4月6日
午前のミーティングの時間で、お父さんとお母さんの講義をたくさん聞かせてもらえたことがとても嬉しかったです。お父さんが、回復しやすい人、回復しにくい人を、日常の色んなことで判断できることを話してくださりました。
例えば、表情。普段から明るくて表情豊かか、いつも無表情か、暗い表情をしているのか。日記をよく書いているか、書いていないか。みんなで判断できる要素を上げていくと、日常的なことで、本当にたくさんあるなあと思いました。
いつも表情豊かでいることを心掛けたり、ニュース性のあるコメントを言うことを心掛けたり、本当に毎日やってくる、とても些細なことを意識して、回復しやすい人を演じていく、ということが、本当はとても大切なことに気が付きました。
自分の身体は、神様の借り物なのだから、その借り物の身体を使って、自分の出来る精一杯良く生きていこう、そう思って、毎日を誠実に、前向きに過ごしたらいいのだと思うと、囚われるものがなくなって、とても気持ちが楽になりました。
自分の人生は自分で責任を取らないといけない、とか、自分でどうにかしなければならない、自分が自分がという気持ちが、私もふとした時に出てきてしまうと思いました。けれど、それは利己心だったのだと、正体が知れて嬉しかったです。人に助けてもらえる心が利他心だ、と今回のミーティングを通して知ることが出来て、とても大きな発見でした。お父さんが、以前ハウスミーティングで、畑作業に例えて話してくださりました。畑作業では、誰が助けているとか、助けられている、というのははっきりと分かれていないし、見えないけれど、何となくみんなと一緒に、畑の中でテミを持って走り回っていたり、クワをふるっていたりすると楽しい。それが、利他心なんだと教えて下さりました。
ミーティングが終わったからといって、答えがなくなるのではなくて、そうしたなのはなでみんなと過ごす毎日の中に、たくさん私達が回復するための答えが含まれているのだなと思いました。
みんなも生かされている存在で、自分も生かされている存在で、自分は生きている意味がない、とか否定する必要もないのだと思いました。何か役割があるから生かされているのであって、何者かがくれる流れを信じて、未来を捻じ曲げるのではなくて、今目の前のやるべきことに、真面目に誠実に向かっていくだけでいいんだと思いました。
これまで既存の枠にはまって、条件付きの頑張りばかりしてきてしまったと思いました。でも、今からは、母親に評価される条件なんてなくて、そのために頑張る必要もなくて、神様から生かされた存在として生きたいと思いました。
毎日、表情豊かに、笑顔でいることを心掛けたいです。日記と読書をすることを心掛けたいです。
夕食に、お父さんが、「アナウンサーになったつもりでコメントを言ってみよう」と話してくださりました。実際に、アナウンサーになったつもりで話してみると、少し恥ずかしい気持ちもあったけれど、話も整理されたような気がしたし、聞いていても、話していてもとても楽しかったです。私は知らず知らず、「なんか」を連発してしまう癖があったのだと気が付いたし、これまでそのことに気が付けていなかったと思いました。話し方が変わったら、気持ちも変わるよと、お父さんが話してくださって、みんなと一緒にアナウンサーになってコメントを言う習慣をつけて、もっとシャープで分かりすい心を作っていきたいと思いました。
つつじ祭りや、山小屋キャンプの日程も、あゆちゃんから教えてもらって、日にちがかぶっていることには驚いたけれど、とてもたのしみです!
読んでくださりありがとうございました。おやすみなさい。