「人に助けてもらえる心」 ふみ

3月14日

 夜のお父さんのお話で、利他心は、人に助けてもらえる心だと話してくださいました。 

 例として話してくださったことで、台所に立つ母親がいて、子どもが台所に入ろうとすると、入らないで、手伝わなくていいと自分のテリトリー、範囲に入らせない。自分のやり方を邪魔させない。自分のやり方を崩そうとする人がいたら、邪魔させない。人に助けてもらえないし、自分の首をしめて、だれも手伝ってくれないと不満を言っている、ということが起きてしまう。

 お父さんに、利他心は、人に助けてもらえる心だと教えていただいて、人に上手に助けてもらえる心を作っていきたいと思いました。
 その心を作らないと、私は生きていけないし、立ち直ることはできません。お父さんが、二者択一ではなくて、一つしか選択肢はないのだとはっきりと伝えてくださいました。

 人のなかで生きていくときに、人に助けてもらえる心があったら、人に助けてもらえて、自分も誰かを助けて、お互いに助け合える関係のなかで、人との間にある幸せや、一緒になにかに取り組んで達成した喜びを一緒に感じられるのだと思いました。
 人に助けてもらって、人のあたたかさとか優しさを感じることができて、その気持ちを自分もだれかに還元したいと思うし、人に助けられて、助けての関係のなかで優しさ溢れる気持ちがどんどん広がって行くのだと思いました。

 人と嬉しさや達成感を感じられること、人が喜んでいることが自分も嬉しいと思えること、だれかの成功や喜びを嬉しいと思えることが、人に助けてもらったり、人を助けるなかで感じられるのだと思いました。

 だから、助けてもらったとしても、自分の仕事を押しつけてしまったとか、迷惑をかけているのではないかと思う必要はなくて、むしろ、人はだれかを助けたいと思うし、人を助けられたらすごく嬉しいことなのだと思いました。そして、助けてもらった側もすごく嬉しいです。

 私は、人にお願いしたり、人に頼ったり、助けてもらったりすると、相手が迷惑なんじゃないかという気持ちがあったけれど、自分で抱え込んで、1人でやろうとして、自分のやり方に人を関与させない、私がやるのでいいです、大丈夫ですという結果、仕事が進まなくて、自分の首を締めて、気持ちを落としているほうが、周りにいる人の迷惑だと思ったし、だれかが助けてくれようとしているのに、自分がシャットダウンしていたのだと思いました。それは、悲劇のヒロインを好んで演じてしまうことと同じじゃないかと思いました。

 お父さんのお話を聞かせていただいて気がついて、それは、すごく利己的だったなと思いました。

 今、バディの人と信頼関係を築くなかで、助けてもらえる心も作っていきたいです。バディの人に助けてもらって、私もバディの人を助けて、バディの人を守り、一緒に成長し続けていく仲間なのだと思いました。