安心して過ごす、ということをしてきませんでした。当たり前のようだけれど、私にとってはとても難しいことで、出来ませんでした。

 人と、フィフティ・フィフティの、お互いさまの関係を取る体験をしてきませんでした。いつでも保護する、保護される存在になって、誰であっても、利害のある関係に結び付けてしまう自分がいました。
 けれど、本当に大切なのは、そういった関係ではなくて、どんなことも話せるような、どうでもよい関係が、実はとても大切なのだと知りました。

 

■いつでも助け合える関係

 人は誰も、一人では立てない、とお父さんが話してくれます。自立する、というのは、一人で立つのではなくて、周りの人と、助け、助けられながら立つことなのだと、今回のミーティングで知りました。それは、大きな気づきでした。「助け合える関係、それが、人との信頼関係で、利他心なんだよ」、お父さんの言葉が、深く私の心に入ってきました。

 バディの存在は、まさに信頼関係を築く、第一号になりました。バディのななほちゃん、ももかちゃんがいてくれることで、本当に、気持ちが明るく、前向きなほうにたくさん引っ張ってもらって、救われました。
 困ったときは、バディに助けてもらえる、そう信じることができるようになりました。〝誰にでも助けてもらえる心〟をバディとの関係で、育みました。

 おしゃべりタイムの時間には、たくさんのバディが、室内、外、色々なところで、笑顔でおしゃべりしている姿があって、それだけでも、心が癒されるような気がしたし、私も毎日のこの一時がとても楽しみになりました。

 

 

 心の傷に向き合うのは、きっと一人ではできなかっただろうと思います。そして、これからも一人であれば、きっと、自立することにも希望が持てないだろうと思います。けれど、ミーティングを通して、私の周りには、深く理解してくれるたくさんの仲間がいて、決して一人にはならないのだと改めて強く感じて、心強いと思いました。
 それは、バディとの関係、チームでの関係、なのはなファミリー全体、規模の大きさは違うけれど、どんな場所にいても、お互いさまで助け合える関係がありました。バディで、お互いの傷を深く理解し合い、足りない所は、三人で補い合って、三人で、同じ段階まで一緒にステップアップしました。

 お父さんの講義を聞いている時間、作文書きをしている時間、誰も欠けることなく真剣に向かっている空気感がありました。パソコンに向かっていて、ふと顔を上げると、周りにバディの子や、チームの子がいて、言葉は交わさなくても勇気が湧いてきました。

 

 

■未来に出会うべき人に

 摂食障害になって、生きにくさを抱えた事、苦しんできた事、それはマイナスなことではなくて、きっと未来に出会うべき人にとっての材料になったり、後に続く人にとっての道になるのだろうと思います。自分たちが生きにくさを抱えてしまったことが、ただ偶然のようには思えなくて、未来に繋げるための一つの使命のようなものに思えてきます。

 自分達の使命を感じた時に、ぽっかりと空いた心の穴が、すっぽり埋まって、未来への希望を感じました。明るい未来を信じることが出来るようになりました。

 ミーティングを通して、自分たちの心の傷の原因を深く掘り下げ、たくさんの気づきがありました。解決を与えることで、日々の生活から、何気ないところで、動きやすくなっていたり、以前よりも心が軽くなっていたりと、ステップアップできていることを感じました。

 これからも、日々の生活の中に、たくさん答えや気づきが散りばめられているのだろうと思います。その毎日の気づきを見つけて、大切にしながらこれからも過ごしていきたいと思いました。毎日の積み重ねで、きっとこれまでの苦しさを深く理解し、自分たちの生きる活力に出来ると思いました。そして、同じ生きにくさを抱えた人にとっての、道を作ることが出来ると思いました。

 自分の傷と真正面から向き合って、仲間と一緒に進んだミーティングでした。バディと、みんなと一つにした気持ちで、これからも過ごしていきたいです。