「変わらずみんなと一緒で居ること」 まよ

4月16日

●幸運がやってくる
 洋梨を植えられる、とても良い畑が決まった、というお話がありました。お父さんが、今朝良い知らせの予告があったと話してくださった千住真理子さんのバイオリン、ストラデバリウス・デュランティのお話がとても印象的でした。ローマ法王に献上されてから、200年と80年、殆ど他に弾かれずに眠っていたヴァイオリンが運命的に千住真理子さんの処にたどり着き、そのバイオリンを弾くために毎日トレーニングを20年以上続けているということでした。

 弾くことのできる人を、280年も、待っていたバイオリンのことを想像しました。そのバイオリンを一度弾くと、千住真理子さんは難しいけれど他とは比較できない音色を出すバイオリンが手放せなくなったそうです。そのバイオリンが、彼女にとっての幸運で、なのはなにとっても、洋梨を育てることができるであろう畑がやってくることは、まさに幸運、なのだなと私も思いました。

 梨の樹の下で、お花見もできるね、と言って話ていると、白い梨の花や桃の花の下でみんなでまたお花見をすることを想像できて、それは本当に桃源郷のようだと思いました。畑の名前は、バイオリンから取って「デュランティ」にしようとお父さんが言われていて、面白かったけれどぴったりだなと思いました。

 えつこちゃんがリビングでかけてくれていた、千住真理子さんのバイオリンの音を聴きながら、お父さんやお母さんが、なのはなで質の高いものを与えてくれている環境を当たり前に受け入れてしまっているけれど、改めて恵まれているのだなと思いました。楽器でも、食事でも、遊びの取り組み方でも、お父さんお母さんが、一番良いものを求めてみんなが触れられる環境を作ってくれているのだということを、思いました。一番良いものは、人の気持ちがこもっているものなのだと思いました。

 苦しくなると、心を見なくなってしまいますが、拘りが出てきたら意識してオープンで居られるようになりたいと思います。
 キャンプには、栗の木でご飯を炊くと良いことを盛男おじいちゃんが教えてくださっていて、環境整備の人たちが今日は栗の木を運んでくれたそうです。都会に住んでいたら、想像することもできない豊かで中身のある体験をさせてもらえることがとても有難いことだと思います。喜びも、全部が手作りで、創造することの純粋な楽しさを感じることができる環境にいられることが、嬉しいです。

●ウォークラリーの準備
 今日は、午後のキャンプ準備の時間に、吹き矢で使う的を作る準備をしました。以前は、私はとても頑なで楽しめることが少なかったと思いました。それは、過程を楽しむことができていなかったからだと思いました。古い価値観で、創るものの価値に捉われたり、質に拘ったり、一人で創る気持ちでいたり、そんなことで自分は窮屈になっていたのだと思いました。今、段ボールを切り貼りして、みんなが楽しんでいる顔を想像しながら道具を使って何かを作る過程が、シンプルにすごく楽しいと感じられることが、とても嬉しかったです。どれだけ、近くに居る大切な人達を喜ばせたり一緒に喜ぶことができるか、そこに拘って追求することが、意味のあることと思わせてもらっているように感じます。

●ダンス練習
 ダンス練習で、身体に疲れが出てしまってみんなに追いつかないと思う時、自分の中に暗い古い価値観が出てくることに気づきます。けれど、本当は、何歳であっても、優しい世の中を作るために、どんな人にも役割があると思うことが明るい未来に繋がっていると思います。

 前向きなところにしか答えはないとお母さんが教えてくれます。どんな人にも、役割があって、歳をとったから、役立たずだとか、何かを成し遂げたから、もう終わりだとかいった考えが、自分が苦しかった古い価値観なのだと思います。そうではなくて、どんな人でも、役割があって、最後まで自分にできることはあると、みんなが思える環境を作ことが、優しいことだと思います。

 だから、自分はみんなと一緒に堂々と踊るのだと思います。自分の身体を評価せずに、評価は全部、人智を超えた存在に任せて、身体が動かない時があっても、気持ちとそれを表現する表情は、変わらずみんなと一緒で居ることが、今の自分の役割なのかもしれないと思います。