「自分のサクセスストーリー」 りな

3月17日

 

 

 今日のミーティングの時間、お父さんのお話や、作文を聞かせてもらえたことが、とても嬉しかったです。
 お父さんが、私達の中には、生きる喜びを知らない人がたくさんいる、というお話をしてくださりました。

 私は、これまで分かっていたようで、本当の楽しさが分からなかったと思いました。
 畑の楽しみ方、虫を取る楽しさ、キャッチボールの楽しさ…。そういった利他的な楽しさの中に、利己的な楽しさを見つけると、すぐに利己的な、自分の欲を満たすような楽しさに逃げていってしまう癖が付いていると思いました。
 幼い頃から、自分の世界に閉じこもって、1人で退屈な時間を潰すことが多かったです。1人で熱中できるゲームや、テレビなどに没頭することが多かったです。
 私は、これまで楽しい、と思っていたことは、生きる喜びにはならないもので、その場限りの楽しさしか過ぎなかったのだ、と知りました。
 そして、自分の中には、利他的な楽しさの体験がなくて、積み上がっていないことが、とても虚しくて残念な気持ちになりました。
 ふとした時に、その日、何とか生きられたらいい、という刹那的な気持ちになったり、未来が果てしがないものに思われて、苦しくなったり、走り続けないといけない、と思うと不安な気持ち、怖い気持ちになるのも、本来、利他的に生きていたら、生きていることが楽しいはずなのに、楽しめていなくて、無意識で今を辛いものにしてしまっているからなのかなと思いました。
 そして、私にはそのサンプルがないから、本当に利他的な楽しみを見つけることが出来るのだろうか、不安な気持ちになりました。
 でも、夜の集合で、お父さんがたっぷりお話をしてくださって、今、見ようと思えば、きっと見えるのだと思いました。場所、人、関係なく、この場所で、目の前の人と、感じることが出来るのだと思いました。
 お父さんが、全て心持ちが肝心だと話してくださりました。

 

 午後の講義を聞いて、自分は、利他的な楽しみ方をこれまでしてこなかった、損得勘定で、利己的な楽しみにばかり、気を取られてしまっていたと知って、利他的な楽しみを見つけること、生きる喜びを見つけることが、自分にとってとてもとても難しいものだと知りました。
 出来ないのではないか。と後ろ向きな気持ちが出たり入ったりしていたけれど、お父さんのお話を聞いて、このミーティングで、見つけるしかない、と思うことが出来ました。
 これまで私は、人としてちゃんとした喜び、楽しみをしてこなかったし、苦しさばかり積み上げてきてしまったけれど、それは、自分にとって無駄なことではなくて、ゼロの地点から見つけていく、その過程がきっと誰かが立ち直るための材料になるのだと思いました。
 自分だけのサクセスストーリーを作る。それは、両親を助けるための、家族を繋ぎとめるためのものではなくて、自分自身の人生を作るための、自分自身の、生まれ持った使命を全うするためのものにしたいです。

 自分の作ったサクセスストーリーが、これから出会う、誰かの希望になったり、後に続く道になるようなものになるのだと思うと、どんなにマイナスのところからのスタートであっても、絶対に挫けたくない、逃げたくない、と思えます。 

 体験したことは違っても、誰も、回復する難しさも、条件も、同じなのだと、お父さんが以前に話してくださりました。

 過去に、大きく挫かれて、今もその傷は残っているけれど、絶対に倒れたくない、過去に囚われたくない、と思います。傷を受けたことで、弱くい続けること、回復することを躊躇することはしたくないです。前を向いて、周りにいる仲間と一緒に、良くなります。

 未熟だけれど、なのはなのみんなに出会えたこと。たくさんの家族に受け入れてもらったから、生きられます。ミーティングに逃げずに真剣に向かっていきます。