「ご飯のような人」 ふみ

3月13日

 夜の集合のお話が嬉しかったです。

 利他心というのは、たくさんの人に助けてもらうことができること、自立というのは1人で立つのではなくて、人に助けてもらうことができて、自分も誰かを助けて、お互いに助け合って、協力して生きていくことだというお父さんのお話が嬉しかったです。

 私は、なのはなに来るまで、自立というのは1人で立って歩いていかなければいけない。だれかに助けを求めてはいけない。ちゃんと自立するためには、自分1人で生活していけるように力をつけなければいけないという考えをしていました。
 1人で立つということに対して、すごく不安でした。そういう気持ちがある上で、競争の社会のなかにいるのが苦しかったです。

 なのはなにいて、お父さんやお母さんに、自立というのは、人に助けてもらうことができて、自分も誰かを助けて、お互い様の関係を築いていけることなんだと教えてもらって、こんなに優しい世界があるのだと知りました。

 そして、利他心とは、たくさんの人に助けてもらえることだと教えてもらって、たくさんの人に助けてもらったら、自分も次のだれかを助けて、それが、助けてくれた人ではないかもしれないけれど、例えば10人に助けてもらったら、自分も次の10人を助けて、その10人も助かる。お父さんのお話を聞かせてもらって、利他心の人のためにという気持ちは、回りまわっていくのだと感じました。
 利他心について、お父さんに教えてもらえて、すごく嬉しかったです。

 あと、ご飯のお話も印象に残りました。
 夜の集合の質問で、特定の人に対して、怒っているのではないかとか、怖い気持ちがあり、それも、これまで身につけてきてしまった心の偏りの一つですか、それをどうしたら直せるでしょうか、という質問に対して、お父さんは、人にどう思われたいか。もし食べ物に例えるとしたら、どんな人になりたいか、という答えでした。

 答えは、ご飯でした。ご飯は味もしないし、忘れられる存在でもあるかもしれない、どうでもいいかもしれない。でも、なくては寂しくて、なくてはならない存在。いざとなったら縁の下の力持ちである。そういうご飯のような存在になればいい。
 バナナパフェだったら大変。いつも人に甘い言葉をかけなければいけないし、いい人をしようとしている。
 いい人をしようとしないで、いざとなったら力になれる、いてくれてよかったと思ってもらえる存在。

 お父さんのお話を聞かせていただいて、他の人がよく思われていて、ステーキ的な存在であったとしても、私はご飯でいいですという心持ちが自分にはすごくしっくりときて、ご飯でありたいと思いました。拗ねているのではなくて、自分はご飯でいいと思えました。
 私は、ご飯が好きです。いつも力になってくれて、私のエネルギーの元です。
 お父さんのお話を聞かせてもらって、ひたむきに頑張りたいなと思います。