「堂々と」 るりこ

4月3日

○牛肥まき
 昨日の午後、まえちゃんと10人くらいの子と田んぼの肥料入れに行きました。
 なかには、まことちゃん、さやねちゃん、ゆいちゃんの姿もあり、週末だとお仕事組さんもいてくれて人数が多く、肥料入れのようなハード系の作業には1人の力が大きいので、とても嬉しかったです。

 諏訪神社田んぼ6枚がメインで、どの田んぼも2反近くありました。面積だけで見ると広いなという印象でした。
 まえちゃんがエルフの荷台でテミに牛肥を入れてくれて、まえちゃんの補助にまことちゃんが付き、荷台からテミを受け取るのにゆいちゃんが入ってくれました。
 まえちゃんも、まことちゃんも、ゆいちゃんも、1番ハードなポジションを自ら進んで入ってくれて、テミが止まることなく回るように、ずっと全力で動いてくれていました。

 まことちゃんとゆいちゃんの姿を見ていると、2人とも平日はお仕事で、畑作業は久しぶりのはずなのにブランクみたいなものを全く感じさせず、どこからそんなパワーがくるのだろうと思いました。
 目の前のことを精一杯、力を惜しまずにやろうという気持ちが、まことちゃんからもゆいちゃんからも全身で伝わってきて、その姿が、顔に牛肥がついていても輝いてみえました。

 2人の姿から、お母さんが、「一生懸命が美しい」と教えてくださることを思いました。まことちゃんとゆいちゃんにはその言葉がぴったりで、どんなに泥臭くても、作業を効率よく回すために、そして仲間のために力を尽くす姿に、何ができるできないとか、本当にないのだなと思いました。自分が全力で動けて、全力で楽しめたら、そこに人の評価は必要のないものなのだと思いました。

 先頭に立つ、まえちゃんとまことちゃん、ゆいちゃんの姿を感じながら、今度はわたしがゆいちゃんから渡ってくるテミを、隣のまなかちゃんへ回していきました。
 まなかちゃんがテミを受け取りにくるときに、絶対に笑顔で軽やかに走ってきてくれて、疲れを感じさせない爽やかさに、わたしもまなかちゃんへ渡したい! と思えて、足が軽くなりました。
 テミはどんどん回っていき、先頭で、さやねちゃんとえみちゃんが牛肥を均等に撒いてくれました。

 初めは隣の人までの距離が遠かったのが、だんだんと距離が短くなっていき、気がつけば、1枚が終わっているという感じでした。
 広いと感じていた畑も、みんなの中で無我夢中に走り回っているうちに終わっていて、そこに疲れとかは全くなくて、楽しくて仕方ないうちに終わっていました。
 みんなと一緒なら、どんなに大変に思えることでも楽しさに変わって、そしてできないことはないんだと、いつもながらに感じられた牛肥まきでした。

 休憩時間には田んぼの畦に座って、四つ葉のクローバーを見つけたり、まなかちゃんの提案で伝言ゲームをしたりして、程よい気分転換になりました。
 元気いっぱいのももかちゃんやまなかちゃんがいてくれると、その場の空気がいつも明るく盛り上がって、作業中でも休憩中でもとても良い空気でした。

 この日は作業が16時半までで、6枚の田んぼが終わった時点で、16時15分でした。
 まえちゃんが、「あと15分あるから、カチカチ畑大も行っていい?」と言ってくれて、最後の1枚、頑張ろう! とみんなで張り切って行きました。
 田んぼのあとだと、普段は広く感じるカチカチ畑でさえ、狭く感じるのが不思議でした。
 途中からネットがけだったまよちゃんとちさちゃんも駆けつけに来てくれて、みんなでカチカチ畑大を終わらせました。そして、「やったー!」と言っていたら、まえちゃんが、「あと5分あるから、川向こう畑も行っていい?」と言いました。

 まえちゃんの作戦か、さっきは6枚目の田んぼで出し尽くしたと思った体力をカチカチ畑でもっと出し、そして今度はカチカチ畑で出し尽くしたと思った体力を、川向こう畑に使いました。出し尽くしたと思っても、走り始めたら、まだまだいけました。

 16時半過ぎ、今度は本当に本当に最後の1枚になった川向こう畑の肥料まきが終わりました。ものすごい達成感でした。
 まえちゃんが、「全部合わせたら、今日1日で10反くらい撒いたことになるかも」と最後に教えてくれました。3反田んぼを3枚以上と思うと、自分たちでも驚きでした。

 古吉野に帰ると、雨でもなかったのに、西の空に虹が架かっていました。
 みんなで肥料入れを頑張ったご褒美か、「楽しかったね」と言い合ったあとに、みんなと見上げる虹が本当にきれいだと思いました。

***
 夕方のハウスミーティングが嬉しかったです。
 既存の価値観から、新しい価値観に入れ替えるときに、お父さんが教えてくださる「破れかぶれな気持ち」というのが、今までぼんやりしていて理解できていなかったけれど、今日のお父さんの話を聞いて、ちょっとだけ前より理解できたような気がしました。

 新しい価値観は既存の価値観の枠に囚われていない、つまり、自由でいいということで、どんなふうに生きてもいいことだと教えていただきました。
 既存の価値観は理詰めだから、「こうあるべき」とか「こうじゃないといけない」という良い子ちゃんの枠がいっぱいあって、そのなかで生きるのは自由じゃないです。
 でも新しい価値観は枠が何もないから、良い子のルールを破って生きてもいいということで、つまり破れかぶれで生きるということは、その良い子のルールを喜んで破ることで、これからの自分は、辛さのもととなっていた黒丸の体験が消えた無意識の本能に正直になって、どう生きてもいいということなのだと思いました。誰かに後ろ指さされることを、一切、気にせず、自分は敷かれたレールを外れる生き方を堂々と破って生きていいということなのだと思いました。

 わたしはずっと、破れかぶれな気持ちとは正反対の、枠から外れることを一切しない優等生として生きてきました。でも優等生の既存の価値観では自由になれないし、良い子でいたら、枠や社会基盤にはまったままだと思いました。
 でも、これからは枠を破って、堂々と既存の価値観の枠から外れる生き方をしたいと思いました。そうなるためには優等生から破れかぶれの気持ちになることが必要なのだと思いました。